羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 年末進行、大掃除、納会。瞬く間に年末年始休暇に突入して、しばしの休息だ。とは言っても一人暮らしの部屋を久々に本腰入れて掃除して、年越しに備えて食料を買い込んだら本当にやることがなくなってしまった。実家は近いし割とこまめに顔を見せてるから、この混む時期にわざわざ帰ったりはしない。
 暇になるとどうしても考え事が増える。そして、今俺の頭を占めるような考え事なんてひとつしかないわけで……。
「あー……不毛……」 
 失恋を楽しむってどうすりゃいいの? 経験なさすぎて分かんないんだけど。今頃三浦さん何してるのかなとか考えてみて、ストーカーみたいな思考にげんなり。気持ち悪。
 ――あの日俺の前髪にそっと触れてきた彼の手つきを、今でも必死で思い出している。
 ほっそりとした指先は、もしかすると触ってみたら案外皮膚が厚いのかもしれない、なんて思う。ギターを弾く人の指がどうなっているのか、まじまじと眺めたことはないからただの想像だけど。俺がそれを触って確かめる機会はきっとない。体温が低いという自己申告が本当なのか、確かめる機会もきっとない。ずきん、と心臓が痛みを訴えかけてくる。
 想いが溢れて苦しい。重症だ。もしかしたらこういうときにみんな好きな人に連絡したりとかしてるのかな。俺はどちらかと言うと頻繁な連絡を負担に思う側だったはずなのに、自分の変化が凄まじすぎて逆に笑えた。
 こんな風にぐだぐだ考えてるくらいなら少しでも自分の身になることをした方がいい。試しに自分のPCに入れてみたプログラミング用のソフトを立ち上げて、最近買った参考書のサンプルコードを参考にしながら自分でも書いてみる。俺が普段何気なく使ってるアプリとかも、裏ではこういうコードが無数に書かれてるのかな、なんて想像して。
 さて一通りできたぞ、とそのプログラムを実行してみた……のだが、最初からスムーズにいくわけないのが俺である。起動するかな、と思った瞬間にエラーが出て強制終了してしまった。
「あれ? んー……どこか間違ってる……んだろうなー……」
 三浦さんも言ってた。プログラムは書いた通りにしか動かない、って。つまり、上手く動かないようなものを俺が書いてるってこと。どこかで間違えてるのだ。
 でも、あからさまに間違ってたらそもそも起動する前にエラーで教えてくれるんだったはず。つまり、ぱっと見は合ってるように見えてる。実際はどこかがおかしい。
「………………ど、どうしよ……」
 ちらっと思い浮かんだことがある。三浦さんに連絡したら教えてくれたりしないかな、って。でも、勉強を口実にしてるみたいというかまさにそうだし、事前に約束してるわけでもない休日に連絡をするのは三浦さんの休日を邪魔することになってしまいそうだし、この思いつきを即実行するのは憚られる。
 勉強のためって言ったら断られないと思ってる? それはあまりにも図々しいんじゃない?
 そんな風に自問自答して、どうにか心を落ち着かせようと努めた。うかれるな。冷静になれ。こんなことで連絡したら迷惑だろ。
 ……本当は分かってる。三浦さんは、“こんなこと”で迷惑がるような人じゃない。俺がただ怖いだけ。際限なくなりそうで不安なだけ。俺のこういう我儘や欲望が受け入れられてしまったら、それはいずれエスカレートする。歯止めが効かなくなる。それが分かるから、嫌だ。
 ふう、とため息をついた。一旦保存して、後からもう一度見直せばどこがおかしいか分かるかもしれない。今日のところは終わりにしよう。
 そう思った瞬間、机の上に置いてあったスマホが、ぴこん、とメッセージの受信を告げた。
 誰だろう? とロック画面に表示される名前を見て、それが今まさに連絡しようか悩んでやめた相手だったので慌ててスマホを手に取った。何も考えずにロック解除して、『うわ。既読はやっ』と追撃されてきたメッセージに心拍数が上がっていく。
『どうしたの?』
『スミマセン休日に。あの、兎束さん林檎好きだったりしません……?』
 リンゴ? と首を傾げていると、『というか電話していいですか?』と聞かれたのでどきどきしながら『いいよ』と返す。そこからのアクションはすぐだった。
『――あ、兎束さん? お疲れ様です。今大丈夫でした?』
「大丈夫大丈夫。なんでリンゴ?」
『いやー……実家から箱で届いたんですけどおれ一人じゃ絶対腐らせちゃうから、兎束さんが林檎嫌いじゃなければ少し貰ってほしくて。物はいいのですごく美味しいです』
「あれ、ご実家青森の方だっけ?」
『超都内ですよ。実家に届いたのが横流しされてきたんですけど、実家にはまだ二箱あるっぽい』
「大変じゃん。俺でよければ貰うよ」
『ほんと? ありがとうございます。マジで量多いんで助かります』
 ほっとしたような吐息混じりの笑い声が耳元でして、思わず背筋が震えた。どうしてこうもタイミングよく連絡がくるのか。嬉しくなってしまう。彼が困ったときの選択肢のひとつに挙げてもらえたことが嬉しい。心臓がきゅうっと絞られるような、体の奥から熱くなるような、そんな感覚。
 届けに行きますよと言われたけどそこまでさせるのは申し訳なかったから、三浦さんの出掛ける予定のあるときについでに会えないかと提案してみた。もしかしたら年末年始は一切外に出ない人かな、と一瞬思ったけど、どうやら明後日CDを買いに行く予定があるらしい。
「実店舗まで行くんだ?」
『うん。おれが把握してないやつも店行けば勝手に目に入ってくるので……あと単純にCDショップが好き』
「へー……」
 うかれたらだめだ、と頭の中では分かっているのに、考えるより先に口が動いた。
「ねえ、それ俺も一緒に行っちゃだめ? 買い物は一人でしたいタイプ?」
『え、一緒にきてくれるんですか? 嬉しいです。ぜひ』
 あっさりすぎるくらいの快諾だった。薄々分かっていた。だからこそ、思考がぐちゃぐちゃになる。自分の自制心のなさに対する憤りと、予想外に会えることになった喜びが混ざり合う。
「なんか、話聞いてたら俺も久々に店頭で見たくなったから」
 俺の言葉に相槌を打ってくれる三浦さんの声に嬉しそうな色を感じてまた心臓が痛んだ気がした。彼の信頼を裏切っている。もうずっと。それなのに会いたい気持ちを優先させてしまう。俺はそういう人間だった。
「――……あ、そうだ、三浦さん。ちょっと聞きたいことがあって。実はさっきまでプログラミングの勉強っぽいことしてたんだけど、試しに書いてみたコード全然動かないっつーかエラーみたいになっちゃうんだよ」
 ほら。今だって、少しでも声を聞いていたくて会話を引き延ばそうとしてる。
『エラー? メッセージ出ます? 現象は?』
「ごめん、メッセージ出てるけどいまいち何が起こってるのか分かんない……ビルドは通るんだけど起動した瞬間落ちる」
『えー? ブレークポイント置いて具体的にどこで落ちてるのか分かりません? 一行ずつコード追って……おれがエラーメッセージ見た方が早いかな』
 俺が内心、ブレークポイントどこに置けば最初に止まるんだったっけ……と焦っている間にも、三浦さんは『まだそんな難しいコード書く段階じゃないですよね。だったら単純にバッファオーバーしてるか参照ミスってるか……いややっぱ見た方が早いわ』とどんどん話を進めていく。
『ほんとは画面共有のがいいんですけどー……とりあえずビデオ繋げられます? それでPC画面直で映してくれれば見ますよ』
 言われるがままにビデオを繋いで、その後はとんとん拍子。三浦さんは一瞬で『あ。落ちるのここのせいですね』と原因を見つけて修正用のコードを教えてくれた。それだけじゃなくて、同じようなエラーが起きにくいコードの書き方まで丁寧に。
 寂しいな。三浦さん優秀すぎて俺のつまづき一瞬で解決しちゃったよ。もう会話を続ける口実が思いつかない。口実が思いつかないなら、電話は切らなきゃいけない。
 ……やっぱりエスカレートしてる。こんな高望み、ちょっと前なら絶対しなかったはず。
 こういうとこばっかり予想通りで嫌になる。もっと必死になって自制しなきゃいけないのに。万が一この気持ちを知られてしまったらおしまいなのに。
 結局その後は待ち合わせの時間を決めて少し喋ってから通話を終了させた。コードを保存してPCの電源を切って、ベッドにダイブする。
「……ほんと、どうすりゃいいの…………」
 つくづく実感する。俺には失恋を楽しめるほどのメンタルの強さがないってこと。ついでに自制心もない。せめてどっちかあればよかった。
 こんなに苦しいのに会えるのが楽しみなのは誤魔化しようのない事実で、そのことに余計心臓が絞られるような痛みが走る。
 目を閉じるとじわりと涙が滲んできた気がして、嗚咽が漏れないように必死で息をした。大丈夫、まだ大丈夫。三浦さんには絶対に悟らせない。この家を一歩出た瞬間から、完璧に隠す。泣くのはこの部屋の中でだけ。大丈夫。……大丈夫。
 とりあえず……気分転換のためにも、後でリンゴの大量消費メニューについて調べておこうかな。

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