羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


「あれ。あんたアキラと一緒にいた奴じゃん」
 予定通り定時前の直帰になって、取引先の最寄り駅に向かった俺は、券売機の前辺りで横から声を掛けられた。
「えっ……あ、……えっと」
 俺に声を掛けてきた一人と、その隣に並んで立っているもう一人。この人たち、この間の……。
「どーもぉ。アキラくんのお友達でぇす。ンな怖い顔しなくてもよくね? オレあんたに何かしたっけ?」
 けっして友好的ではない声音を向けられて、俺は、あの日途方に暮れたような泣きそうな顔をしていた三浦さんのことを思い出してしまう。俺は何もされてない……されてない、けど。
「……わざと三浦さんが傷付くような言い方、しましたよね。友達なら分かってるくせに……」
 ぴりっ、と一瞬空気が張りつめた気がした。無視して続ける。目を合わせることはできなくて、床のタイルを見ながら。
「三浦さんは何も……悪くない、と思いますけど」
 そう、これが言いたかった。三浦さんの話を聞く限り、目の前の二人だってそれは分かってるはず。なのにあんな風に責められて、三浦さんはどれだけ傷付いただろう。この人たちはきっと昔からの友人で、だからこそ、素直な彼がこの二人の言葉に傷付かないわけがない。
 何より俺は、あの場で何の役にも立たなかった自分に怒っている。
 守りたかったのに何もできなかった。俺の“好き”はただの飾りか? どうせ報われないなら少しでも三浦さんのためになる何かを成したかった。重荷なだけじゃないと示したかったのに。
「…………ってんだよ」
 ぽつりと、さっきまでの軽薄な声音とは違うトーンの言葉が鼓膜に差し込まれて視線を上げる。
 怒りに燃える目がそこにはあった。
「――アキラが悪くないのなんて分かってんだよ、最初から」
 わざと冷たく装ってるみたいな声だった。無理に感情を抑え込んでるみたいな声だった。なのに瞳だけがぎらぎらと輝いていて、それが妙に恐ろしい。
「アキラは何も悪くないのに、でも、アキラの傍にいる奴からおかしくなってくんだよ……」
 その男性は吐き捨てるように、「……きっと終盤オレらもおかしかった」と言った。
 ――もしかしたら俺も、とっくに“おかしくなって”るんだろうか。

 彼らはキイチとタキと名乗った。よく喋る方がキイチ、寡黙な方がタキ。アキラ――三浦さんが昔やってたバンドのメンバー。リードギターとドラムだと言っていた。あと一人ベースがいるらしい。
 いい時間だし一緒に飯でもどう? と誘われてのこのこ近くの居酒屋までついてきた俺は、正面に並んで座る二人――主にキイチさんの喋る声に耳を傾けている。お通しは大ぶりに切った生野菜だった。味噌の小皿が二枚ついてきて、「オレら二人でひとつ使うからそっちはあんたが使っていいよ」と差し出された。店に入る前のあの、刺すような空気はとっくに消えていた。
「っと、どこまで話したっけ? あーそうそう、元々オレとアキラが小学校一緒でさ。そこがきっかけで、高校入ってからこいつともう一人が合流してバンド組んだの。あんたアキラの話聞きたいんだろ?」
「えっ……いや、それは」
「そういう顔してる。あんたみたいな奴何人もいたよ、今まで。アキラに近付きすぎておかしくなった」
 まああんたは大丈夫だと思うけど、とキイチさんは言う。……どうだろう。いずれ大丈夫じゃなくなる気がしてるんだけど。
 ぽりぽりときゅうりを齧っているキイチさんは、先ほどから一転、随分とフレンドリーな様子を見せてくれている。変わり身の早さが凄まじいし、演技だとしたら舌を巻く。……たぶん、これが本来の性格なんだろうな。こうして喋ってみると、雰囲気が佐藤にちょっと似てるかもしれない。口調の軽さとか。
「あ――っと、自己紹介もせずにすみません。俺、兎束湊っていいます……兎を束ねる、に、湊はさんずいに奏でる」
「奏でる? いい名前じゃん。ミナトかー。っつーか敬語いらないって。アキラの同僚なんだっけ?」
「そう……ですね。うん。部署は全然違うんだけど」
「そっか。……っあー、こんなことならあんとき追いかけときゃよかったわ」
 久々に喋りたかったな、と言うキイチさんの雰囲気が若干和らいだのが分かる。俺が何も言えずにいると、「何暗くなってんの? ウケる」と笑われた。何もうけねえ……。
「あんたもアキラのこと好きなんでしょ」
 その直球すぎる物言いに返す言葉がなかった。キイチさんは続けて、「オレもあいつのこと好き。っつーか、大体みんなあいつのこと好きなんだよね!」と歯を見せて笑った。そこまで言われて、ああ、恋愛感情的な意味ではないのだな、と胸をなでおろす。
「それは……まあ、そうでしょ。好きですよ。最初はちょっと、とっつきにくい感じかなって思ってたんだけど」
「へー! イメチェン頑張りすぎじゃんあいつ。いっつも秒で仲良くなんのにね、誰とでも」
「やっぱりそっちが素なんだ」
「オレらは『そっち』しか知らないからどっちか分かんねえわ。会社だととっつきにくいキャラでやってんの?」
「会社だと殆ど喋らなかったですよ、三浦さん。飲み会でも隅っこの席で一人で飲んでて会話に入ってこようともしないし」
「うわ暗! 陰キャじゃーん。まあパソコンが友達なのは昔からだけど」
「あ、でも最近はそんなことなくて。同期飲みにも参加してくれるようになりましたし……」
「んで化けの皮剥がれてるし。オモロ」
 努力したって無駄なのに、とキイチさんが呟いたのが聞こえて、少しだけむっとしてしまう。そんな言い方ないだろう。三浦さんは確かに……色々迂闊、かもしれないけど。でも、彼なりに頑張ってたはずだ。
 キイチさんは俺を見て、「ふーん。そういう顔するんだ」と笑った。……嫌な笑顔だった。
「……努力でどうこうなる程度なんだったら、オレらが死ぬ気でどうにかしてんだよ」
「え……」
「あんたもさ、今日黙ってついてきたってことはアキラから少しは話聞いてるんだろ? あいつどこまで話した? バンド解散まで?」
「……バンド楽しかったって言ってたよ。三浦さんが……人に好かれるって性質をコントロールできなかったせいで解散になったって」
「そ……っか。……そっか」
 まだそんなこと言ってんのかよ、と、キイチさんはテーブルの上に置いてあったハイボールのジョッキを呷る。
「……アキラが好かれるのは、明るくて一緒にいると楽しいから。それだけ。ほんとにそれだけなんだけど、だからみんなアキラのこと好きなんだよな」
 それは誰に聞かせるでもない風な呟きだった。軽いため息が店内の喧噪で掻き消える。
「ミナトの知り合いにさ、なーんか変な奴に好かれやすいタイプの人間っていない? なぜか毎度DV野郎にひっかかる女とか」
「えっなんですか急に……あー、いる、かも?」
「アキラもそれに割と近いんだけど、あいつの周りに寄ってくる奴って“だんだんおかしくなってく”んだよ。オレ学生時代何回あいつの引越し手伝ったか覚えてねえもん。元々そういう気質の奴に好かれやすいのかもしんねえけど……マジで掃除機みてえに集めるからね、ストーカーとかメンヘラの類を」
 人に好かれる呪いにかかってるみたいだった、と彼は言った。『人に好かれる』と『呪い』という言葉の繋がりがアンバランスで、なんだか現実味がなかった。
「バンド解散は全然アキラのせいじゃない。アキラに集まってくるやべー奴らのせい。男だから警察に相談してもいまいち真剣に取り合ってもらえねえし、アキラは自分の言動のどこが具体的に悪いのか全然分かってねえから改善しねえし。おまけにいまいち危機感ねえし。大学終盤はマジでぴりぴりしてたなー……」
 ミナトもさー危険に頭から突っ込んでいくバカが傍にいたら気が休まらないでしょー? と、同意を求めてくるキイチさん。随分と苦労をしていたらしいことはぼんやり分かった。これは、話を盛っていたりする感じの物言いではない。
「オレもこいつもアキラのこと好きだよ。もちろんベースの奴も。……ずっとバンド続けたかった。でも、一度本気でヤバいファンがいて……」
「あ……薬品かけられたみたいな話? 三浦さんから聞いた。傷痕残ってて……でも庇ってくれた人――あなたですよね? あなたの方が怪我が酷かったって」
「そうそれ。っつーかマジで全部知ってるじゃん。あいつ隠し事向いてねえな……――なんつーか、無我夢中で庇っちゃったけどアキラがまだこれ見て悲しそうにするからさぁ。でもこんなもん勲章じゃんね。顔より腕の火傷の方がまだマシくない?」
 キイチさんは腕をぶんぶん振ってあっけらかんと言う。「人のこと庇って怪我するとかなかなか経験できないっしょ」と得意気にしながら。けれど直後に、ふっと陰のある笑みを浮かべた。
「――あのとき、ああもうダメだわって思ったんだよ。こんなん続けらんないよ絶対。バンド楽しかったけど、アキラが怪我するくらいなら辞めるって思った。別にライブできなくても一緒に演奏するだけだって楽しいと思ったし。……っつーかやっぱボーカルじゃなくてリードギター覆面でやらせときゃよかったかなぁ!? どう思うタキ」
「……後々のこと考えたらボーカルはアキラで正解だった。ボーカルは文字通りバンドの『顔』だし……あのビジュアルを使わない理由がない。お前は間違ってない」
「めちゃくちゃ優しいじゃんお前……泣いちゃうよ……」
「それはちょっと面倒だからやめろ。というか、アキラがあそこまで他人に好かれる性質だっていまいち分かってなかったんだよ最初の頃は……それは誤算」
「あーね。基本インドアだから行動範囲が限られてるうちはまだよかったけど、バンド活動とかバイトとかサークルとか始めた辺りから急激に悪化したよな」
「悪化って……いや、まあ、そうだな」
「あーでもあいつ外で観光客に道聞かれただけなのに何故か意気投合して一緒に飯とか珍しくないしなぁ。ひょいひょい知らない奴についてくし……募金詐欺にひっかかりまくるバカだし……ほんっとバカ……オレにバカって言われるとか相当バカだよ……」
 目の前の光景とこれまでの話を、じっくりと頭の中で整理する。この三十分足らずの間に、キイチさんたちが三浦さんのことをとても大切に思っているというのはよく分かった。そして――三浦さんの持つ性質に、根本的な解決策はおそらくないのだろうということも。
 三浦さんが好かれるのは、明るくて、一緒にいると楽しいから。それだけ。キイチさんはそう言った。
 じゃあ、好かれすぎるのはどうしてかというと――たぶんそれって、三浦さんだから、としか言いようがないんじゃないだろうかと思う。
 前にも思ったことがある。三浦さんは確かに誤解されそうなことを言いがちではあるけれど、他の奴が彼の言っていることを一言一句真似たとしても、おそらく彼と同じ結果にはならない。それは例えば声の調子とか、喋るときのリズムであったりだとか、視線の動かし方、仕草のひとつひとつ。そういう細かい無数の何かを全て拾い上げて、三浦さんの持つ雰囲気になっている。彼がこれまで生きてきて自然と形作られていったもの。具体的に説明できないのなんて当たり前で、直せないのも当たり前。ちょっと言葉遣いに気を付けた程度じゃ焼け石に水でしかない。より三浦さんの仕草を敏感にキャッチするタイプの人間が引っかかり続けるだけだ。それこそ人生やり直さないとこれを完全になくすのは無理。
 そして。全部やり直してしまったら、きっとそれは三浦さんではなくなってしまう。

prev / back / next


- ナノ -