羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「かんぱーい!」
 カチンッ、とガラスが軽くぶつかる音が方々から聞こえてくる。今年は飲食店の地下を貸し切ってバイキング形式の忘年会。みんな好きに料理や酒を取りに行くゆるい雰囲気で、テーブルを移動したりもしやすい。
 隅の席に上手く着席できて安心だ。離席しやすいし、何より、三浦さんを人混みの中に放り込みたくない。……すごく身勝手な独占欲。
 三浦さんはあまりビールは好まないみたいで、日本酒やワインを楽しそうに飲んでいる。この人、初っ端から割と度数強めのやつ選ぶんだよな……。アルコールには比較的強いみたいだし酔ってるのが分かりやすく顔に出るタイプでもないけど、飲み進めていけばやっぱり口調とかふにゃってなるし血色もよくなってくる。
 俺は三浦さんがあんまりふにゃふにゃになってるとこ他の奴らに見られたくないよ。この気持ち分かるかな。分かるわけないよね。分かってもらっても困るしね。
 一人で内心大騒ぎである。馬鹿みてえ。
「ね、ちゃんと食べてます?」
「ん? 食べてるよ。ありがとう」
「よかった。兎束さんて見た目細いのに力あるし割と食べる方ですよね」
「運動部の名残かも。三浦さんはあんまり食べないよな」
「波があるだけで食べるときは割とがっつりいきますよ。肉が好きです、肉」
「それは知ってるー」
 男子高校生みたいなメニュー頼むよね。その割に痩せてるし。
 テーブルを挟んで正面に座っている女子社員たちが、俺たちを交互に見て、「兎束さんと三浦さんって仲良かったんですね」と少し驚いたような表情をしている。三浦さんはというと、「うん。どうやったらもっと仲良くなれるかな〜って考えてるとこです」なんて笑い混じりに返した。……え、この人愛想悪い設定忘れてない? 忘れてるよ絶対! 言ってる内容は嬉しいけど!
「なにそれ可愛いじゃないですか〜! 三浦さん前にちらっと見かけたときと印象違うかも。話しやすい人で安心しました」
「そう? ありがとうございます。こういう飲み会でまともに喋るの初めてだから、おれも同じテーブルに座ったのがこんな話しやすい人たちで嬉しいです」
 グラスを傾けながら「ラッキーでしたね、おれ」と微笑む三浦さんに、その女子社員たちは「え〜……? そうですか? ふふ」「ありがとうございます」と顔を見合わせ満更でもない表情を見せている。そして体の向きを僅かに変え、三浦さんと本格的に対話する姿勢をとった。……意識的なものなのかそれとも無意識なのか、分からないけど。
 俺はそこでようやく、さっさと止めておけばよかった……と後悔する羽目になる。そういえば三浦さん、素でこういうこと言う人だった。俺も度々喰らってるから分かるけど、マジでこの人の発言には何の含みもない。言葉通りの意味しかない。深読みするとえらい目に遭うよ、ほんと。
 一体俺は何ポジションなのか。心の中で向かいに座る二人に忠告らしき叫びを向ける。まあエスパーじゃないから通じないんだけどさ。たぶん彼女たちが三浦さんに話し掛けてきたの、俺が一緒にいたせいだから余計責任を感じる。
 料理取ってきますねぇ、と彼女たちが中座した隙に、隣にいた三浦さんをつつく。もくもくと唐揚げを咀嚼しているのが無駄に可愛いなと思いながらこっそり耳打ちした。
「三浦さん、愛想悪い設定忘れてません?」
「…………んっ!? もっと早く言ってくださいよ! 一通り喋っちゃったよ!」
 三浦さんはのけぞるように耳元を押さえ、俺から距離を取って小声で叫ぶ。や、やっぱりこの人迂闊だなあ……キャラ付け守ろうよ、もうちょい頑張ってさ……。
 職場でああいうやりとりって一歩間違えたら引かれると思うんだけど、三浦さんのは下心や“その気”が一切ないからなのか、さっきの子たちには随分と好意的に受け止められたらしい。
 たぶん言ってる内容だけじゃなくて、声音とか仕草とかそういうの全部ひっくるめて独特の雰囲気を作っている。ただ同じ台詞を真似るだけでは三浦さんと同じようにはならないだろう。三浦さん自身は『すぐ距離感バグる』『馴れ馴れしくなる』なんて悩んでいるみたいだったけど、相手はそんなこと思ってないだろうと俺は予想している。
 確かに、距離感は近め。でもけっして不快ではない近さなのだ。異性に嫌がられないぎりぎりの近さを素で成立させられるの、普通に特技って呼べるんじゃないかな。
 俺は心の中にもやもやしたものが広がっていくのを感じていた。だってさっきの彼女たちのあの表情、どう見ても『あ、この人アリかも』みたいな顔だった。態度で分かる。今まで何とも思ってなかった人間を異性として意識した瞬間。
 ……いいな。あの子たちはその気になれば、三浦さんにアピールできるんだもんな。俺とは違って。
 もし俺が女だったらどうしてたかな。気持ちを伝えたりしただろうか。少なくとも、今ほど絶望的な感情を持て余すことはなかったと思う。告白したら受け入れてもらえるかな、って悩む余裕すらあったかも。もちろん現実は、告白という選択肢すら用意されていない。仲良くできて嬉しい、と何度でも伝えてくれる三浦さんを裏切りたくない。この気持ち自体が裏切りだと言われてしまったら、もう、どうしようもないけど。
 ……三浦さん的に社内恋愛ってアリなのかな。仮にうちの会社の女子社員から告白されたら付き合う?
 素の三浦さんは来る者は拒まずな雰囲気あるから、もしアピールされたら、いくら猫被ってるとはいえ変に邪険にしたりはせずに素直に受け入れるんじゃないかな……って思う。だって基本的に誰かと一緒にいるの好きな人じゃん。
 考えれば考えるほど悪い方向に思考が流れてしまってこめかみの辺りが痛んだ。アルコールで思考を飛ばそうかと一瞬思ったけどすぐに却下。俺にはまだやるべきことがたくさんある。
 ――俺もさ、三浦さんとどうこうなれるわけないってこと頑張って受け入れるから。今こんなしんどい気持ちになってることくらいは許してよ。我慢するから。絶対表に出さないから。
 こうやって、隣で酒飲めるだけでも十分だから。
「うわーもー……兎束さんが傍にいると安心しちゃって駄目かもおれ……」
 俺の気も知らず隣でぼやいている三浦さん。まーたそうやってむやみやたらと俺を喜ばせるようなこと言う。いつか慣れる日がくるんだろうか、これに。

 料理を持って女子社員たちが戻ってきてから、俺はなるべく彼女たち中心で会話を回すことに全力を注いだ。三浦さんがあまり彼女たちと喋らなくても不自然じゃないように。三浦さんが口を開くときは、俺との会話になるように。
 なんでこんなに必死かって、そんなの単純。惚れた弱味だ。三浦さんがあんまり会社で他人と喋らないようにしたいなら協力する。俺の利害とも一致してる。好きな人が他の奴といい感じになってるの隣で見るって憐れすぎるじゃん……。
 そうして体感三倍くらい時間の進みが遅いことにげんなりしていたとき、隣のテーブルの隅に座っている先輩が懐に手を入れるのが一瞬視界に入った。何かが引っかかって、直後に思い至る。
 あ。あの先輩そういや煙草吸う人だ。食後の一服は絶対にする人。
 最近は喫煙者も少なくなってきたけど、それでも皆無にはなってない。先輩はそんな、数少ない喫煙者のうちの一人だ。俺は別に煙草を毛嫌いしてるわけじゃないし煙も苦手じゃないけど、三浦さんの傍で吸われるのは困る。だって、彼は歌う人だから。
 俺は反射的に隣にいた三浦さんを見た。目が合って、きょとんとした顔で黙って首を傾げる仕草に心臓がひとつ跳ねる。……これは、純粋に三浦さんの心配をしているからであって、女の子たちから遠ざける体の良い口実だなんて思ってな――いや、やっぱ嘘だわ。ちょうどいいって思ってるわ。ごめん。
「三浦さん、他のテーブルにちょっと遊び行こ」
「え? いいですけど……」
 よし、三浦さんが素直でよかった。「そろそろ他のテーブルにも挨拶行ってくるね」と目の前の二人に伝えた後でその場から迅速に離れて、「あ、兎束! 三浦サンも! こっちこっち」と呼ばれるまま適当なスペースに腰を落ち着ける。俺らの代の同期多めのテーブルだ。三浦さんは、この間の飲み会のときに随分と同期のメンバーに慣れたらしい。……逆かも。他の奴らが三浦さんに慣れたのかも。
「三浦サンこういうときいっつも隅っこ座ってるから話し掛けづらかったんだよね。今日は兎束も一緒でよかったぁ」
「既に酔ってません? 佐藤さん顔赤い」
「だいじょーぶです。だいじょーぶ。三浦サンももっと飲も!」
「ちょっ、三浦さん既に割と飲んでるから! 不用意に勧めんな!」
「えっ何兎束ウケる。過保護なの?」
「過保護なの!」
「断言してるし! マジで仲良くなっちゃってんね。そんなウザいこと言い出すキャラじゃなかったじゃーん」
 悪かったな! 必死なんだよこっちも!
 それはそれとして三浦さんに鬱陶しがられてたらかなりショックだな……と勝手に落ち込む。何か言われたわけでもないのに。あーもう、勝手に落ち込むし勝手に不安になるし何より勝手に独占欲発揮するし、最悪じゃん。何一つ三浦さんのためにならない。
 飲みの席でガチへこみしかけているみじめな俺。でも、ヘコむ理由が三浦さんなら復活する理由も三浦さんなわけで。
「おれすぐ調子に乗っちゃうから、兎束さんが見ててくれて嬉しい。ありがと」
 小声で囁かれて視線を隣に向ければ、アルコールのせいかほんの少し頬の紅潮した笑顔がそこにはあった。流石に体の向きを調節して他の奴らから表情を隠せるくらいには平静らしい……と頭の隅で考えると同時に、それってつまり意識的に俺にだけこの笑顔を見せてくれてるんだよな、と心臓が痛くなった。
 あんまり特別扱いしないで。
 嘘、めちゃくちゃ嬉しい。
 嬉しくなっちゃってごめん。この気持ちは頑張って隠し通すよ。だから三浦さんは安心して笑ってて。

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