羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「……兎束さん、見すぎじゃないですか……?」
 遠慮がちに声をかけられて、そこで初めて、自分が三浦さんのことを見ていたのに気付いた。今日は、今年最後の休日勉強会だ。俺は慌てて三浦さんから距離をとる。
「うわっ、ごめん」
「や、いいですけど。どうかしました?」
「な、なんでもないです、なんでも」
 特に三浦さんとどうこうなるつもりはないんだけど、それでもやっぱり好きな人を前にするとそわそわ落ち着かないわけで。可愛い系とか綺麗系とかいう話をしたのもあり、ついその整った顔に視線が向いてしまったのだろう。
「いやなんでもないってことないでしょ……言い訳下手すぎません?」
「あー……眼鏡のレンズ分厚いなと思って見てた」
 言い訳が下手すぎる、と数秒前に呆れた表情を見せていた三浦さんは、重ねた俺の下手すぎる言い訳に対しては「眼鏡? これないと何も見えないんですよね」と律儀に返事してくれる。素直で、基本的に人を疑わないタイプ。正直言ってめちゃくちゃ危なっかしいけど今は助かる。
「何も見えないの? どのくらい?」
「立ってる足元も見えないくらいです」
「危な! あれ、でも昔は眼鏡じゃなかったよね? CDジャケットに写ってたのとか」
「……あ、あの、あんまりその辺りのことつっつかないで……恥ずかしいから……」
 えっ何その反応可愛いな。なんなんだ。
 三浦さん、見る限り羞恥心薄めっぽいんだけどこういうときはめちゃくちゃ弄り甲斐のある反応をしてくれる。そこまで恥ずかしいんだろうか。別に恥ずかしがることないと思うんだけど。だって、あんなに見た目もやってることも全部かっこいいもん。
「昔話はやっぱNG?」
「んう……うー……兎束さんなら、大丈夫です」
 そんですぐ折れるじゃん……可愛くて腹立つな……。
「あの頃はコンタクトだったんですよ。眼鏡の方が楽なんで、今は眼鏡してますけど」
「へー……あの、これは完全に出来心なんで全然断ってくれていいんだけど」
「えっコワ……なんですか?」
「眼鏡貸して」
 微妙に誤魔化した言い方をしてしまった。眼鏡を貸してほしかったというよりは、眼鏡を外した三浦さんを見てみたかったのだ。そんな俺のよこしまな思いに気付いていないのであろう三浦さんは、疑う様子なんて一切なく「どうぞ。あ、待ってレンズ拭きます」と眼鏡のレンズを着ていたトレーナーの裾で拭いた。この人割と雑だよな、こういうとこ……。
「はい」
「ありがと。分厚いなやっぱ」
「これでもお金かけて限界までレンズ薄くしてるんですけどねー。やっぱある程度は仕方ないっぽいです」
 眼鏡を慎重に摘みながら会話の途中でこっそり三浦さんを見て、「うわっ」と思わず声が出た。密かにじっくり観察しようと思ってたのが台無しだ。でも、そのくらい驚いた。三浦さんはというと俺の表情はいまいち見えていないらしく、「え、何? うわって何? なんも見えないから怖いんですけど。虫でもいました?」なんて怯えている。
「ごめんごめん! あの、眼鏡外したら三浦さんの目が急に大きくなったんでびっくりしただけ」
「いや大げさ……こっちがびっくりです」
「眼鏡外して可愛くなるのって現実だったんだな……」
「バカにしてません? スミマセンね童顔で」
「馬鹿になんかしてない。これはマジ。俺三浦さんの顔好きみたい」
 三浦さんが何も見えていないのをいいことに余計なことまで口からこぼれ落ちる。一方的に情報のアドバンテージを握っているのはずるいと分かっているのに、周りがよく見えなくて心許ない様子の三浦さんを気付かれないよう観察するこの感覚は気持ちいい。趣味悪いな。分かってる。
 黙ってると目つきちょっとキツめの涼しい印象で、口を開くと途端に幼く見えるのが三浦さん。普段度の強い眼鏡で隠れているけれど、黒目がちのくっきりとした二重で睫毛も長め。かなり目元の印象が強い人だった。眼鏡で隠すのが勿体ないくらい。でも、印象が強いからこそ隠したかったんだろうな、というのもなんとなく想像できる。
 そこまで考えて、ふと全然三浦さんの声が聞こえてこないことに気が付いた。あー、顔が好きとか気持ち悪かったかな。
 様子を窺うべく目元をアップで見てたのを引きにした。そしたら。
「…………いや恥っず……無理………………」
 半分消えそうなくらいの小さな声で、呻くように言葉を絞り出すのを聞いた。首の辺りまでほんのり赤く染まっていて、あ、この人はインドアだからあまり日に焼けていないんだ、と場違いなことを考えてしまう。顔の左半分を覆った左手が、おそらく存在しない眼鏡を押し上げようとして空振りする。眼鏡かけてる人って眼鏡外してるときも本当にこれするんだ。癖になってるんだろうな。
 ……え、というか待って今『無理』って言われた!? そんな嫌だった!?
「ご、ごめんそこまで嫌だった……? 眼鏡返します!」
「ハ……? そこまで嫌って何が?」
「『無理』って言ったじゃん。ごめん、急に顔が好きとか気持ち悪かったよな」
「あーそういう……いや、今の無理はその無理じゃなくて、単におれのキャパが無理っていうか」
 その無理ってどの無理!? 三浦さんたまに言ってることよく分からないんだよな……。俺の頭が悪いから理解しきれてないんだろう。申し訳ない。
 眼鏡をかけ直した三浦さんはまだちょっと恥ずかしそうにしていたけれど、俺をじとーっとした目で見つめてくるくらいには復活したらしい。とりあえずほっと一安心だ。
 三浦さんは、今度こそ空振りせずに眼鏡を押し上げた。鼻当てじゃなくて、レンズの下の部分のフレームを人差し指と中指で支えている。指の付け根の辺りを頬に沿わせるような仕草だ。
「……別に全然、気持ち悪いとかはないです」
「そ、そお……よかった……」
「でもおればっかり弄ばれて悔しいです」
「人聞き悪くない!? ただちょっと顔が好きって言っただけじゃん」
「いやほんとに悔しい。おれ元々こういうの耐性ある方なんですよ。顔が好きとかバンドやってる間散々言われたし? むしろ聞き飽きてるレベル! なんで今更こんなガチ照れしてんの!? ……っ」
 三浦さんは、途中で急ブレーキをかけるみたいに喋るのをやめた。どうしたんだろう? 言葉が見つからなかったんだろうか。
「……っつーか真面目な話、三浦さんの方がそういう発言多いよね……?」
「ハ? 何? 言いがかりですか?」
「違う! こっちが恥ずかしくなるような発言ぽんぽんぽんぽんするじゃん」
 俺がこの人の何の気なしの言葉にどれだけ心を乱されているか。いや、言わないけども! 俺だってめちゃくちゃ恥ずかしい! もう毎回毎回恥ずかしい思いしてる! ほんとに!
「そうですっけ……? でも兎束さん別に恥ずかしがったりしてないですよね」
「そんなことない。頑張って平静装ってるだけ」
「え、ずるくないですか? おれは装えないのに? ずるくない?」
「ずるくない。反応分かりやすくて可愛いから三浦さんはそのままでいて」
「う、うるせえよ……何よ……」
 あーだめ、今のきゅんとした。何この感情は……初めてのことで混乱するんですけど……。
 三浦さんの口調が時々崩れるのが好きだ。距離が近付いた気がするから。ただ敬語じゃなくなるってだけじゃなくて、もっと乱暴というか、雑になる瞬間がある。今みたいに。この人、たぶん元々敬語そんなに得意じゃないんだろうな。
 反応が素直で分かりやすくて、喋ってると安心する。こういうとこも好きだなあ……と考えて、自分の思考回路にまた寒気がした。やだなこの恋愛脳みたいなやつ! マジで頭馬鹿になってる気がする!
「あ。今のは分かった。兎束さん今照れてます? タイミングが謎すぎるけど。思い出し照れ?」
「うわっ、表情読もうとしなくていいから!」
「なんで照れてるの? 照れどころありました? 今」
「深く考えなくていいから!」
 もう全然勉強にならない。ただ楽しくお喋りしてるだけになっちゃってる。大義名分というか、表向きの理由はちゃんと保っておきたいからこの状況はかなりまずい。……そう思うのに、楽しくてやめられない。やめようって言えない。
 ねえ、なんで注意してくれないの。『もっと真面目にやってください』って言われたら反省するし、頑張って真面目にやるよ、俺。勉強に関係ない話はなるべくしないようにする。それなのに、なんで三浦さんは俺と一緒に楽しそうにしてくれるの。怒らないで相槌打ってくれるの。
 頭の中でそんな理不尽な言葉を思い浮かべる。どこまで自分勝手なんだよ俺は。馬鹿みてえ。
 おそるおそる三浦さんの方を見ると、当然のごとく目が合った。そしたら彼は僅かに首を傾げて、下から見上げるように、悪戯っぽい笑顔を見せた。
「おれも兎束さんの顔好きですよ」
 かっ、と頬が熱を持つ。血液が顔に集まっていくのが分かる。
 気の利いたことなんて何も言えなくて、顔色を誤魔化すこともできない。
「あ。今照れたでしょ?」
 してやったり、みたいな顔で得意気な様子の三浦さん。こんな、子供の仕返しみたいなささやかな言葉でここまで乱されてしまう。だめになってしまう。
 ほんと、厄介な人を好きになってしまった。俺の心臓、酷使しすぎて労働環境改善の陳情書とか出されそう。
 そんな現実逃避をしないことには、この心臓の鼓動をなだめることなんてできそうになかった。

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