羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 三浦さんとお昼を一緒に食べてから、俺は開き直ってどんどん三浦さんに話し掛けるようになった。元々俺、人に懐くのが早いんだよ。優しくされるとすぐついて行ってしまう。そのくせ素を見せるのは怖い。我ながら面倒な性格してると思う。
 連絡先を交換して、社内で使ってる連絡用のアプリにも、DM欄には他の仲のいい同期と共に三浦さんの名前がピン止めされるようになった。仕事中はこの方が、お昼とかも誘いやすいのだ。
 三浦さんと文面でのやりとりをするようになって新しく気付いたこと。俺たち営業部は常にアプリを見られるわけじゃないからどうしてもメッセージが届いてから反応するまでにタイムラグがあるんだけど、三浦さんは常にPCの前に座っているからなのか返事がめちゃくちゃ早い。どんなに些細なことでもすぐに返事してくれる。だけど文面が簡素だから、やっぱりちょっと素っ気なく見える。
 三浦さんが喋ってるとこ想像したらそこまで素っ気なくも感じないから、やっぱり声音って大事なんだな……とか思ったりして。
 そう。三浦さんって、ちゃんと喋るととても綺麗な声をしている。
 適度に低くて柔らかさがあるのだ。よく通る声だし滑舌もいいから、三浦さんが喋ってる、って分かりやすい。普段のあのぼそぼそした喋り方は、完全に、ピアスを隠すための癖みたいなものなのだろう。
『ねえ今日ハンバーグ食べたい気分』
『裏道の?』
『うん』
『いいんですか?』
『え、何が?』
『ガーリックソースですけど』
『へーき。客先は午前で終わりで会議もなし。今会社帰る途中』
『このクソ寒いのに外回りだったんですか。お疲れ様です』
『ありがと。そういや前から思ってたんですけど社内の中でも三浦さんの席の辺り特に暖房弱くない? あそこ通るたび寒い』
『そりゃサーバールーム近いですから。夏とか冷房ガンガンでもっと寒いですよ』
 メッセージ上で他愛のない話をするのも楽しいのは、三浦さんが本心を取り繕うタイプじゃなさそうだから……というのが大きいかもしれない。あの人はきっと、嫌なことは嫌と言えるタイプだ。内心で嫌がられているだけならいいんだけど大体そういうのって表に出てくるし、俺はそれに気付いてしまう。だから、嫌なら無理に仲良くしないタイプの方が有難い。
 よく話すようになって認識を改めたこと。三浦さんって仕事できるけど、無能は嫌いとかそういうことを考えてるわけじゃないっぽい。これは完全に、俺の初見のイメージが先行してしまったので反省してる。
 寧ろ他人の仕事のことはどうでもいいと思ってる感じ。嫌いとかじゃなく、基本無関心。でも質問されれば受け答えは的確。自分から率先して助けに行くタイプじゃないけど、ちゃんと明確に頼られたなら絶対に見捨てない。たぶん、冷たいって感じる人と、話が早くて助かるって感じる人と、一定の割合ずついるんじゃないかな。
 俺は……どうだろ。そんな三浦さんに特別扱いされて正直優越感を覚えている。
 いや、だってさ。
 しょうがないだろこれは。

「……三浦さんってなんで普段無愛想にしてるのか聞いていい感じ?」
 たまたま退勤時間が被って、駅まで一緒に帰っていた途中のこと。ずっと気になっていたので質問をしてみたら、「ハ? 突如失礼すね」とごもっともすぎる返答をもらってしまった。
「ごめんって! いや、でもやっぱ気になるじゃん」
「んー……」
 三浦さんは少し返答に悩んだみたいだった。うわ、珍しいかも。
 根気強く待っていると、まるで内緒話をするときみたいな距離感で小さな声が聞こえてくる。
「……おれ人付き合いが苦手って言いましたよね」
「そ、そう……? 全然そうは思わないけど……めちゃくちゃ楽しく喋ってくれるじゃん」
 まったく苦手そうに見えないので素直にそう言ってみたところ、「それ」と何故か勢いこんだ相槌がぶつけられる。
「分かりやすく黙っちゃうとかどもるとかはないんすけど〜……優しくしてくれる人と喋ったり、あとは酒が入るとすぐ楽しくなっちゃって駄目なんですよ。ソッコー距離感バグる。兎束さんも薄々思ってるでしょ、『こいつ距離の詰め方おかしくない?』って引いたでしょ」
「いや引いてはないけど! 正直驚きはした! 意外で!」
「ほら。だからセーブしてるっていうか、ブレーキ? なるべく喋らないようにしてるんです。愛想悪くなっちゃいますけどそっちのがマシ」
 人間関係でトラブル起こしたくないんですよ、と珍しいくらいの切実そうな顔で言っている三浦さん。この人次から次へと意外性を見せてくるな。というか『優しくしてくれる人』って俺のこと? 調子乗っていい?
「飲み会殆ど出席しないのってそれも理由?」
「それもありますね。マジで言動おかしくなる。自分で分かる。だから人付き合いが苦手なのはガチです、謙遜とかじゃなくて」
「ウーロン茶とかで出席して楽しく喋ればよくない?」
「酒がさあ……好きなので……」
 うーむ、なるほど。確かに一緒に酒飲んだとき、あーこの人随分印象変わるなって思ったけど……でも別に言動がおかしいとかそういうのはなかったよな?
「前に一緒に飲んだとき、別にそんなおかしくなってなかったよ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
 三浦さんは俺を見て、ふ、と柔らかく笑う。こういう笑い方をするときは年齢よりもかなり幼く見える。
「おれ今度から飲み会出るとき兎束さんの傍に座ろうかな。陰キャのくせに調子乗ってたらぶん殴って止めてくださいね」
「一体何やらかす予定なの!? 逆に怖いんだけど!」
 おれは無害な男ですよ、としれっとした顔で言う三浦さん。
 確かに有害ではないと思うけど、かなり強めの印象残す人ではあるよね……というかそういう物言いができる人、全然陰ではないと思うよ……。
 気を取り直して「俺は三浦さんのその感じ好き。最初の印象と違ったけど違ってよかった」と言葉を重ねると、三浦さんは歩調を緩めて「へえ。どんな印象でした? 最初」なんて尋ねてくる。これは、いくらか本腰を入れて話をするという意思表示だ。
「……怒らない?」
「怒りませんよ」
「えー……と、無愛想だし……嫌味っぽいし……無能は嫌いですよ〜って感じの人だと思ってました」
「考えうる限り最悪の人物像じゃないですか。普通に傷付きます」
「ただの印象の話だから! だって今の方が素ですよね?」
 何の気なしの発言だ。そっちが素だろ、って本当に言葉通りの意味。
 でも三浦さんはこういうとき、どうしても俺をキャパオーバーさせたいらしい。のんびりした動きで振り向きざまに、楽しげな視線が俺を射抜く。
「――そう。おれもう兎束さん相手だと“こっち”でしか喋れなくなっちゃった」
 責任とって仲良くしてね。
 囁くような声なのに、それはやけにはっきりと聞こえた。どんなに人混みや雑音の中にあってもぴんと芯の通った声だ。思わず立ち止まってしまいそうになって、辛うじてここが歩道だということを思い出す。
 歩調を乱さないように平静を装いながら、けれど期待を隠し切れない疑問符を投げかけてしまう。
「……俺にはもう、無愛想にできない?」
「できないと思いますよ」
 あっさりとした返答には気負いのようなものは一切感じられない。それが少しだけ悔しい。俺はこんなに動揺させられてるのに。
 俺は、半歩先を歩く三浦さんを見る。この人は猫背気味だけどたぶん背筋を伸ばしたら俺より少しだけ背が高い。長めの重たい前髪と眼鏡で顔が隠れがちだけど、実は綺麗な二重だったり顎のラインがシャープだったりで整っているのが分かるし、表情豊かだ。この人の優しい声は耳に心地いいことを知ってしまった。喋ってみるとノリがよくて、人たらしな一面が見えることも。
 知らないことまだまだたくさんあるんだろうな。
 もっと知りたいな。この人はそれを許してくれるだろうか。
「俺――三浦さんのこともっと知りたい。好きなものとか、好きなこととか」
 緊張を抑え付けながら発した言葉はきちんと彼に届いたらしい。悪戯っぽい笑みと共に、あの優しい声がする。
「ふは。なんかこれ口説かれてるみたいすね、色男」
 兎束さんの面白いとこももっと見せてよ、と言われた。
 見せてもいいなら遠慮なく見せちゃうけど。でもやっぱり三浦さんの言ってることの方がよっぽど口説き文句みたいなんだよな……自覚ないのかな……なんて思ったりして。
 もうしばらくは指摘しないでおこう。
 そう、せめて……もう一度この人と一緒に飲みに行くときくらいまでは。

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