羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「えっと……ごめん、急に触っちゃって」
「いやそれは別に……あの、……言い訳させてもらってもいいですか」
「言い訳?」
「そう、言い訳……! バンドは隠してたわけじゃなくて……いや嘘です。隠してました。隠してましたね……」
「めちゃくちゃ混乱してるじゃん……もうちょい落ち着いてからでいいよ、というか無理に説明しようとしなくてもいいよ、俺がうっかり見ちゃったのが悪いんだし」
 三浦さんは視線をうろうろと彷徨わせて、ついには無言で部屋を出て行ってしまった。もしかして怒らせた? と体温が下がったのも束の間、キッチンの方から何かの作業をしている音が聞こえてくる。
 やがて戻ってきた彼の手には、マグカップがあった。
「兎束さんもどーぞ」
「わ。ありがと。落ち着いた?」
「微妙〜っすね……」
 はあ、とため息をつく三浦さん。自分のマグカップを両手に抱えて暖を取っている。中身はたっぷりの牛乳で溶いたホットココアで正解だろう。
「この話、触れない方がいい? 質問NG?」
 軽く尋ねてみると、三浦さんは少し黙って、「ん……兎束さんなら、いいですよ」と言った。『兎束さんなら』という響きがなんだかくすぐったい。
「バンドやってたってことは……楽器弾けますよね?」
「まあ人並みには……敢えて弾けるって言うほどでもないですけど」
「ポジションは? あれ、ポジションってなんか違う気がする……担当? 担当楽器?」
「ギターボーカル……」
「歌いながら弾く人!? すご! っていうかそうだよな、歌めちゃくちゃ上手かったもん……やっぱ俺の気のせいじゃなかった……」
 テンションがた落ちの三浦さんに反比例ではしゃいでしまって少しだけ申し訳ない気持ちも湧いたけれど、どうしても好奇心が勝つ。俺、音楽全然詳しくないんだよね。軽音部とかの存在は知ってるけど、友達がギターケース担いでるの見てかっこいいなーって思ってたくらいの関わりしかない。
 三浦さんは、そんな俺を見て微かに笑う。あれ、ちょっと復活?
「なーんか色々腑に落ちてすっきりした」
「何がですか?」
「三浦さんがバンドマンなの分かるなあって。高校から大学までってことは七年くらい?」
「そう……ですね。みんなでバンドとして活動してたのはそのくらい。まあおれにはバンド活動あんまり向いてなかったんですけど」
「言いたくない系なら言う必要ないですよその辺り」
「ありがと。つっても自業自得なんで……今は、一人で曲作ってソフトに歌わせてネットにあげたりとか、そんな感じでやってます」
 ソフトに歌わせて……? ……あー、あれか、機械の合成音みたいなやつ? 元カノでそういうの好きな子がいた。カラオケで歌ってたりもしたかもしれない。
「へえ〜! 楽しそうでいいな。あれだっけ、ネットからメジャーデビューしてる人もいるんだっけ」
「そうすね。というか兎束さんその辺りの知識あるんだ」
「それはまあ、色々と」
「元カノの影響でしょ」
「予想ついてるなら突っ込んでくるのやめようよ。正解だけど」
 作った曲を自分では歌わないのか質問してみると、「んー、自分で歌う労力かけるんだったらその間にもう一曲作りたいなーって」というあっさりとした回答をもらった。なるほど、自分の曲は自分で歌いたい、みたいな欲求は薄めか。
「でも三浦さん歌うの好きだよね?」
「好きですよ、曲作ったりギター弾いたりのが多いけど。もっと言っちゃうとプログラミングの方が好きですね」
「そうなんだ!?」
「あ、でも“敢えて順位をつけなきゃいけないなら”って感じで……。おれ趣味は色々つまみ食いしちゃうから。このふたつは特に向いてたやつです」
「三浦さん特技多いな……めちゃくちゃすごい……」
「そういうわけじゃないですよ。たまたま……ちょっと見栄えのする趣味と、仕事に直結する趣味があったってだけで」
 あ。たぶん今、三浦さんの触れられたくない部分に掠ってしまった。声の温度で分かる。これはただテンションが落ちてるってだけじゃなくて……まるで何か嫌なことを反芻しているような感じ。
「ごめん、根掘り葉掘り聞いちゃった……ごめんね」
「そんな何度も謝らなくてもいいですよ。それに、核心部分は敢えて聞かないようにしてくれてるでしょ」
 そう。物凄く気になるけど聞かない方がいいって分かってる。外見をここまで変えたきっかけ――が、あるはずだってこと。
 きっと、そのきっかけは楽しいものではないだろうってことも、予想がつく。
「だって……聞かれるの嫌だろ、流石に。友達ならまだしも同僚にって」
「え、そこで区切られる方が嫌かも。おれ、兎束さんとはそういうの関係なく仲良くしたいです」
 超仲良くなる気できてくれるんじゃないの? と首を傾げる三浦さんは、俺の随分前の発言も覚えてくれていたらしい。喜んでる場合じゃないのにどうしても嬉しくなってしまう。
「なんかね、やっぱり聞いてて楽しい話じゃないと思うので……おれ、兎束さんがこうやって一緒にいてくれるときは、いつも楽しい気持ちでいてほしいんです。だから聞かないでくれたの嬉しかった。ありがと」
 そんな風に言ってもらえるほど上等な人間じゃないよ、俺……。だって本心じゃ気になってる。聞いたら三浦さん困るかなって思ったのも確かだけど、それ以上に、不用意に事情を探って嫌われたら絶対に嫌だって思った。結局自分勝手な理由だ。
「……俺、は…………」
 三浦さんがお礼を言う必要はないよ、とか、でもこれ内心ぶちまけちゃったらかっこつかないよな、とか、ぐるぐる考えてしまう。普段は言葉に詰まることなんて殆どないのに。ちゃんと取り繕えているのに。三浦さんの前だと上手く“普段の俺”ができない。
 最終的にどうにもならなくなって、「き、気にしなくていいから! ほんとに! 三浦さんと喋るのいつも楽しいから……」と、ぐちゃぐちゃな言葉をこぼしてしまう。どうか本気度だけは伝わっててくれ、と祈るような気持ちだ。
 祈りが通じたのか、三浦さんはまだちょっと恥ずかしそうに、はにかむような笑顔を見せてくれた。
「あは。つまんない話しちゃった。許してね」
 すぐさま頷いておく。許すとか許さないとかいう話でもないけどね!
 と、ここで俺はいいことを思いついた。たぶんこれも三浦さんは嫌がる……かもしれない……けど、我ながら可愛らしいお願いだと思ったので勢いのまま三浦さんが適当に棚に放っていたCDを再び手に取る。俺の願望と、ちょっとの策略。さて、どんな反応をするだろう。
「ね、三浦さん。俺このCD聴きたい」
「……えっ、絶対やだ」
 三浦さんは、嫌というよりは「信じらんねえこいつ」みたいな顔をしていた。だってだって、ギターボーカルって言ってたしこれ歌ってるの三浦さんなんでしょ? そんなんどう考えても聴きたいじゃん!
「どれでも好きなのかけていいって言ったくせに……」
「いやっそれは……それはさあ、分かるでしょ……!?」
「今だけ分かんないです」
「うわあもうこの人マジか……かわいい言い方したって駄目ですよ」
「あっでも生の弾き語り聴きたい! めちゃくちゃ聴きたい。どうしよう……」
「待って『どうしよう』って何が!? なんで聴く聴かないじゃなくてどっちを聴くかで悩んでんの!?」
「えー? えへへ。超仲良くなったら聴かせてもらえるかなって。どうしよ、無理強いしたいわけじゃないし一年後……いや、半年後くらいを目標に……」
 三浦さんは、苦し紛れみたいな感じで「ここマンションだし……」なんて言ってるけど、俺は薄々予想できてる。微妙に会社から遠いし各停の電車しか停まらない最寄り駅でおまけに駅からもちょっと歩くマンションって、つまりこういうことじゃない?
「このマンションって防音でしょ。しかもかなりしっかりしてるやつ。違う?」
 案の定、三浦さんは言葉に詰まって黙り込んでしまった。そして数秒遅れて、「……兎束さん、営業だけじゃなくて名探偵にも向いてるかも」と言った。はは。褒め言葉として受け取っておこうかな。
「……二十四時間演奏可で個室があって家賃そこそこだとこういう立地になるんですよ……」
「うわ、二十四時間ってすごいな!? あーでもそれだと三浦さんの場合熱中して睡眠時間もガリガリ削れそう」
「見てきたみたいに言いますね……? まあ正解なんですけど……仕事が残業多めなんでどうしても二十四時間オッケーなとこがよくて」
 こっちも正解だ。人となりに詳しくなるくらい親しくできてるってことだと思うと嬉しい。俺は、三浦さんの声のトーンがすっかり平常に戻っていることにほっとしながらCDを棚に戻す。
「――じゃあ、名残惜しいけど今日のところは帰るね。もう割といい時間になっちゃってるし」
 三浦さんが自分にとって嫌なことを思い出したりしたのは、俺がCDを見つけてしまったせい。だからこそ、俺がどうにかその気持ちを浮上させることができれば、と思ったのだ。だから敢えて図々しいことも言ったし、楽しくなれそうな会話運びも心掛けた。思い上がっているみたいで少し恥ずかしいのだが、どうやら俺との会話は暗い気分が更に沈むようなものではないらしい。それだけでも嬉しいことだ。
「帰るの……? おれがキョヒったから?」
「なんで。違うよ。俺三浦さんとは長く付き合っていきたいし、そしたらこの先聴く機会もきっとあるじゃん? それに、今名残惜しいくらいでやめとけばまた次ここに来る口実もできるから」
 また来ていいんだよね? とからかい半分の気軽な声音を意識して尋ねると、三浦さんはこくこく頷いた。えー、めっちゃ素直。可愛いな。こんな反応がくるんだったらもっとマジなトーンで言っとけばよかったわ。
 俺は、「駅まで送ります」と言ってくれた三浦さんの厚意を有難く受け取って帰路につく。三浦さんはいつも二人でいるときよりもちょっぴり口数が少なくて、そういうところも微笑ましい。
 新しいことを知るたびに、またひとつ知りたくなる。
 こんなに楽しいのに、まるで底なし沼のようで怖い気もする。
 ……なんて、考えている間に駅が見えてきた。ものすごく濃い一日だったな。楽しかった。
「三浦さん。今日楽しかった。ありがとう」
「や、こちらこそ……途中取り乱しちゃってスミマセン」
 謝ることないのに、と思わず呟くと、「おれが勝手に気まずいんです……」と返された。
「俺は、ちょっと距離が縮まった気がして嬉しかったよ」
 電車の時間が迫っていたのと、恥ずかしいことを言った自覚があって言い逃げしたかったから、「じゃあまたね」と言ってすぐに改札口へと足を向ける。改札をくぐって逃げ切り成功か、と思った瞬間、背後からもうすっかり聞き慣れた声が俺を追いかけてきた。
「――またね!」
 よく通る綺麗な声だった。この雑踏の中でもすぐに分かる。分かるようになった。三浦さんの声質だけが理由じゃなくて、これは俺の意識の問題でもある。
 振り返りたい衝動を抑えるために深く息を吸って、吐いた。
 喉が、ひんやりとした空気をめいっぱいに受け入れる。少しはこれで落ち着けるかと思ったのに、不思議な高揚感がいつまでも体に残っていた。

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