羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「今月も兎束が成績トップか。順位マンネリ化してきたな〜!」
 機嫌のよさそうな営業部長の声に、内心で安堵する。別にトップを死守したいわけでもないんだけど、一度トップを取ってしまうと降りるのが難しい。……というか、一度トップを取ると重い案件が優先的に回されるようになってまた結果が出て、っていうループに入るから順位が固定化しやすいのだ。今俺が持ってる担当、他の人に回しても同じように売上出るとこ多いと思うんだけど……。
 営業部長に「来月もその顔でバンバン契約とってこいよ!」と言われ、ちくりと心に棘が刺さったような感覚がする。こういうことを言われるのにも、もう慣れた。だから、努めて明るく笑顔で喋る。
「顔採用の分は会社に貢献しますよ〜! 頑張ります」
「わはは、頼もしいな」
 俺は、入社二年目の半ばくらいで周りの同期と成績に差がつき始めた。同期だけじゃなくて、先輩たちにも迫るくらいの勢いで。『お前顔はいいもんな』とか、『顔で契約取ってる』とか、冗談っぽく言われることも多かった。きっと八割くらいは本音だったんだろうな、って薄々分かってる。女子社員の中にはそのことに怒ってくれた人もいたけど、こういうのは異性に庇われても逆効果だってことも理解してる。
 特に俺はこの会社の社員の平均的な学歴よりも一段階低いとこに浪人して入ってたから、自分でもそれを強く否定できないのが何よりつらかった。本当は能力が低いのに見た目で誤魔化してるんじゃないかって思ってしまうのが嫌だった。
 自分の適性は営業職だって認識してたから、人に好印象を与える喋り方とか、プレゼンの組み方とか、資料に載せるためのデータの扱い方とか、勉強したりしてたんだけどな。それこそ入社面接の前から。
 まあ、同じ努力をしたときにこの顔のお陰で周囲より結果が出るっていうのはあるのかもしれないけど。
 でも俺のやったこと全部、最終的に顔のよさに吸収されんの? ほんとに?
 それってなんか……虚しいばっかりだ。
 だからと言ってはなんだけど。もう、自分から“そういう”キャラになることにした。
 俺は顔採用枠だから、って言っておけば周りは溜飲が下がる。下手に出ておけばスムーズに仕事ができる。
 周りより勉強できないのは本当だし、顔で得してるのも本当だし、俺は周りに好かれるのが得意だ。どんな振舞いが人に好かれるか分かる。分かってしまうから、こうしてる。
 人に好かれるのは嬉しいし人に嫌われるのは怖い。
 俺は昔から、そういう風に生きている。

 微妙に落ち込んでしまったので誰かと喋りたい。そう思えるうちはきっと大丈夫。
 俺はここ数日、三浦さんのことをお昼に誘うタイミングを窺っていた。偶然オフィス内で出くわしてちょくちょく喋ったりすることはあるんだけど、個人的に二人で……っていうのはあの日以来機会がない。
 なんとなく、他の人を交えてじゃなくてサシで話したい気持ちがあった。社内全体での飲み会で隅っこにいる三浦さんよりも、俺の正面に座って楽しそうにしているところが見たかったから。あと、それを他の人に見られるのはなんか嫌だったから。なんでか分かんないけど。
 今日の午前中はデスク仕事で、午後は他社訪問。一人でやる作業だというのも相まって、午前中は色々と余計なことを考えてしまう。色々というか……三浦さんのこと。
 結局、ココアのお礼を言いそびれてしまったのだ。三浦さんは全然気にしてなさそうだけど、俺は気にする。でも今更って感じもある。
 そんなことをしている間に昼休みのチャイムが鳴った。また今日もタイミングを逃したな……とがっくり肩を落としてしまう。喋りたい気分だったけど今日はもうコンビニ飯でいいか……。
「兎束さん」
 デスクに影が落ちて、ぱっと顔を上げたら三浦さんがいた。「えっ。え、どうかしました? 俺また何かミス――」条件反射的にそんなことを言ってしまって、返された言葉に驚いた。
「? 何言ってんの? 昼飯一緒に食お。誘いに来ました」
 えー!? と叫ばなかった自分を褒めてもいいはずだ。確かに『お昼一緒に食べたりしよう』って言ったのは俺だけど、まさか三浦さんから実践してくれるなんて思ってなかった。せいぜい俺が誘って仕方なくついてきてくれるくらいの感じを想像してたのに。
「どうしました? あ、もしかして先約?」
「や、全然! ちょっと驚いただけで」
 確かに一緒に飲んだときは好感触だったけど。酒の力だけじゃなかったんだ……。
 三浦さんは微かに笑って、「なんで驚くの。社交辞令でした?」なんて意地悪なことを言ってくる。社交辞令っていうか、予想外で嬉しかったんだよ。この人絶対分かってて言ってる。
「…………何か食べたいものある?」
「兎束さんは普段どういうとこで食ってんですか? 美味しいとこ教えてくださいよ」
「んーと、んー、明太子が食べ放題の定食屋とか、あとはちょっと店狭いけどラーメンとか……」
「待って。ラーメンはめちゃくちゃおすすめのとこあるから次にしよ。兎束さんて並ぶの平気な人ですか?」
「えっ? あ、誰かと一緒なら全然待てる……」
「オッケー。とりあえず歩きながらにしません?」
 促されて、慌てて財布を引っ掴んで三浦さんの後を追った。次もあるんだ、と驚いてしまう。いくつかの候補の中から店を決めて席についても、なんだか頭の中がぐるぐるしている。
 この人とこんな風に喋れるようになるのって、もっと分厚い壁に阻まれているものと思っていた。それこそ、最後の最後まで焦らされるみたいな。
 打ち解けると――いや、本人曰く『ピアスバレたんでもうどうでもいい』の一環かもしれないけど――案外フランクに喋ってくれるし、“次”の約束をすることを厭わないタイプのようだ。そして、断られることも怖がってないように見える。
 ……薄々思ってたけどこの人、どう考えても人付き合い苦手じゃないじゃん。陰キャ自称してるくせに!
「さ、詐欺だあ……」
「ハ? 何?」
「三浦さん、初見でイメージする性格と実際のとこが割と遠いなーって。あ、嫌な意味じゃなくて! ……仲良くしてくれて嬉しいってこと、です」
 言い切って、「あ、あと! ココアありがと、この前。お礼言いたかったんだけどずっと言いそびれてて……」と慌てて付け足す。よかった、言えた。
 メニューを眺めていた三浦さんは、俯き気味の顔を上げて眼鏡の位置を直す。
「そんなん初めて言われました。兎束さんも割と印象変わるタイプだと思いますけど」
「……悪い意味?」
「だからなんでネガるんだよそこで。いい意味ですよ、おれ努力できる人のが好きなんで」
 心臓が跳ねた。
 それは……それって、どういう意味?
 俺のこと、努力できる人間だと思ってくれてるってこと?
 聞けない。聞いてみたいけど勇気が出なかった。淡い期待を抱きながら、薄く開いた唇から呼気が漏れるのを感じる。
 結局上手い言葉が思いつかなくて、「…………ありがとう」とだけようやく言った。人付き合いで最適な言葉が見つけられないのなんて本当に久しぶりだ。
「ぁ――っと、そういえば今日はしてないんだ、舌のピアス」
 気恥ずかしくて無理やり話題を変更してみる。きっとバレバレだっただろうけど、三浦さんは素直に話題に乗ってくれた。
「そうすね。元々、ホール塞がるのがなんか勿体なくて……みたいな理由なんで。まあ若気の至りで開けちゃったんですけど」
「へー……痛い?」
「今は全然。開けた当初は邪魔だし染みるし最悪でした」
「やっぱり染みるんだ……」
 耳って穴開いてるんだよね、と改めて話を振ってみる。「……ちょっとおれのこと隠しててくださいね」とのお達しだったので、テーブルに身を乗り出して距離を近付けた。
「これ、見せたら引かれそうでちょっと怖いですけど」
「ピアスに引いても三浦さん自身には引かないんで安心して」
「ふ、なんですかそれ。……これでも?」
 まるで都市伝説の口裂け女みたいな台詞と共に、三浦さんがその重たげな髪の毛を親指でそっと持ち上げた。するとそこには。
「…………、……すっごい数ですね……」
 髪の毛に隠れて見えなかった、両耳。そこには、ぱっと見じゃ数えられないほどのピアスがバチバチに開いていた。耳たぶだけじゃなくて、軟骨のところとかにも色々……両手の指で数えて辛うじて足りるかなくらいの数だ。
「普段はここまでたくさんつけないですよ。穴があるだけで」
「え、じゃあなんで今日……」
「……兎束さん、前に『見てみたい』って言ってた……から?」
 たくさんあったら驚くかなって。
 そんな、意外なくらい幼い口調で言われた。……俺が『見たい』って言ったからわざわざ用意してきてくれたの? ほんとに? 驚くかなって思いながら?
 それは……えー、それはなんか可愛いな……。
 気恥ずかしさを誤魔化すために、俺はピアスを殊更じっくりと観察する。黒とシルバーの落ち着いた色のトーンでまとまったピアス。金属が肉の中に入り込んで貫通しているのが妙に煽情的に見えるのが不思議だった。女の子だって、ここまでじゃないけどピアスホールが開いてるのは珍しくもなんともないのに。現に、今まで付き合ってきた女の子たちも、体感八割くらいは開いていた。ゆらゆらと揺れるピアスは可愛いなと思うし、思わず目で追ったりもする。
 でも、そっか。ピアスホールをここまでちゃんと見たのは初めてかもしれない。
「ピアス、痛そーだけどなんかえっちだね……」
 そんなことを考えていたら、思ったことがついぽろっとこぼれ落ちた。次の瞬間さーっと血の気が引く。
「うわ、すみません! 今完全に脳みそ経由しないで言葉が出ました……」
 完全に頭の悪い発言を重ねてしまった。ど、どうしよう……三浦さん引いてるかも……。
 思わずテーブルから離れると、さっと髪の毛が整えられる。耳はすっかり隠れた。そして。
「……ちょっとぉ……何笑ってるんですか……」
 三浦さんは顔を背け、肩を震わせて笑っていた。
「っふ、……くく、スミマセン……なんかめっちゃ必死だなって思ったらつい」
「そこまで笑う!? 申し訳なかったなって思ったのに……」
「兎束さんって面白いですよね」
「あんまり嬉しくない文脈ですね!」
 飯来ましたよ、と言われて慌てて声量を落とす。なんだか釈然としない……。
 しかし、鯖の塩焼き定食を目の前に食欲を刺激されたのでひとまず意識を切り替えることにした。米と味噌汁に魚、副菜の小鉢が三種類ほどの何の変哲もない定食だ。サラリーマンの昼食としては割と価格帯は高めだけど、その分一品に対して手間がかかっていて美味しい。
 食べていると胃も温まってきて、さっきまでの妙な焦燥感も和らいだ。すると、タイミングを見計らったかのように、柔らかい声音が鼓膜に差し込まれる。
「兎束さんと飯食うの、いいですね。色々」
「色々?」
 色々って? と尋ねてみたのだが、三浦さんは「色々です」と力技で誤魔化そうとする。かと思えば、「もうちょっと打ち解けたら教えます」なんてずるいことを言ってきた。
「……打ち解けてくれる気があるってこと?」
 こちらもちょっとずるい返しをしてしまう。けれどやっぱり、三浦さんの方が一枚も二枚も上手だった。
「兎束さんはそういうの、気付いてくれる人だと思ってましたけど?」
 ――ああもう。完敗だ。その通り、気付いてる。たとえきっかけが何であれ、現時点でこの人のこの態度。どう考えても俺は“特別”だ。三浦さんは、俺と特別打ち解けようとしてくれている。
 認めると嬉しくなってしまう。
 考えないようにしてたのに。
 普段周りに愛想悪くしてる人がさあ、こんな急に優しくなっちゃだめじゃん……嬉しくなっちゃうの当たり前じゃん……。
 理不尽な文句を脳内で練りながらご飯を呑み込んだ。恥ずかしいけど、それ以上に嬉しい。なんだろ、最初は嫌われてると思ってたから、それで余計に嬉しいのかも。下げて上げる的な。
「…………覚悟しといてくださいね、マジで超仲良くなる気でいきますからね」
「はいはい。まずはその敬語取っ払うとこからすね」
「だからそれは三浦さんもじゃん!」
「超仲良くなったらタメ口で喋りましょうね」
「そればっかかよ!」
 また笑われる。いやこれは俺のせいじゃなくない!?
 じわじわと顔に熱が集まってくる。もう、何が由来の熱なのかも分からない。
 ……んん。でもまあ、三浦さん楽しそうだし……いいかな? いいかも。いいってことにしとこ。

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