羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


「兎束さぁ、最近なんか三浦サンと一緒にいること多くない!? ずっと聞きたかったんだけど!」
 定期開催してる同期飲み。酒と料理でいい感じに温まってきた頃合いで、俺は正面にいた奴からそんな疑問を投げ掛けられた。途端に周囲からも「あっそれ気になってた! たまに二人で昼飯食いに行ってるよね。定時後も一緒にいるし」「うわマジ? あの人同僚と仲良くする気ないんだと思ってた……」「兎束がオトしたかー」と次々声が上がる。
 この流れちょっとまずいなあ……と思いつつ、俺は当たり障りない返答を心掛けて喋る。
「え、そんな意外? ふつーに飯食ってるだけよ」
「意外すぎ! この飲み会だってさー……新人の頃に三回連続定型文で断られてから三浦サン誘えなくなっちゃったもん、心情的に」
「あまりにも喋らなすぎてもはやどんな声かも思い出せないし……」
「というかあの三浦さんとどんな話すんの!? 共通の話題ある……?」
 営業、開発、管理本部問わず、なんだかんだ浮いた同期のことは気になっていたらしい。三浦さんは人付き合いが嫌いなんだと思っていたから今まで積極的には接点を持たずにいたけど、そういうわけではなかったのなら普通に同僚として親しくしたい……といったところなのだろう。
 前に三浦さんについて色々と話してくれた開発部女子が、「三浦さん今日残業っぽかったけどもう帰ったかな? 呼んだら来てくれたりしない? 今から来るんだと時間的にちょっとしか飲めないから迷惑かな?」と提案してくる。気付けば俺たちの周りには、そわそわとした不思議な空気が漂っていた。期待もあるけど来てくれるか、来てくれたとして飲み会を楽しんでもらえるか、少し不安、って感じの。きっとみんなアルコールが入って若干気が大きくなっていて、やめようと言う奴はいなかった。
 押し切られるようなかたちでスマホを取り出す。周りの奴らが景気づけにと酒を追加しているのを横目に、液晶をタップした。
『三浦さんまだ会社?』
 とりあえず探りを入れてみる。まだ会社にいてほしいような、そうでないような、矛盾した気持ちだ。その理由を自分の中で整理するよりも早く、俺のメッセージに反応があった。
『会社ですけど。もう残ってんのおれだけですよ。どうかしました?』
『今日飲み会やってて。同期の奴らが、三浦さん呼べないかって言ってるんだよね』
『え、なんでですか。リンチ?』
『いやいやいや! みんな三浦さんと話したがってるの! まあ今からだと時間もあんまり残ってないんだけど』
『尚更なんでですか……』
 みんな三浦さんのこと気になってるんだよ。孤高の人かと思ってたら最近俺と交流し始めたから。
 まさかこのまま伝えるわけにもいかず、『ほら、同期だから機会があれば仲良くしたいと思ってたんじゃない?』と送信してみる。
 そしたら、急に電話がかかってきた。
「わっ……ごめん、ちょっと席外す!」
 慌てて立ち上がり、「がんばれ〜!」という謎の応援を背に一旦外へ。通話ボタンを押すと、『あ……スミマセン。何も考えずに電話しちゃった』という声が鼓膜を震わせた。
「や、大丈夫。どうかした?」
『兎束さんは?』
「え?」
『兎束さんもおれが行った方がいいって思ってます? 他の奴らに言われて仕方なく連絡したとかじゃなくて?』
 おれに来てほしいと思ってる? と尋ねられてどきっとした。三浦さんと一緒に飲むのは楽しい……けど、それを周りの奴らに広く知られるのはなんか嫌だ。
 俺が言葉に詰まったのを三浦さんはどう受け取ったのか、『……今の質問意地悪でしたね。スミマセン。忘れてね』と気遣わしげな声で言ってくる。
「や、違うから! ちょっと待って、整理させて。んーと、変に聞こえちゃったら申し訳ないんですけどー……」
 電話の向こうはとても静かだ。俺の言葉を待ってくれている。俺は、どうにかこうにか自分の感情をマイルドに表現する言葉を探しつつ、そもそもなんでこんな焦ってるんだ、なんて自身に呆れてしまう。
 こんなガキみたいな独占欲同期の男に抱いて、おかしいだろうが。
「……三浦さんと一緒に酒飲むときは、大勢いるときよりもサシ飲みの方がいいなって思った……だけ。ほら、たくさん人いると一人の持ち分減っちゃうじゃん」
 微かに三浦さんが笑ったのが分かった。『兎束さん人気者ですもんね』と柔らかなトーンで聞こえてくる。
「べ、別にそんなんじゃ……」
 言いながら、少しだけほっとした。『そんなにおれと喋りたいの?』って言われたらどうしようって思ってたから。しかも、そっちの方が本質なのだ。言わないでおいてくれたのは三浦さんの優しさなのかそれとも純粋に俺のことを人気者だなんて思ってくれているのか、分からないけど。
『……分かりました。ちょっと顔出します』
「ほんと? 誘っといてなんだけど全然、無理しなくても……」
『や、飲み会自体は好きなんですよね、向いてないだけで。それに、声聞いたら兎束さんの顔見たくなったし』
「えっ」
『店のアドレス送っといてください。会社の近くですよね? 戸締りしてから行くんで十五分くらいかかります』
 もつれそうになる舌をどうにか抑えて「分かった」と言って、もたつく手でスマホを操作して、ようやく店の地図情報を送る。夜風が冷たいはずなのに、頬が火照って仕方なかった。
 ……い、今の何。さらっと言ってたけどさらっと流せる発言じゃなかった気が……!?
 ばくばくと、まるで全身が心臓になってしまったかのようだ。酒に酔っているというだけでは説明できない。これまでも三浦さんのどきっとさせられる発言は度々あったけど、今回はそれがよく分からないくらいに刺さった。
 声聞いたら顔見たくなった、とか。
 俺の中じゃ口説き文句にしか使わない語彙なんだけど。
 いや、それにしたって俺がここまで動揺してるのはどう考えてもおかしいけどな!?
 三浦さんは絶対深い意味もなく言ってるし、どう考えても俺が過剰反応。いや、特に深い意味もなくあれを言うのもすごいんだけど……あれ、聞く人によっては勘違いを与えそうだよな。
 なんかさ、そういうこと言われてるとまるで、めちゃくちゃ好かれてるみたいに思っちゃうよ。
 分かってんのかな。分かってないんだろうな。
「……あつい」
 思わず独り言が漏れた。随分と長い時間中座してるし、早く戻らないと。
 何もかも分からないことばかりだけど、今の俺にとっては、三浦さんが来たときにその顔がまともに見られるか、そればかりが心配だった。

「……こんばんは。なにこれ、なんで全員いるの? 恒例行事ですか?」
「そう。定期的に同期飲みしてるんだけど、三浦さん新人の頃誘われた記憶ない? 幹事はずっとこいつがやってくれてて」
 十五分後。当然の如く俺の隣にぽっかりと空けられたスペースに誘導されてきた三浦さんは、俺の示した幹事の顔をちょっと首を傾げてしげしげと眺めた。
「あー……スミマセン。断っちゃったかも。というか断りましたね」
「いやいやいやいや全然! 無理強いよくないですもんね! というか来てもらってから聞いちゃうんですけど三浦サンお酒飲める人でしたっけ……?」
「お酒……」
 一瞬、三浦さんの視線がこちらを向いた。ど、どういう感情!?
 まだ電話のときの熱が体に残っている気がしてどぎまぎしてしまう。
「あ、無理して頼まなくていいですからね! ウーロン茶とかもあるんで。アルコール無理だったらごめんなさい」
 おそらく緊張で口数の多い幹事に三浦さんは、「……や、貰います。何があります?」と口を開く。
 勧められるままに場にあった日本酒を飲み始める三浦さん。お通しが追加で出てきて、静かにそれをつまんでいる。……ちょっと緊張してる? そういえば、初めて一緒に飲んだときも序盤は少しぎこちなかったかもしれない。
 最初は様子見の姿勢を貫いていた幹事が、そうやって次々重ねられる杯に驚いた様子で声をあげる。
「わ、三浦サン意外にお酒強い人? いいペースですね」
「顔に出ないだけ……というか、兎束さんとまったく同じこと言いますね」
「ありゃ。天丼しちゃった、ごめん兎束」
「おれそんな酒弱そうですか?」
「お酒飲むイメージなかったんですよ。マジメそーって感じで。眼鏡だし」
 隣でちらちらと様子を窺っていた俺は、あ、と思う。三浦さんではなくて、幹事の表情が僅かに驚きに染まったのが見えたからだ。こいつが今何を見て驚いたのか俺には分かる。それは俺もかつて味わった感情だから。
「――っはは、『眼鏡だし』って。おれどう見ても真面目側の眼鏡じゃないでしょ」
 軽やかな笑い声に、不思議と心臓がきゅうっとなった。
 周りの奴らも視界の端で三浦さんのことを気にしているような、そんな空気が場に流れているのを感じる。
「うおお……めちゃくちゃ失礼なこと言っていいですか?」
「どうぞ」
「三浦サン笑うんだ!?」
「ハ? おれもしかしてロボットか何かだと思われてます?」
「いや、入社してから初めて目撃した気がするので……お酒の席だと意外に話しやすいですね。めっちゃ収穫でした。今度から頼み事するときは飲み会に呼びます」
「いや仕事関係なら普通に就業時間に言ってくれれば対応しますよ……? 何かあるんですか?」
 その場のノリで喋っただけかと思いきや、どうやらきちんと頼みたいことはあったらしい。これはオレ個人の感想なので流してもらってもいいんですけど〜……という前置きで語られたのは、勤怠アプリの機能改善についてだった。
「残業時間申請するのにいちいち時間選択するのめんどくない? オレはね、めんどいなーっていっつも思ってるの!」
「はあ」
「特にさー、営業って直帰とか外出とか入力項目多くてぇ……数日分まとめて記録したりするときはいちいち前の日報確認しなきゃだし。なんかこう、いい感じに自動的に入らないかなって。いい感じに。具体的には何も思いつかないんですけど」
 ふわふわすぎる要望だったが、それでも三浦さんはしっかりと中身を汲み取ったらしい。「要するに、日報確認しなくても残業時間が勝手に反映されるようになればいいって感じですか?」とまとめる。
「そんな感じ〜! そう! そんな感じです!」
「なるほど。…………じゃあ、例えば日報に登録した勤務時間のデータを勤怠アプリの方に引っ張ってきて、残業申請の画面で自動的に表示されるようにしたら手入力しなくて済みます。どうですか?」
「えっ細かいことはよく分かんない……オレが二十時まで残業したって日報に書いたらその時間が連動される系ですか?」
「そういうイメージで大丈夫です。流石に日報は毎日記録しますよね? というか、残業申請もできれば溜めずにやってくださいよ。そしたら日報確認しなくても覚えてるでしょ」
「厳し〜! そこはほら、オレみたいなズボラにとって便利なら他のみんなにとっても便利ですよ」
 ね! と力強く同意を求められたので苦笑いしつつ頷いておく。周囲からも、「そうなんだよね、毎日記録してないのが悪いんだし……って思って言い出せなかったんだけど」「日報確認しなくて済むなら便利だよね」なんて意見がちらほら上がる。
「えええ……言ってくださいよ、おれの要件定義だけじゃカバーできないです。特に営業側の勤務の実情なんて把握してないですし。そもそもこの会社の人たちアプリの使い心地とかもフィードバック少なくて本当に使ってくれてるのか不安だったんですけど……」
 ぽそりと添えられた言葉に俺たちは慌てて「使ってる使ってる!」とフォローを入れる。確かにお知らせ流れてくるとき使用感教えてね的な文言もあった気がするけど、完全にテンプレだと思って読み流してしまっていた。みんな口々に、機能が分かりやすいし操作もしやすいよ、なんて言っている。
「……そう? ならよかった。役に立ってるならおれも嬉しいです。機能追加もこれくらいならすぐ対応できるんで、月曜に試用版出しますね」
 今日金曜なんだけどさらっと『月曜』って言ったな……なんて感心していると、会話が一旦落ち着いたらしい三浦さんにちょんちょん、と隣から手の甲をつつかれる。
「ん? どしたの?」
「誘ってくれてありがとうございました。来てよかったです、今日」
「マジ? 安心した……ほんとに……」
 無理強いしちゃったかなとうっすら思ってたから、『来てよかった』と言ってもらえて一気に体の力が抜けた。
「おれ何か変なことやらかしてなかったですか?」
「全然。いい感じでした」
 小声で聞かれたので小声で返すと、そろそろ序盤のハイペースな飲酒が効いてきたのか三浦さんはふにゃりと表情を柔らかくして、「兎束さんが言ってくれるなら大丈夫すね」と囁いた。
 あまりにも真っ直ぐすぎる信頼のような何かを正面からぶつけられて、俺は気恥ずかしさを誤魔化すようにビールのグラスに口をつける。
 この迂闊すぎる三浦さん、もうちょっとだけ他の人にはバレないでいてほしいなあ……無理かなあ……。

prev / back / next


- ナノ -