羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 それは三浦さんにとって予想外の言葉だったのか、ゆるりと視線を上げてキイチさんのことを視界にきちんと収めた。おそらく疑問と不安に揺れる瞳は、なんで、どうして、と雄弁に語っている。
 店内のざわめきが一瞬遠くなったような気がした。そのくらい静かに、キイチさんは言葉を紡ぐ。
「お前が……頑張ってんの、ずっと見てたよ」
 伸ばされた手が、三浦さんの前髪をそっとよけた。表情が一層分かりやすくなる。それを見て満足そうに頷くキイチさんの纏う空気はけっして暗くはない。
「アキラってさ、常になんとなーく楽しそうだけど、実際ンとこどうだった? オレらと一緒にいて楽しいって思ってた?」
「え、今更……? 楽しかったに決まってんじゃん。っつーか仮に楽しくなかったとしたら人生の半分くらいひっくり返っちゃうだろ……」
「ふは、そっか。トータルで楽しいことのが多かったなら、まあ、オレとしてはセーフだわ」
 お前のこと頑張らせすぎたなって今でもたまに思い出して後悔する、と、キイチさんは目を伏せた。
「一番初めはなんだったかな。お前、昔からバレンタインにヤバめの手作り貰ってくること多かった。中学のとき後輩が手作りのチョコレートケーキホールで持ってきたの今でも覚えてるわ。お前、『なんかこれ微妙に中生焼けな気がする……』っつって食っててさ、こいつマジかよって思ったんだよ。食うなよ生焼けを」
「いやだって捨てんの可哀想じゃん……別に食ったところで最悪おれが腹壊すくらいで済むし」
「お前のそれ、優しいのとはちょっと違うんだよな。上手く説明できねえけど……そう、確かそのとき言ったんだよ、『あんまり重いやつは最初から断れよ、お返しできねえだろ』みたいなこと」
 キイチさんは喋り続ける。昔を懐かしむように。
「高校のとき、彼氏持ちだった女子が明楽くんを好きになったから別れる〜っつって大騒ぎしたことあった。『恋人がいる奴と喋るときは体感五割増で距離置け』とか、そんな感じのこと言った気がする。他校に彼女いた奴とかさ、絶対明楽には彼女会わせたくねえわ〜ってビビってた。お前全然その気ないのに、勝手に警戒されてちょっと可哀想だなって思ったの覚えてる」
 三浦さんは苦い顔でキイチさんの話を聞いている。特に訂正が入らないということは、ほぼキイチさんの記憶通りのことが起こってたってことで……うん、波瀾万丈だったみたいだ、三浦さん。
 勝手に警戒されるの、俺も微妙に覚えがあるな……と、こんなところでシンパシー感じてみたりして。
「高校の頃から若干怪しかったけど、大学で色々爆発したろ。マジでしょっちゅう引越し。お前の荷物がどんどん少なくなってくの、怖かったよ。相手がどんどん過激な奴になってくのも怖かった。怖くて色々口出しした。ああした方がいいんじゃないかとか、あれはやめた方がいいんじゃないかとか……お前、律儀に全部守ろうとしてた」
 ふー……と、長い長いため息がキイチさんの口からこぼれた。彼は意を決したように前を見据える。三浦さんと、真正面から向き合う。 
「――オレたち、無理にお前のこと矯正しようとしたよな。そんなんできるわけないのに。お前が今の会社で見た目までまるっきり変えて他人との接点避けてんの、オレらの責任もあるって分かってる」
 自分の腕の表面を指でなぞった彼は、殊更穏やかな声音で俺たちの鼓膜を撫でた。
「お前のこと否定したかったわけじゃないのに、結果的にそれと同じことしちまってた。ずっとしんどかったろ。……ごめんな、アキラ」
 ――あ。今なんとなく分かった。
 キイチさんたちもずっと、三浦さんに謝りたかったんだな。三浦さんの性質をどうにか矯正できないか四苦八苦して、改善できなくて……想像するに、十年以上前から大なり小なり試してきたはず。
 もっと早く諦める――いや、方向転換すべきだったということを、たぶん彼らは随分と後になってから悟ったのだ。
 俺だって、中学生や高校生の頃に何かを『諦める』という結論を出すことは難しかったと思う。大学生でもまだ難しいかもしれない。折り合いをつけるということを知らなかった。だからきっと、彼らは苦しかったのだろう。
「っ……そんなのお前が謝ることじゃない。みんなは……何も、悪くないよ。おれこそごめん……ありがとう……」
 声が微かに震えていたけれど、三浦さんは泣かなかった。
「おれがもっと努力してたら――上手くやれてたらみんなに迷惑かけてなかったかもしれないのにって、もう、色々考えんの無理で……っずっと気にかけてくれてたのに、連絡してくれてたのに、返事できなくて、ごめん。また喋ってくれてありがとう……」
 ぽつりと「腕も一生痕残るのに……」と呟いた三浦さんに、キイチさんは「は〜ん? ちょっとカッコイイだろうがこの痕」と、俺にしてみせたのと同じようにぶんぶん腕を振って笑った。
「……うん。かっこいいよ……おれ、キイチのこと、世界でいちばんかっこいいと思ってるから……」
「ん……、――んんん? お前それこの場で言っちゃってよかったのかなぁ……!? 光栄だけども……」
 なぜかキイチさんが一瞬こちらを見た気がしたので思わず内心で首を傾げる。今更俺の目を気にするようなことあった? 三浦さんは「何が?」とか全然分かってない感じだし。
 ……『世界で一番』か。三浦さんって表現が素直だしストレートだから、確かに“これ”を恋愛感情として誰か一人に向けられるなら勘違いを受けることも減るのかもしれない。だって今も、三浦さんがキイチさんのことを本当に大切に思っていて、先程の言葉に何一つ誇張も偽りもないということがよく分かる。
 そっか。こうやってこの人の“一番”になるんだな。
「えええ……タキ、オレの感覚がおかしい?」
「お前はおかしくない……と思う」
「や、やっぱり……! アキラお前もうちょい発言脳みそ経由させてから喋ってよ……オレ、お前にはちゃんと報われてほしいし幸せになってほしいと思ってんだから頑張りなね……」
「え、言ってることが一から十まで分かんねえっつーか十の部分しか分かんなかったんだけど。おれに幸せになってほしいの? ありがとう。おれもみんなにはめちゃくちゃ幸せになってほしい」
「せめて一も分かれそこは! もっと考えて発言しろ! あのー……あのさ、ミナトがオレのことを『キャ〜カッコイイ〜』っつって褒めてたらどう思うよ」
「いや急に兎束さんのキャラ崩壊させんなよ何? ……『分かる』って思う」
「バカ……! でもありがとね……もうお前はそのままでいいよ……」
「えっなんで今罵倒されたのおれ? 褒めたのに?」
 そしてなんで今俺の名前が出てきたの? 俺も分かんないんだけど……。
「なんでそんな話になったのか謎だけど……あの、キイチ」
「はいー? どした?」
 三浦さんはたっぷり黙ってから、「……答えてもらえてないんだけど。連絡無視してたのまだ怒ってる? おれのこと、もうきらいになった? 許したくない……?」と続ける。……敢えて言わせるこの聞き方、正直ずるいよな。ずるいと思います俺。だってとっくに許してるのはたから見ても分かるのに。
 キイチさんは何を思ったのか若干顔を引きつらせていたけれど、気を取り直したように服の袖を元に戻した。
「嫌いになってたらお前に会うためにここまでしてねーんだわ、はっ倒すぞほんとに。……まあ、今回はミナトに免じて全部許す」
 はい? なんで今俺に免じられたの?
 三浦さんも分からなかったらしく、「ハ? なんで兎束さん?」と首を傾げている。キイチさんは表情を一変、にやにや笑って「べっつに〜?」とふんぞり返った。
「これで少しはお前のことが好きだった奴らの気持ちが分かるんじゃね? ざまーみろ。せいぜい苦しめ」
「……!? タキ、なんかおれいじめられてない? なんなのこいつ?」
「ん……俺は基本的にお前の味方だけど、まあ、頑張れ。…………兎束さん、でしたっけ。内輪の話ばかりで申し訳ない。アキラはこの通り色々危なっかしいですけどけっして悪い奴ではないので……よろしくお願いします、何卒。大切な友人なんです」
 深々と頭を下げられて、俺は慌てて「よ、よろしくお願いします……?」と返す。よろしくされてしまった。
「ミナト、ほんっとー……に巻き込んでごめんな! オレのことは嫌いになってもアキラのことは許してやってください」
「いや、寧ろ込み入った話の場に同席させてもらっちゃって……」
「ンなの気にすんなって! オレもさ、アキラに謝るの緊張してたんだよ。正直めちゃくちゃ怖かったし。だから、あんたが見ててくれたお陰で気合い入った」
 ……どうしてこんなに、自分の感情をはっきり口にできるんだろう。大切な友人、とか、緊張してた、とか、怖かった、とか。俺だったら言うこと自体が怖い。自分の内心を大っぴらにするのは俺にとって物凄く怖いことだった。
 今だったら素直に聞ける気がして、二人に尋ねてみる。どうしてそこまではっきり言えるのか、否定されたり笑われたりするのが怖くないのか。すると、やはり誤魔化しひとつない答えが返ってきた。
「これ完全に恥ずかしいやつなんだけど、アキラがそういうの全部口に出すし聞くタイプだからうつったんだよね! こいつ察しは悪くないはずなのに言わせたがりなんだわ」
「余所でアキラにするのと同じような対応だとよく驚かれるな、そういえば」
「オレはいかにも軽そうだから流してもらえるけどタキはぱっと見硬派だかんなー……っつーわけで、巻き込んでごめんって思ってるのも巻き込まれてくれてありがとうって思ってるのもガチだから。今更だけど、他に予定あったりとかしなかったよな……? 金曜夜に辛気臭い話聞かせちゃってスンマセン!」
 ああ、いいな。この人たちは、とてもいい循環の中にいるんだ。ちゃんとお礼を言えて、謝れて、自分の不安を認めて、それを共有できる。目の前の光景が羨ましくなった。それこそ、自分も内心をもっと素直に出してみようかなと思えるくらいには。
 あの日、三浦さんの買い物について行ってよかった。そうじゃなかったら俺は今日キイチさんたちに呼び止められてなかっただろうし、ひょっとするとこうして彼らが仲直りする機会もなかったかもしれない。
 それに何より。
「あー……三浦さんが色々可愛かったし、もう全然いいよなんでも……」
 くだけた喋り方してるのかなりよかった……あれ俺にもやってほしい。普段が敬語なのもそれはそれでいいんだけど、たまに雑なのも聞きたい。
 というか、友達と一緒にいるときの三浦さん正直めちゃくちゃ可愛いね、びっくりしたわ。俺と三浦さんと二人だけのときに感じる可愛さとはまた違うっていうか……周囲に甘やかされてきたってキイチさん言ってたけど、これは確かに甘やかしたくなるよな。早生まれって言ってたし、学年ベースで考えると常に一番年下だったとか? 末っ子ポジションだったのかも。
「ん、唐揚げ冷めつつあるじゃん。食べなよ三浦さん」
「えっ、あ、どうも……? 食べます、ハイ」
 素直に割り箸を割って唐揚げを食べ始める三浦さんを傍で眺めて、もしかしてこれが庇護欲ってやつ? と微妙な理解に至る。世話したくなる感じなんだよな。……いや、寧ろ、世話しないとだめになっちゃいそうな感じ……?
 うんうん、と隣を観察しつつ一人で納得していると、目の前の二人が小声で会話しているのが耳に入った。
「……アキラってなんだかんだ常に人生勝ち確って感じでムカつくわ……」
「ああ、確かに今ちょっと思ったなそれ……」
 ん? 勝ち確? 三浦さんってそんなに勝負事に強い系なの? ギャンブルとか?
 二人の会話が少し気になったけれど、隣からすすすっと皿が寄ってきて、「兎束さんも食べますか? 唐揚げと出汁巻き」なんてまだ気恥ずかしそうな笑顔で言われてしまってはどちらに集中するかなんて悩む余地もない。
「じゃあ、少し貰おうかな」
 きっとこう言えば三浦さんは喜んでくれるだろう。そんな風に思って返答を選んだ。
 そしたら案の定ぱっと表情が綻んだので、俺は達成感とときめきに心臓を高鳴らせながら、自分の取り皿をそっと三浦さんの方へと寄せたのだった。

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