羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 週明けの仕事はやっぱり少しかったるい。オフィスの入り口のところで社員証をタイムレコーダーに翳して出勤の記録をつけていると、背後から三浦さんの声がした。
「おはよ、兎束さん」
 綺麗な低音が耳を擽って、朝から会えるなんてラッキーだな、と思いながら「あ、おはよーございます」と振り返った、ら。
「ウワーッ!? 誰!?」
「えっうるさ……おれですけど。一回見てるでしょ?」
 視線の先にいた三浦さんは、先週までとまったく違う見た目に変貌していた。
 表情を隠していた髪の毛はばっさりと切り落とされ、柔らかい髪質を活かしてワックスで綺麗めかつラフな感じにまとめてある。髪が短くなったことで当然両耳も丸見えだ。流石にピアスはつけてなかったけどピアスホールはちゃんと分かる。眼鏡は影も形もなくなってて、意外に幼い整った顔立ちがよく見える。いつだったか三浦さんの家で見たCDジャケットの写真に写ってたのと同一人物。俺が絶句しているのを不思議に思ったらしく小首を傾げた彼の、こちらに向けられた笑顔は蕩けそうなほど甘くて。なんかもう、人に好かれるための顔面ですよという感じの仕上がりだった。
「え、め、眼鏡どこですか……?」
「どこって。コンタクトです」
「ぴあす……」
「してないしてない。無罪です。ホールだけ。ほんとはテープとファンデで隠そうかなって思ってたんですけど普通に寝坊しました……間に合わなかった……」
 ピッ、と社員証を翳してタイムカードを切った三浦さんを、ついその場で質問責めにしてしまう。だって三浦さんは今まで散々人間関係で嫌な思いをしてきて、その原因は少なからずこの整った外見にあって――。
 なんで、と思わず呟いてしまった俺に、彼はふっと目元を緩めて囁く。
「……おれが兎束さんと一緒にいると、意外って言われるでしょ、他の人たちに。大げさに驚かれたりとか」
「え? そ、そうかな……」
 ……咄嗟に濁してしまったが、確かにそうだ。三浦さんが俺以外の人との関わりを意図的に避けてるっていうのもあるけど、別に悪意のあるなし関わらず、おそらく見た目のタイプが違いすぎて言われてる。俺はそれがちょっと嫌で、というか三浦さんに対して申し訳なさすぎて、彼が気にしてないといいなって思ってた。
 俺の態度から内心をある程度悟られてしまったらしく、三浦さんは少し慌てた風に言葉を続ける。
「あ、別に色々言われて傷付いたとかじゃなくて。……おれが兎束さんと一緒にいることが、少しでも自然に見えたらいいなって、思って。そのためにできることなら何でもしたかったんです」
「……俺と一緒にいるため?」
「あは。やっぱりそう聞こえます? そんな感じです。もっと堂々と一緒にいたいなって」
 穏やかな声は途切れず続く。さざ波みたいに。
「おれ入社してからずっと態度悪かったでしょ。おれ一人だけだったら、愛想なくて何か言われるのも自分のせいだし仕方ないって思えます。でも、兎束さんまで巻き込んで一緒に悪く言われちゃったりしたら嫌だなと思ったんで……まずは見た目から反省を示していこうかな? みたいな」
 まあこれはこれで陰口叩かれそうですけどねピアスとか、なんて笑って、三浦さんはふいっと恥ずかしそうに俺から目を逸らした。
 いや、あの、それは……それはあの、あまりにも可愛いな……!
 思わず絶句してしまう。俺と一緒にいたくてこれまで処世術として続けてきた振舞いを曲げたってことだろ。きっと怖かっただろうし、相当な覚悟が必要だったはずだ。それを、俺のために頑張ってくれた。
 俺が何も言えずにいると三浦さんはちらっと視線を戻して、少しだけ不安そうな顔をした。その一連の様子が余計に可愛くて驚いてしまう。この人こんな表情豊かだったのか。いや、知ってたはずなんだけど、顔がしっかり見えるようになったから尚更そう感じる。疑う余地もなく、三浦さんはとても魅力的な人だ。こんなの目が離せないだろ。
「あの、提案なんだけど」
「……なんですか」
 俺は、腹の底から湧き上がるくすぐったいような気持ちを抑えながら言う。
「とりあえず……場所移さない? めちゃくちゃ注目集めてるよ」
 そこまで広くもないオフィスだ。俺が初手で大声をあげてしまったのもあり、入口近くの島から「え、誰……?」みたいな視線を感じる。そりゃそうだろう、ぱっと見だと本当に誰か分からないと思う。俺だって、三浦さんの家でCDジャケットを見ていなかったら少し迷ったはずだ。それでも、ちゃんと言い当てられた自信はあるけれど。
 ……正直、ちょっぴり残念な気持ちはある。三浦さんがこんなに魅力的な人だってこと、みんなにバレちゃうなって気持ち。でも……三浦さんがここまでしてくれたのは、俺のため。たくさん葛藤があったはずなのに、俺と一緒にいるためにここまでしてくれた。
 これを喜ばずにいるのは、俺には無理。
 ――と、そこに、またピッと音がして背後の扉が開錠された。エレベーターで社員が一気に到着したのだろう。その中には同期も数人含まれていて、佐藤が「あれ、どしたの兎束こんなとこ突っ立って。……えーと……?」なんて俺と三浦さんを交互に見て分かりやすくクエスチョンマークを飛ばしている。どう答えようか迷っていると、更に佐藤の向こうから声が掛かった。
「――あれっ、もしかして三浦さん? 髪切ったんですね。眼鏡もないしさっぱり〜……ってこういうの今言っちゃ駄目でしたっけ!? セクハラ!? コンプラ!?」
 それはいつだったか三浦さんのことを『よくよく見るとキレイな顔してるじゃん?』と称した、同期唯一の開発部女子。彼女が一人で慌てているのをよそに、三浦さんは「どーも。別に髪くらい誰でも切るでしょ、というかコンプラの使い方それで合ってます?」なんて雑すぎる対応をしている。
「うっそ!? 三浦サンなの!? い、言われてみれば声が同じ……!?」
「先週までの三浦はくたばりました。これからはニュー三浦としてやっていきます」
「いや確かに一度死んだみたいな変貌を遂げてるけどさ……何があったんだ……」
「変貌っていうか戻っただけです。おれは元々これです。ここで働くために猫被ってたってだけ。これまでさんっざん我慢してきたけどもういいかなと思って」
「我慢してたの……?」
「……そう! もうずー……っと我慢してた! ほんとに! ずっと我慢してた! 佐藤さんは……ノリ合いそうだなって実はずっと思ってた……」
「ほんとかなあ!? オレ三浦サンって自分と正反対なタイプだと思ってたんだけど……眼鏡だし……」
「ハ? 人のこと見た目で判断するのはよくないと思います」
「いやそれにしても急にはきはき喋るじゃん!? 会社じゃ掻き消えそうな声量でしか喋らなかったくせに! ……っつーかピアスホールえっぐいな! 数も場所も!」
「若気の至りです若気の至り。かわいいもんでしょ」
「う、兎束〜……! 声が三浦サンなのにそれ以外が変わりすぎて怖いよ〜!」
 なんで俺が助けを求められてるんだろう、と苦笑いしつつも、「三浦さん元から性格はこんなんだったよ。俺も最初は驚いたけど」と言っておく。
「確かに酒飲むと印象変わるなとは思ってたけどあれもしかして素が出てただけ……!?」
「そうそう」
「えー……あー、そういや先週一緒に飯食ったけど微妙〜に違和感あったんだよな。これのせいかぁ……」
 佐藤はようやくここでタイムカードを打刻して、「……三浦サン、次の同期飲み絶対来てね」と言った。三浦さんはというと、ぱっと笑顔になって「え、行く行く。ありがとうございます」と返事している。この人絶対『許された! やったー!』みたいなこと思ってるよ……全部顔に出てる。分かりやすすぎる。佐藤もそれが面白かったのか歯を見せて笑って、「三浦サンおもしれ〜! 何、こういう人だったの!? 早く教えてよ!」と楽しそうだ。
 このままだと三浦さんが質問責めに遭いそうな気配がしたので、「三浦さん、こっちこっち」と言いつつ俺はいつだったか彼と一緒に来た裏口側のエレベーターホールへと向かった。疑いもなくついてきてくれる彼のことが今日も好きだと感じる。かなり見た目が様変わりしたけど、そういえば、『好きな人に好きになってもらう』のを頑張りたい……みたいなことも言ってたっけ。三浦さん、基本誰のことでも好きみたいだしきっと会社の人とももっと仲良くしたかったんだろうな。これまでの印象はけっして手放しにいいと言えるものではないだろうから、まずは見た目から変えてきたという彼の判断は正解だと思う。この外見なら、元々三浦さんと接点少ないような女子社員は一気に掌返すよね。あとは……まあ……上手いこと人あしらいができれば理想なんだけど。
「びっくりした……美容院行くとは聞いてたけど、まさかこうなるとは思ってなかった」
「かなり久々に視界が広いです今。あと普通に寒い」
「そういや今日いつもより薄着じゃん? いつも上半身もこもこしてるのに」
「いやー……髪切ったらなぜか厚着が似合わなくなっちゃって……? なんか変なんですよね、なんか」
 あ、なるほど。こう言ったらなんだけど、あの長い前髪と眼鏡の外見だったから多少野暮ったい服装でもよかったんだ。今だとなんか、それじゃアンバランスで洋服だけ浮いて見えそう。三浦さん細身だし背高いし、すらっとした恰好だったり、大きめのシルエットの場合は何枚も重ね着するんじゃなくてオーバーサイズをゆるく着る感じが似合うんだろうな。
「今の三浦さん、女子社員が騒ぎそう」
「んんん、しばらくは覚悟しときます。……あの、兎束さんは」
「え? 何?」
 三浦さんは珍しくんーとかうーとかごにょごにょ唸っていたけれど、やがて遠慮がちな様子で俺の袖の端をつまんでくる。
「兎束さんは……どっちがいい? やっぱり今みたくちゃんとしてる方がいい?」
 髪を切る前と今と、どちらの外見がいいかという意味だろうか。んー、大体の人は今の方が断然いいって言うんだろうけど、俺としてはどっちでもいい、というか、どっちも好きだなと思う。三浦さんって表情豊かで感情表現やリアクションが素直なところが俺的に一番魅力的なとこだから、ガワがちょっと変わっても俺の好きな部分の本質は変わらない。正直さ、不安そうに俺のシャツの袖をそっと引っ張ってくるところ、狙ってんのかなってくらいめちゃくちゃ可愛いよ。でも三浦さん、髪切ってようが切ってまいが同じことしてたよなきっと。つまりはそういうこと。
 シャツの袖引っ張ってくるの可愛いよ、という部分は省いて伝えてみると、三浦さんは恥ずかしそうに唇を尖らせた。「…………ど、どうも」あーそれそれ、そういうところが好き。まんまと恥ずかしがっちゃってちょっと悔しい、でも嬉しい、みたいな感情の動きがよく分かる。彼が俺の好意的な言葉を喜んでくれているのが分かって俺も嬉しいし、この好意は彼にとって迷惑なものではないんだ、と安心する。
「あ、そうだ……兎束さん、今日のお昼誰かと予定あります?」
「ないよ。一緒に食べる?」
 三浦さんは嬉しそうにこくりと頷いた。何を食べたいか決まっているのか聞いてみると、今日はラーメンをご所望のようだ。
「久々にコンタクトして気付いたんですよ。今日はラーメン食べても視界が曇らない……!」
「え、あ、そっか。眼鏡だと湯気で曇るのか」
「そうそう。見た目かなり間抜けでしょ。眼鏡よりコンタクトが便利なのってラーメン食うときと風呂に入るときくらいすよ」
 うきうき、という効果音が聞こえてきそうなくらい機嫌のいい三浦さんを横目に、こっそり思う。彼はきっと、すぐ他のみんなに受け入れられるだろう。お昼も普通に誘われるようになるだろうし、飲み会だって呼ばれるようになる。みんな、彼のことを好きになる。それだけ魅力のある人だから。
 でも。この会社で最初にこの人を見つけたのは、俺。
 そうやって僅かな優越感に浸るくらいは、許してほしい。

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