羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「……努力じゃどうにもならなかったんだね」
 思わず言うと、キイチさんは苦笑い。
「そう。ならなかった。『お前はそのままでいいよ』って言ってやるべきだったかな。でも最終的に傷付くのアキラだからさぁ、心配しちゃうのよこっちも。傍にいただけのオレが人間不信になりそうだったのに、アキラはどれだけ傷付けられても人のことが好きだったから」
 勝手に好きになって勝手に絶望したくせに、それを自分で消化しきれずアキラにぶつけてくる奴がたくさんいたんだ、というようなことをキイチさんは言った。三浦さんに惹かれて、三浦さんの“特別”が欲しくて、それがどうしても無理だと薄々気付いてしまった人たち。どこまでも三浦さんにとって“親しい大勢”でしかなかった人たち。
「……三浦さんは、そのままでよかったはずなのにな」
「ん?」
「周りの人間が勝手に重い感情向けてくるからずっと大変だったんだろ、三浦さん。迷惑ばっかりかけられて……嫌だっただろうなって。相手のこと考えずに一方的に気持ちぶつけるなんて最低じゃん」
 キイチさんは俺の言葉に目を瞬かせた。「うわ厳し。もしかしてミナトも経験ある系? モテそうだもんね〜!」ああ、違うんだって。俺は重い感情向けてる側。ちょっと言葉が強くなりすぎたかな。自虐が入ってるからついキツい言葉選びしちゃったかも。
「まあでも、オレとしてはアキラを好きでいるのしんどいだろうなーっていうのなんとなく分かるから……なーんかそこまで責める気にもなれねえの。最終的に暴走するのはもう完全にそいつが悪いけどさ」
「……『しんどい』?」
「うん。ああいう奴好きになったら大変だよ。毎日不安だと思う。アキラは基本的に誰のことでも好きだから。……ミナトもさ、そこまで毛嫌いしないでやってよ。誰かを好きでいるだけなら、責められることなんてないんだって」
 キイチさんのその言葉は、今の俺には予想以上に沁みるものだった。なんとなく、この気持ちは存在するだけで迷惑になるものだと思ってた。でも、そうじゃないんだと言ってもらえた気がした。
 どうやらキイチさんは、幼馴染というポジションで誰よりも三浦さんの傍にいたからか、彼の恋愛事情をほぼ余すところなく見てきたようで。彼に好感を抱く人間から嫉妬の視線を向けられたことは数知れず、当てつけや当てこすりなんて日常茶飯事、重い感情の一端を向けられるのにすっかり慣れてしまったらしい。そして、その感情に振り回される人たちのことも傍で見てきた。
「こう、初対面の人間相手のときってさ、好感度のマックスが百だとしたらせいぜい五十くらいからのスタートじゃん? 少なくともオレはそう。でもアキラって他人に対する好感度の初期値が七十くらいなんだよたぶん」
「あー……だから勘違いされる?」
「そんな感じ。あいつは『好き』がデフォルトだからそんなもん特別でもなんでもないんだけどな。二十年くらいあいつを見てきた上での仮説デス」
 俺、初対面の他人への好意どのくらいかな。五十もない気がするわ。そんなことを思いながらその仮説を聞いていた。……うん、やっぱりこれ直すの無理。直そうとするよりも、どうやって上手く付き合っていくか考えた方がいいやつだ。
「具体的に何試したか聞いてもいい? 三浦さんのあの性質の改善策」
「えー? 他人と絶対二人きりになるなとかー、危うい発言してたら後から指摘して直させるとか、他にも色々……。でもダメだったわ、なんてことないはずの言葉なのにアキラが言うと妙にそれっぽく聞こえるし」
「あー……分かる……」
「マジで思いつく限り試したよ。試せなかったのはひとつだけ」
 ひとつだけ? と首を傾げた俺に、キイチさんはほんの少しだけ発言を溜めて勿体ぶりながら言った。
「そう。『誰かを本気で好きになる』こと」
 思わず黙ってしまった俺に、にやっと含みのある笑顔が向けられる。
「基本の好感度が七十でも、傍に好感度百二十くらいの奴がいてくれれば周りは勘違いしようがないじゃん? ナイスアイディア! って思ったんだけど、結局相手が見つかんなくて当時は実行には至らず。無念」
「な、なんか言ってることと表情が一致してなくないですか……?」
「んはは。だ〜ってねぇ? 分かるだろ?」
 え、やばい、何も分からない。今までで一番分からない。どういうこと?
 キイチさんは突如機嫌がよさそうで、あまりにも謎。かと思えば身を乗り出し、「そんなわけでー……色々態度悪くてゴメンネ。ちょっとは分かってくれた? オレらの気持ち」と優しい表情を向けてくる。
 頷く。喧嘩を売るようなことを言ってしまったのは謝罪しない。三浦さんはあのとき確かに傷付いていたから。でも、今後キイチさんたちを敵視しなければならないような理由は消えた。
 するとキイチさんは満足げに一息つく。そして、今日一番の笑顔で言った。
「だからさ、ミナトがオレらの仲取り持ってよ」
「……はい?」
「だってあいつオレの連絡無視すんだよ酷くない!? 騙し討ちでもなんでもいいからあいつのこと呼び出してよぉ! もうオレいい加減あいつと昔みたいに仲良くしたいの! 小学校の頃からのダチなんだけど!? っつーか二年近く連絡無視されてるのは流石に怒っていいだろ!」
「そ、そんなに……いやでも騙し討ちはよくないですよ普通に」
「いーのいーの。もしそれで怒ったら謝るし。謝ったら絶対許してくれるし。あいつオレのこと大好きだかんね」
 ……た、たぶんこれでマウントとられてる気分になるのは間違ってるんだろうなー……。
「いやでも、急すぎると思うけど……三浦さんにだって予定あるし……」
「え、ミナトが呼べば来るよ。大丈夫」
「何がどう大丈夫なの!?」
「だいじょーぶだって! 分かるから!」
 早く早く、という圧を感じたので仕方なく三浦さんに連絡をとってみる。今ただでさえ微妙にぎくしゃくしてるのに……!
 どう言えばいいか分からなくて、結局『ごめん、理由は聞かないでほしいんだけどもし暇なら今から出てきてくれない……? というかまだ会社にいる……?』なんて怪しさ満点のメッセージを送ってしまった。これで来る奴いなくない……? と思ったんだけど、数秒経って既読がついたかと思えば、『え、どうしたの。大丈夫ですか?』『今すぐ行くんで、待っててください』と返ってくる。これ、もしかして緊急事態か何かだと勘違いされてる!? それにしたっていい人すぎるけど!
「すぐ来てくれるらしいですよ……」
「ほらー! だから言ったじゃん」
「三浦さんいい人すぎない?」
「いや、あいつそんな善人じゃないよ別に。割と冷めてるし出不精だし、来いっつっても来やしねえどころか『おれ寒いから外出たくない。お前が来れば?』とか平気で言うからね」
「えー……」
「うわオレ信用ねえなー! 分かるけど! あいつ基本周囲から甘やかされまくってきたからそういう発言許されると思ってんだよ。いやまあ許す周囲が悪いんだけどな……その筆頭がオレっていうね……」
 ……この人、なんだかんだ言ってかなり三浦さんのこと好きだよな……おまけに甘やかしてる自覚があるときた。まあ、ここまで大っぴらに言うってことは俺みたいにやましい感情なんて何一つ含まれてないんだろう。三浦さんと同じで他人との距離が元々近いタイプの人。
 にしても、三浦さんが我儘言ってるとこ全然想像つかないんだけど。ちょっと悔しいかもしれない。いや、せっかく会うならご飯一緒に食べたいとか言ってもらえることはあるけど、あれは我儘にはカウントされないだろうし……なぜなら俺だって同じ気持ちだから……。
「んん、なんか俺の中の三浦さんのイメージと全然違って混乱する」
「だからそれはあんたが相手だからじゃん?」
「あーやっぱ俺が年下だから? 気ぃ遣われてるのかなー……でもちょっとしか歳違わないんだけど。二学年差でほぼ一歳差」
 同い年みたいなもんじゃん、と言いつつキイチさんの方を見ると、なぜだかしらーっとした目を向けられていることに気付く。え、何。
「なんですかその目は」
「いや……アキラかわいそー……って思って。ちょっとだけ」
「は!? 何が!? 年下のお守させられてるのが!?」
「あんた意外と被害妄想激しいな!? 誰もンなこと言ってねーから! っつーかあんたがお守する側なのなんとなく分かるから……」
 そうなのだろうか。三浦さん、俺がさっきみたいに無茶すぎるお願いしても怒らないし、我儘なんて言われたこともない。……んー、我儘言われてみたいかも。だってさー……親しい人に言う我儘って、要するに甘えてるんじゃん。羨ましすぎる。俺だって『今すぐ来て』とか言われてみたい。そしてすぐに駆けつけたい。
 そこまで妄想してみて、俺はふと、今日の昼の落ち込みがなんとなく和らいでいることに気が付いた。根本的な問題は何一つ解決してないんだけど、やんわりと心が軽くなっている。キイチさんたちと喋ったお陰だろう。やっぱり誰かと喋るとメンタル回復するな。有難い。それに、誰かを好きでいることそれ自体が罪ではないのだと言ってもらえたのも助かった。たとえキイチさんが、俺の助けになることを意識せずに発言したのだとしても。
「……というか、よかったんですか? 本人不在で俺なんかに色々話しちゃって。いや、俺は有難かったんですけど……後で怒られたりしない? 仮に俺が三浦さんと大して親しくもないただのストーカー野郎だったりしたら色々喋りすぎてまずくない?」
「ん? だいじょぶだいじょぶ。アキラがバンド解散の話してるって時点でかなり信用できるし」
「いやそれにしてもさ……」
「平気だって。オレ人を見る目はあるかんね。アキラの周りに集まってくる奴らの中からやべーのを識別していくうちに人を見る目が培われたってワケ……」
「いや急に暗っ……サバイバル術みたいなこと言い出すじゃん」
「はは。ミナトは大丈夫。断言してもいいよ。あんたに話すならアキラも許すだろうし、オレも安心して話せる」
「な、なんで……?」
「え? それ聞いちゃう? だってアキラどう見ても――」
 呆れ顔のキイチさんが何かを言いかけた、そのときだった。
「兎束さんっ……!」
 騒がしい居酒屋の店内でも聞き逃すわけがない、よく通る綺麗な声。思わず勢いよく視線を上げる。
「え、早っ……早くない!?」
「会社からタクシー使って来ました……」
 厚着のしすぎで上半身が着ぶくれてふらつく長身。ほんの少し息の上がった様子の三浦さんが、こちらに向かって足早に歩いてくるのが見えた。

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