羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 いつもなら一次会で終わりなんだけど、今日が金曜日だったことと三浦さんの合流が遅かったことから、二次会の提案が持ち上がった。三浦さんは「二次会? いいですね」とあっさり快諾。この人、マジで飲み会好きなんだろうな……。
 俺も、誘った手前最後まで付き合うべきだろう。そんなわけで参加決定。
 家が遠い数人が先に解散し、やってきたのはカラオケだ。突発的な二次会だったからめぼしい店に空きがなかったのである。
 歌うのは嫌いじゃないけど、大勢で集まってるときは他に歌いたい奴がいくらでもいるから聞き役でいることが多い。聞き役の方が楽だから寧ろ助かるっていうのもあったりして。
「三浦サンってこーいうとき歌う人?」
 もうすっかり三浦さんへの苦手意識も失せたらしい幹事が、マイク片手にそう尋ねている。あ、ちょっと気になるかも。三浦さん声かっこいいしな……歌うの平気な人だろうか。
 三浦さんはマイクを見てちょっと黙って、なぜか俺の方を向いた。
「どしたの?」
「兎束さんは歌うの好きですか?」
「うん。嫌いじゃないよ。特別上手くもないけど!」
 謙遜すんな〜! という茶々がすかさず入る。「兎束は上手いよ、オレ情報」なんて調子のいいことを言ってくる幹事をあしらっている間に三浦さんは何か自分なりに納得したらしく、一人でうんうんと頷いている。
「じゃあ兎束さん一緒歌お。嫌じゃなければ」
「えっマジ? 選曲は?」
「お任せします」
 お任せしますは三浦さん困らない!? と思ったものの、「大丈夫大丈夫」という謎の自信に押し切られる。この人どんな曲聴くんだろ……。考えても当然分からなかったので、無難に最近流行っててサビならみんな歌えるでしょくらいのところを攻めてみた。「これ知ってる?」「知ってます。ベースラインがいいよね、好き」予想外に具体的な返答があったことに内心驚きつつ、ピピピ、という曲の送信音を聞く。
「三浦サン、ほんと兎束と仲いいね」
「うん。兎束さん優しいですよね」
「あーね。いつも気が利くなーって思います。そっかー、オレももうちょい根気よく優しくしとけばよかったかなぁ」
「おれが人付き合い苦手なだけなんで、みなさんのせいじゃないですよ」
「言うほど人付き合い苦手そうな感じしないけどなぁ」
「そう見えてるんなら有難いですね」
 流れで褒められて若干恥ずかしい。でもやっぱり嬉しい。なんだかおこぼれにあずかったような気分だ。
 はい、とマイクを手渡されて、みんなも適当に歌ってよ、なんて言っていたらほどなくしてイントロが流れてきた。ノリがよくて、テンポ早めのポップチューンだ。三浦さんはマイクを握った手を膝の上に置いていて、もはやマイクの意味はあるのかという感じだったけれど、まあ細かいことは気にしないでおこう。
 ……そうして無難に歌い進めていたのだが、一番のサビが終わった辺りで俺は内心首を捻っていた。
 あれ……なんか……え、三浦さん、歌、上手くね……?
 最初は、隣から聞こえてくる音が主旋律とは全然違って、ん? ってなった。でも聴いてて気付いた。これもしかしなくてもハモリだったりする?
 自分も歌ってるからあまり三浦さんの声にだけ注力して聴けないんだけど、主旋律だけでは成立しない心地よい響きが俺の隣でこっそりと流れている。いつもより歌っていて気持ちいいし、自分まで歌が上手くなったような気分だ。他の奴らは気付いているのだろうか。
 思わずちらっと三浦さんの方を見ると、三浦さんも俺のことを見ていたようで目が合った。
「――兎束さんって、歌い方も優しいね」
 間奏が流れている最中、内緒話のような密やかな声。その音にはどこか嬉しそうな色が混ざっているのが分かる。口元がやわらかく綻んで、マイクがそこにゆっくりと近付いていく。あ、三浦さんって指が長いんだな、と初めて気付いた。
 その曲の二番が始まったとき、三浦さんの声はとても控えめな、一歩引いた感じの主旋律を歌うものへと変わっていた。
 さっきまでの、俺の聞き間違いだった?
 そんなことないと思うんだけど。
 周りの奴らもいい感じに盛り上がっていたのでこっそりと自分の声量を絞って、隣の耳に心地いい声を意識的に手繰り寄せる。そういえば人間の脳って、雑音の中でも意識的に特定の音だけ聞くようにできる……みたいな話をどこかで聞いたことがあるけど、人間にその機能が備わっててよかった、って思った。
 でもやっぱり、もっとちゃんと聴きたいな。
 曲が終わってからも俺は周りの奴らにバレないように余韻に浸る。この人について知りたいことがどんどん増える。ちょっと前までは名前すらあやふやだったのに。
 この感覚、少し覚えがある。深入りしたらまずそう、ハマったらどうしよう、みたいな。俺の好みに合致していることが薄々分かってるからこそちょっと遠ざけておきたい、そんな感じ。
 でも、こんなこと考えてる時点で全然遠ざけられてないし、手遅れなのだ。きっと。
「三浦さん」
「なんですか?」
「今度、三浦さんが一人で歌ってるとこ聴きたい」
「えー? なんでですか。そんな面白くもないですよきっと」
「面白いっていうか、純粋に気になったから」
「一人で歌うの恥ずかしいから兎束さんと一緒に歌ったのに」
「それも全部加味した上で言ってる」
「悪趣味すね」
 憎まれ口と表情が全然一致してない。三浦さんは楽しそうな表情で俺を見ていて、その声は妙に甘く聞こえる気がする。
 ――ほんと、深入りしちゃ絶対だめなタイプなのにな。
 それでも、親しくなれた今の方がずっと楽しいことを知ってしまった。一度知ってしまうと、知らなかった頃には戻れない。
「……俺しか聴かないならいい?」
「兎束さんだけ?」
「うん。恥ずかしいならいつか俺にだけ聴かせてよ」
 普段散々恥ずかしい発言をされてるから、俺だってこれくらい許されるだろう。そう思ってつい、ただの同僚にだったら絶対に言わないようなことを言った。
 断ってくれていい。『え、嫌ですよ』ってばっさり言ってくれていい。『そういうことは女の子に言ってあげればどうですか』なんて呆れてくれてもいい。寧ろそれを少しだけ期待してた。それなのに、三浦さんはなんでもない風に笑って瞳を細める。
「いいよ。じゃあその後は交代で兎束さん歌ってね」
 ここがカラオケボックスで、暗くてよかった。俺はさっきからずっと熱を持っている頬をどうにもできずに持て余している。
 明るいところで見たらめちゃくちゃ赤くなってるんだろうな。
 確認なんてできないけど。

 結局、終電ぎりぎりまでカラオケボックスでうだうだと飲んで、誰がいつ帰ったか把握できない感じの雑さでその日の飲み会は終わった。三浦さんは最後までいた。もういちいち驚かない。
 帰宅して微妙にアルコールの残る体を風呂場でさっぱりさせて、俺はベッドに倒れ込んだ。飲み会での色々なことを思い出す。今度から三浦サンも誘うから! という幹事の酔いの回った声に送り出された三浦さんは、見間違いでなければいつもより機嫌がよさそうだった。
 まだ顔が火照っている気がする。酒が抜けきらないまま風呂に入ったから……では、ないのだろう。
 いやもう絶対おかしいんだよ。なんなんだこれ。
 顔の熱さも脈拍の速さも酒のせいにしてしまえたならよかったのに。誤解を恐れず言うなら大体三浦さんのせいである。ぎゅっと目をつむるとあの声が思い出されて、ベッドの上で無駄にじたばたしてしまった。
「タチ悪いのはどっちだよ……もう……」
 吐く息まで全部熱い。
 この熱の源泉が何なのか分からないことが怖かった。
 少し考えたら分かってしまいそうなことが、何より一番おそろしかった。

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