羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 翌日、三浦さんの家の最寄駅まで迎えに来てもらって一緒にお昼を食べた。俺としてはあまり長時間だと気を遣わせるだろうから昼の遅めに行って、どんなに長くても三時間くらいでお暇しようと思ってたんだけど、
『えー。せっかく会うならご飯一緒に食べたいです』
 という三浦さんの一言で、会社の昼休みくらいの時間から会うことになった。三浦さんってお世辞言う感じの人じゃないし好意がストレートだから、つい安心してこういう提案に乗っかってしまう。いや、というか、もう何も取り繕えないんだけどだだこねてるみたいな口調で『えー』って言ってくる三浦さんが普通に可愛くて言われるがままに折れた。
 たぶんこの人、自分の言動が許されるラインを的確に攻めることができるんだと思う。要するに俺は『えー』って言えば折れるだろうと認識されてるってことで……それもどうなんだ。絶対におかしいだろ、可愛いとか思っちゃってることも含めて……何もかも……。
 俺は悶々とした気持ちを抱えつつ、隣でノートパソコンのキーボードを叩いている三浦さんを観察する。会社にいるときはシャツと着丈長めのカーディガンとかシャツと厚手のセーターとかいかにも無難な服装なんだけど、今はちょっとデザイン性の高めのセーターをシャツなしでそのまま着ている。細身の黒いボトムスとのバランスも綺麗で、会社で会うときのイメージより痩せているように思った。会社では着ぶくれしてるんだなきっと。自席が寒いから?
「……あ。そういえば、資料ありがとう。わざわざまとめてくれて」
「役に立ちそうでした? 一応専門用語っぽい部分は軽く補足入れましたけど、適当にググってくださいね」
「立つ立つ。読んでる途中で、あっもしかしてあのときのあれはこういうこと言ってたの!? ってちゃんと理解できたもん。個別の処理の大元の決まり? とかになるとなかなかカバーできなくて……」
「営業さんが処理仕様全部理解できてたらもうその人が全部作ればいいじゃんってなっちゃいますし、分業でいいと思いますよそこは。おれも仕様の根拠追うのに官報読むのめんどいなーっていつも思ってます」
「あれわざと分かりづらく書いてるんじゃないかって今でもちょっと思う……」
 三浦さんくらいできる人でもやっぱり面倒なものは面倒なのか。お堅い文章が読みづらいの俺が頭悪いからだと思ってたけど、三浦さんにとっても面倒ならちょっと安心した。
 そんな感じで仕事の話をしながら和やかに勉強会は進んでいって、普段はやっぱりオフィス内だから周囲に遠慮しつつ喋ってるんだけど今日は周りを気にせず色々な話をすることができて嬉しい。
 そうして一区切りがついた頃には、既に日は傾きかけていた。長居しちゃ悪いから……とかなんとか思っていたはずなのに、結局長々楽しく過ごしてしまったというわけだ。
「はー……やっぱ人に教えるのって神経使いますね。分かりづらくなかった? 大丈夫でした?」
「いやめちゃくちゃ分かりやすかったから! 寧ろ俺の理解力がいまいちでごめんねっていう……」
「兎束さんって時々変に卑屈なのなんで? 自主的に頑張ってるのにね」
 自主的に頑張ってるのは元々の出来が悪いって自分で分かってるからだよ! あとプログラミングに関しては完全に動機が不純。よこしまな気持ちからなのであんまり褒められると気まずいです。
 ……にしても、こんな風に他人に指摘されることって実は殆どない。俺は自分の性質が割と根暗寄りなのを知ってるけど、周りからはそうは見えてないだろうってことも分かってる。でも三浦さんはこうしてたびたび言及してくる。不思議と危機感はなかった。取り繕わなくても大丈夫だと思わせてくれる。
 自分の思考回路が恥ずかしくなってきて、思わず視線の先に迷ってしまう。勉強中は意識してなかったけど、三浦さんの住むマンションは一人暮らしにしては広い。立地的にはたぶん俺の住んでるとこと家賃同じくらいだと思うんだけど、俺のとこより一部屋多い。
 ぼんやり室内を眺めて、俺はふと壁に並んだ棚に何が収まっているのかに気付いた。
「わ、これもしかして全部CD? 多っ」
 CDのプラスチックケースがずらっと並んだ棚だ。三浦さんは、「え、今? 気付くの遅くないですか?」と本気でびっくりしている。自分がどれだけ緊張していたのかが分かって更に恥ずかしい。俺、緊張すると極端に視界が狭くなるんだよー……。
「すごい、人の家にこんなたくさんCD並んでるの初めて見たかも」
「兎束さんは買わないですか? CD」
「スマホで一曲買い切りが便利でそればっかりなんだよね。昔は気に入ったやつ買ったりしてたはずなんだけどなー……三浦さんはCDまだまだ現役なんだ?」
「そうですね、やっぱ現物で欲しいみたいなとこあって」
「好きなんだね。コンポもこれかなりいいやつじゃない?」
 少し気持ちが落ち着いたので色々なものが意識できるようになってきて、俺はそんな風に言う。ただCDを聴くだけなら明らかにオーバースペックであろうことがうかがえるコンポが棚に収められている。スピーカーがめちゃくちゃ大きい。
 三浦さんは恥ずかしそうに笑って、「音そこそこいいと思うから、もしよかったらどれでも好きなCDかけていいですよ」と言ってくれた。え、悩むな……。
 PCの操作をしている三浦さんを横目に、俺は棚に収納されたCDを左上から順番に見ていく。メジャーどころから聞いたことないグループまで様々だ。邦楽洋楽混合で、今年大ヒットを飛ばしたシングルがあるかと思えばクラシックオーケストラのCDもあったりする。すごいな、でもジャンルごとに棚を整理するタイプではなさそうだな、とか考えながら右下まで視線を滑らせて、そこであるものが目に留まった。
「……あれ? 三浦さん、こっちによけてあるやつは?」
 棚の片隅に、無造作に平積みされた何枚かのCD。もしかしてしまい忘れ? と思って手を伸ばし、ジャケットが見えるようにひっくり返そうとした――ら。
「ハ? ……っだー!? 待って! ストップ!」
 突如、後方から制止の声が飛んできた。
 もしかして初めて聞いたかもしれないくらいの大声にびくっと肩が跳ねたけれど、それだけじゃ勢いは殺せない。
 くるり、と。曲名リストの裏、ジャケットが現れる。
 視界に入ったのは灰色に差し込まれたカラフルな色だった。どうやらペンキで汚された壁らしく、その前の階段に連なるようにして四人の男性が写っている。成人してるかしてないかくらいに見えるから、ギリギリ男の子って歳かもしれない。若いなあと思いつつ、そういやなんで三浦さんはストップって言ったんだろ? と考えを巡らせて、唐突に気付く。
 ……ん? これ……もしかして、三浦さん?
 中央右側、ひときわ目を惹く造作の男性。眼鏡じゃないし髪型も違うけど、整った顔立ちは目の前にいる人と同じ特徴を示している。何より、大量に存在を主張しているピアスが非常に既視感のあるものなのだ。前フル装備を見せてもらったけど、ホールの位置とかたぶん一緒だよね?
「三浦さん、これ……」
 言いつつ写真から顔を上げたら、思い切り目を逸らされた。
 沈黙。
 おそらく一分ほどそのまま経過して、おれはだめ押しに再び口を開く。
「ね、これ三浦さんだよね?」
「…………どうでしょうね………………」
「いや三浦さんでしょ。ピアスホールの位置まったく一緒じゃん。というか顔も一緒だし」
「双子の兄がいるって言ったら信じます?」
「この状況からだと信じられませんね」
 三浦さんは、ぐわっとこちらを向いて俺の手からCDを取り上げる。そして完全にやけっぱちな感じの声音で叫んだ。
「――っああそうですよおれですよ! バンド! やってたの! CD手作りしたりライブ出てチケット売ったりして! 高校から大学まで!! これは……まあ……アー写…………そう……」
 最初の威勢のよさはどこへやら、三浦さんは急に力をなくして黙り込んでしまった。かと思えば「はーもう……そこにあるのが当たり前すぎて存在忘れてたわ……」とぶつぶつ言っている。俺はというと、なんだか色々な違和感のピースが気持ちよく嵌まったような感覚で三浦さんと写真とを見比べてしまう。
 ――ああ、そっか。“こっち”か!
 陰キャ自称するわりに人好きのする感じとか、軽口にもさらっと対応してくれるところ。大勢の集まる飲み会や、人に囲まれてる状況でも動じずどんどん喋れるさばけたところ。女性に対して慣れ故の雑さが垣間見えるところ。もう完全に偏見なんだけど、元バンドマンならめちゃくちゃ分かる。なるほどこっちが性格の土台か……と感動してしまった。
 というか。というかさ。
「三浦さん……めちゃくちゃかっこいいですね……薄々分かってたけど……」
 やっぱり女子はよく見ている。これは疑いの余地なくかっこいい。ふわふわの髪は今より随分と短く綺麗にセットされていて、幼さの残る顔立ちと目つきが少しキツいところがいい塩梅にマッチしてる。細身で背が高いから見栄えもするし、これで楽器弾けるとかモテただろうなー!
 三浦さんは俺の不躾な視線にも怒ることはなかった。ただ、消え入りそうな声で絞り出すように言った。
「……う、づかさんって、おれの秘密ピンポイントで抜いていきますよね……毎度毎度……」
 手の甲を鼻先に当てるようにして顔を隠してしまった三浦さんは、それでも隠し切れないほど頬を赤く染めている。この様子だと耳まで真っ赤になっていることだろう。
 どきりと心臓が大きく跳ねた。こんなに動揺している三浦さんを見るのは初めてだったから。自然と、手が邪魔だな、なんて思う。俺は、気が付いたら三浦さんの手首をそっと掴んでいた。腕を引くと、簡単にその羞恥に染まった表情を確認できる。
「えっ何……? な、なんですか」
「あ……え、なんだろ。もっとよく見たいなと……思って?」
 自分でも上手く説明できない衝動だった。三浦さんは困惑しているのか、抵抗するようなそぶりはない。なんだかこのままじゃよくないことになる気がして、焦燥感に追いたてられるように手を放す。
 三浦さんの手は、ゆるりと落ちた。

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