羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 あのとき初めて気付いたとかそういうのではなくて、きっと薄々分かってたことだ。分かってたくせに見ないふりしてた。それがあの瞬間、認めざるを得なくなったってだけ。
 恋愛対象に同性を含める知り合いがいないわけでもなくて、誘われた経験も何度か。実際に付き合ったりセックスをしたりといったことはないけれど、知識はそれなりにある……といったところ。俺のこれまでの恋愛関係、俺のことを好きになってくれた人と付き合う――って感じだったから、自分から好きになったのが新鮮だった。
 俺が好きになるのってああいうタイプなのか。自分じゃ全然分からなかったな。
 なんというか、俺は根が明るくないから、あんまり明るい人と一緒にいると気疲れしちゃうんじゃないかって思ってた。飲み会とかも実はめちゃくちゃ疲れるし、四六時中誰かと一緒ってしんどい。だからこう、あんまりべたべたする感じじゃなくてある程度放っておいても大丈夫で、俺のことも適度に放っておいてくれるような距離感の人が好みなんだと思ってた。それこそ目の前の彼女みたいに。……ああでも、好意は口にしてくれた方が嬉しいかな。安心するから。そんな感じ。
 だから、初めて自分から好きになった相手が三浦さん……というのは、かなり意外だ。
「えー、そお? “明るくて人懐っこくて優しい”みたいな子、対人最強じゃない? 嫌いな奴いないでしょー」
 目の前でパスタをくるくる巻いているのは、今はただの優しい先輩になった人。もしかして予言ってこのことだったのかな、って思って連絡してみたら、『え、早漏すぎない? 早くても年明けかと思ってたなぁ』とあけすけに言われてしまった。だから仕事帰りに待ち合わせして、こうやって夕飯一緒に食べてるってわけ。
「まあ、確かにみんな好きだよね、そういう人は……」
「そりゃね。そんな子なら私だって好きだし。懐いてきたら可愛いでしょ? まあ猫被りだと最悪だけど」
 猫被りに関しては三浦さんに限ってはないから安心だ。何せあの人、印象悪くする方向で猫被って人だからな。改めて考えると意味が分からない。
 まさか言えるわけがないのでぼんやりと頷きつつ、ちょっと複雑な気分になる。俺がまさに懐かれて可愛いと思ってしまった人間だから。おっかしいな……そういうの寧ろ冷めた目で見ていられるタイプだと思ってたんだけど、自分のこと。
 どうにも、三浦さんと仲良くなってから自分がどんどん変わっていっている気がする。楽しいような怖いような気分だ。三七くらい。
「――で、その湊くんの想い人は可愛い系? 綺麗系?」
「ん、んん、…………ど、どっちだろ……綺麗系かな……」
「歯切れ悪っ」
 だって綺麗とか可愛いとかじゃなくてイケメンだし……。俺とは顔の系統全然違う感じ。黙ってるとシャープな印象なんだけど実は童顔だから、にこにこ喋ってるとものすごく幼く見える。たぶんあれ、眼鏡外したら更に幼くなるんじゃないかな……なんて、彼のかけている眼鏡の分厚さを思い出しつつ考えてみたり。
 最初は目つき悪いなーって思ってたけどあれはたぶん色々と気を張っていたからで、今となってはふにゃふにゃだし、あとは目の下のうっすらとした隈が消えれば完璧だと思う。寝不足体に悪いじゃん。でも残業多くて自分の時間が少ないんだろうから、睡眠削るのもやむなしなのか……?
「食べるの止まってるよぉ?」
「う、うわ……ほんとだ……なんか落ち込む……」
「なんでよ」
「自分がこんなことでしっちゃかめっちゃかになってるのが普通に嫌……」
「十分落ち着いてるように見えるけど。というか『こんなこと』って言わなくてもよくない? 建設的な話しようよぉ、その子とどうやったらセックスできるかとか」
 小声で囁かれたそれに、俺は漫画みたいに噎せてしまいそうになりながらもどうにか気持ちを落ち着かせる。目の前の彼女はそれを見て、「え、ガチで好きなんじゃん。可愛い〜」と笑う。そうなのか……? そこまでなのか……!?
「……いや、っつーか相手とどうこうなるつもりないし」
「何言ってんの? あ、もしかして既婚者? それとも彼氏持ち?」
「違うけど。それ以前の問題」
 同性だしね。俺にとっては何も言わずに諦める十分な理由になる。
 そもそも今日こうして夕飯を一緒に食べようと思ったのは、心配してくれたであろうことに対してお礼がしたかったのと、あとは傷心を癒したかったから。結局またメンタルヘルスに利用しちゃってるじゃんと言われたら返す言葉もない。でもまあ、失恋を友達に慰めてほしいと思うくらいはいいでしょ……許してほしいんですけど……。
「既に諦めムードなんだ?」
「まあね」
「ふーん……」
 そっか、と言って、彼女はパスタをフォークで巻き取る作業を再開させた。こういう、本当に深入りしてほしくない部分を分かってくれるところが有難い。
「……まあ、諦めるにせよ、今の状態をちょっと楽しんでみるくらいはしていいんじゃない?」
「楽しむ?」
「そう。だってほら、恋愛って楽しいよぉ? 失恋込みで」
「失恋込みで!? メンタル鋼じゃない?」
「んふふ。そお?」
 彼女が続けてぽつりと呟いた言葉は俺の耳には届かなかった。なんとなく、最初から聞かせるつもりはないんだろうなと思ったから聞き返さずにおく。
「話し相手に選んでもらえて光栄だったかも。気分いいからデザート頼んじゃおうかなぁ」
「いいじゃんデザート。今日はありがとね、付き合ってくれて」
「こちらこそ。このお店のフォンダンショコラ美味しいんだよね、冬季限定」
 フォンダンショコラか。チョコケーキの中に溶かしたチョコレート入れましたみたいなやつだっけ? これからバレンタインシーズンに向けて、ますますチョコ系のデザートが出てくるのだろう。
 三浦さんもフォンダンショコラとか好きそうだよなー、にこにこ食べてくれそうだよなー、と考えて、自分の思考回路に寒気がした。侵蝕されすぎだろ。勘弁してよ。
「湊くん、赤くなったり青くなったり忙しそうだけど大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫……」
「ほんとかなぁ」
「ほんとに大丈夫なんで!」
 会話を強制終了させて、とっくに冷めつつあるパスタにフォークを差し込む。そんなわけないのに口の中が妙に甘い気がして、いつまでも気持ちが落ち着かなかった。

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