羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 三浦さんの好きなもの。甘い物が好き。たっぷりの牛乳で溶かしたホットココア、仕事の合間につまむチョコレート。寒くなってくるとコンビニにチョコ系の商品が増えるのと、バレンタインシーズンが毎年楽しみで冬が好き、らしい。
「おればっかり教えるの不公平じゃないですか? おれがひとつ教えたら兎束さんも教えてくださいよ」
「俺? 俺は……んー、洋食よりは和食。煮付けよりは焼きがいいかな。天ぷらとかも好き。塩派です」
「そうなんすね。おれどっちかっていうと洋食のが多いです。天ぷらはおれも塩がいいけど。……あーでも天つゆも美味しいですよね……今日駅地下の蕎麦屋にしません? 天ぷらせいろ食べたくなりました」
「いいね。俺舞茸の天ぷらにしようかな」
 もうこうして食事を共にするのも何度目だろうか。今となっては、同期の中で一番三浦さんに詳しい自信がある。まあ三浦さんの俺以外との交流が極端に少ないってだけなんだけど……。
 目が合って、「どうしました?」と疑問混じりの笑顔を向けられて、体がもぞもぞするような不思議な感覚だ。くすぐったい、落ち着かない、据わりが悪い……みたいな。これについてはまだ慣れない。
 それこそちょっと前までは、三浦さんの色々なことについて「意外」って思うことが多かった。でも最近は違う。この人どう考えても今俺に見せてくれてる部分が全部素だな……って思うようになった。
 だって三浦さん絶対人が好きじゃん。人と喋るのが好き。根本的に性格明るめで楽観的。人付き合いは苦手だなんて言ってるけど、それでも楽しいって感じてるっぽい。こっちが素なら、きっとこれまで長らく我慢してきたんだろうなということも簡単に想像つく。
 そして我慢してきた揺り戻しが一気にきたのか、最近の三浦さんはとても危うい。
 何が危ういって、会社でもふとした瞬間笑顔を見せるようになったのだ。逆猫被りがバレちゃうよ……と俺は勝手にひやひやしてしまっている。三浦さん、迂闊! ほんとに迂闊! どきどきさせられる方の身にもなってほしい。いや、もしかしたらそこまで隠したいと思ってるわけでもないのか……? いくら考えても答えは出ない。三浦さんに直接聞いたわけじゃないからだ。
 もし三浦さんに聞いて、『確かにもう無理して隠すこともないかもしれないすね』なんて言われたら。それはなんか、ちょっと……嫌かもしれないな、なんて思う。だから何も言えないでいる。
 きっと俺は自分の実感以上に三浦さんとの関係に楽しさを見出していて、秘密の共有をしているようなつもりでいる。だから彼の本性が広まるかもしれないことについて面白くない気持ちが湧くのだろう。
 我ながら、同僚に向けるにしては羞恥心を覚えずにはいられない感情である。だってこれ要するに独占欲とかそういう部類に入るものだし。お気に入りの“いいもの”を他人にやすやすと教えたくない感覚に近いだろうか。
「――兎束さん? いつまでトリップしてんですか」
「うわ! ごめん考え事してた」
「そ? 具合悪いとかじゃないならいいですけど、あんまり上の空でいられると寂しいですよ」
 俺でもシラフで言うには赤面してしまいそうな台詞をさらりと言ってのけるのは才能かもしれない。こればっかりはなかなか慣れないな……と三浦さんの言葉を反芻する。
 ……いや、そんな風に言われて悪い気しない自分が一番恥ずかしいだろ。どう考えても。なんなんだ俺。
「……三浦さんって趣味あります? 好きなこと」
 なんだか顔が熱くなってきたので色々なことを考えなくて済むように話題を切り替えたのだが、「趣味? プログラミングは趣味ですね」とさらりと言われたことで意図せず先ほどまでの思考がどこかへと飛んでいった。
「それ趣味だったの!?」
「そうじゃなきゃ院まで出てないしコンピューター部とかいう名の陰キャ部名簿に名を連ねてないですよね」
「いやもうどこからツッコんでいいのか……!? 陰キャ部って何!?」
「サッカー部の対義語です」
「………………、……俺サッカー部でした……中学高校……」
「あは。似合いますね、かっこいい」
「……からかってます?」
「なんで。違いますよ」
「そお……」
 なるほど、三浦さんはコンピューター部だったのか……コンピューター部って何するんだろ。プログラミングでゲーム作ったりするのかな?
「じゃあもしかして休みの日もPCに向かってプログラミングみたいな感じですか?」
「そういう日もありますね。あとは……――、……」
 何かを言いかけて口をつぐんだ三浦さんは、はっとしたような顔で「うわ。マジで何でもかんでも喋ろうとするこの口……色々言わせようとしないでくださいよ、兎束さん」と唇を尖らせる。
「言いかけてやめるのよしてよ! 気になる!」
「スミマセン。でもこれはあの、割とガチめに恥ずかしいやつなので」
「気になる言い方しかしないなこの人……」
 恥ずかしがっている三浦さんは結構レアだ。前にピアス褒めたときは照れてたけど、それでも記憶に残ってるのってそのときくらい?
 本音を言うとかなり気になる。でも、無理に暴きたいわけではない。ここはおとなしく引くことにしよう。何か別の話題ないかなと思考を巡らせて、見つけたのは結局そこまで離れていない話題だ。
「あ、そうだ。三浦さんに相談なんですけど」
「? なんですか?」
「えーと……実は、最近プログラミングの勉強? みたいなこと始めてて」
「兎束さんが? なんでですか?」
 三浦さんは分かりやすく驚いてみせた。前に開発部の女子と話したときに、三浦さんの凄さを肌で感じられるのがちょっと羨ましいなって思ったから……なんだけど。まさかそんなこと言えるはずもない。俺は営業部だけど知ってて損するってことはないだろうし、少しは知識があった方がお客さんも安心するかも、技術的なことが分かる営業って歓迎されるし……なんて色々なことを濁しつつ喋る。嘘は言ってない、嘘は。
「三浦さんのコードお手本にしたらかなり勉強になりそうだから、あと、もしよければ分からないとこ出たときに教えてほしいなー……なんて……図々しかったですかね」
 ちら、と三浦さんの様子を窺う。
 三浦さんは俺をまじまじと見て、「……なんすかそれ。かわいいこと言いますね」と笑った。
「いいよ。おれに教えられることなら教えます」
「ほんと!? うわー、嬉しいです」
「どこまで進んでるんですか? 自主学習」
「そ、そんなに進んでないので期待しないで……ようやく基礎的な用語とか形式とか覚え始めたくらいだから」
 耳慣れない言葉が多くて手間取っているのだ。元々俺、勉強そこまで得意じゃないし。
「そっか。じゃあ……んー、おれ目線でですけど、営業さんが知ってて客先で説明できたらよさそうなことまとめときましょうか」
「え!? めちゃくちゃ有難いけど三浦さん目線ってそれ……正解じゃん……!?」
「ふは、兎束さんの中のおれのイメージどんなんですか。でもまあ、おれが客の立場でちょっと知識あったら質問したくなりそうなこと、想像できるんで。というかプログラミングよりもこっちのが兎束さんに役立ちそうじゃないですか?」
 それは確かに。でも俺は、三浦さんがどんなことしてるかが気になってこれに手を出したんだよー……。
「……どっちも勉強したい。だめ?」
 まるで駄々をこねているみたいになってしまった俺に、三浦さんはやっぱり笑って「駄目じゃないですよ、全然。やっぱ兎束さんて努力家ですよね」と優しい声を返してくれた。
 まだ始まってもいないのに早速何か報われたみたいな気持ちになって、俺は涙腺が緩みそうになるのを必死に堪えることしかできなかった。

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