羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 これまで全然意識していなかったけれど、三浦さんはお酒に強いらしい。度数の高いやつをぐいぐい飲んでも平然としていて、顔色も変わらない。
「お酒強いんですね」
「や、別に……? 顔に出ないだけだと思います」
「そうなんだ。ペース早いんでめちゃくちゃ強いのかと」
 三浦さんはそんな俺の指摘に、たった今気付いたとでも言いたげにグラスを置いた。……もしかして緊張してる?
 そうだとしたらちょっと可愛いかもしれないな、と思う。いや、まあ、この人相手にそんなこと考えちゃうのはどうなんだって感じだけど。
「部署も違うし普段交流できないから、なんか嬉しいですねこういうの」
「はあ」
「もしかしたら人付き合いが嫌いなんだと思ってたんですけど、今日ついてきてくれたってことはそうでもなかったりします?」
「ピアスバレたんでもうどうでもいいかなと……」
「投げやり! え、もしかしてこれまで誘ってもいまいち反応悪かったのってピアスのせいですか?」
「ピアスのせいだけじゃないですよ。そもそも人付き合い苦手なんです。見りゃ分かるでしょ」
「えー、めちゃくちゃ普通に喋れてるじゃないですか」
「兎束さんが会話繋いでくれてるからですよ。おれみたいなのと会話すんの疲れません? 大変ですね」
「じ、自虐が酷い……」
 確かに朗らかで親しみやすいって感じじゃないけど、慣れてきたら面白い人なのに。
 三浦さんはそこから少し黙って、グラスの表面の結露を指でなぞっていた。かと思えば、軽く首を傾げてこちらを見てくる。
「……兎束さんっておれに敬語なのなんでですか?」
「はい?」
「他の同期にはタメ口じゃないですか」
「んー、正直距離感測りかねてるっていうのはあります!」
「正直すぎますね」
「でも三浦さんだって敬語ですよね」
「使い分けが面倒でみんな平等にしてるだけの敬語とは訳が違うでしょ」
 それは確かに。寧ろ三浦さんって、後輩とかと比べたら俺が相手のときの方がくだけてるっぽいし……。
「三浦さん俺より一コ上くらいですっけ?」
「あーどうだろ。おれ院卒なんで……みっつ上かも」
「俺一浪して大学入ってるから、だったら二コ上だと思いますよ」
「実はおれ早生まれなんですよ」
「じゃあ四月生まれの俺とはほぼ一コ差……? だめだ、よく分かんなくなってきました」
 三浦さんは、くっ、と噛み殺すように笑った。あ、いいな、と思う。意外と笑う人だ、三浦さん。
 どうやら三浦さんは院まで情報系を専攻していたらしく、なるほどだからあんなに色々できるのか……と感心した。プログラミング自体も中学の頃から齧っていたとのことなので、もっと上を狙って就職しなかったのが不思議なくらい優秀なのも納得だ。うちの会社もまあ、絶賛急成長中ではあるけどさ。
 そこまで敬語気にしなくてもいいですよ、と言われたのでほんの少し肩の力を抜いてみる。とは言っても、三浦さんだって敬語なんだけど。なんかこういうとこ、ずるい人だ。またもや新たな一面である。
「そういえば、ピアスっていつもしてきてんの……ですか?」
 早速ぐちゃぐちゃになった俺の口調に、三浦さんは「敬語いらないですって」と律儀に反応しつつまた酒を一口飲んだ。
「んなわけないでしょ、今日はたまたまです。あんまほったらかしとくと穴縮んじゃうんで。今日は誰とも喋る予定なかったのに誰かさんが不意打ちで来るからミスりました」
「一日中誰とも喋らない日あんの!? 不健康!」
「そうすか……? っていうかそっちに反応すんの……? おれ割といつもそんなんですよ」
「声帯衰えますよ! 三浦さんせっかく声かっこいーのに」
 まるで化物でも見るかのような目をされた。そこまで変なこと言ったかな。今こうして目の前で聞いてても、落ち着いた柔らかい声だと思うんだけど。というかこの人、まともに喋ったらめちゃくちゃ滑舌いいな。
「あー……そんな毎日面と向かって喋るような相手もいないんで」
「同期! 俺! 他にもいっぱい! お昼一緒に食べたりしよーよ」
「…………兎束さんって誰に対してもそんな感じ? 気を付けた方がいいですよ」
「え、何が?」
「何がっていうか……何もかもが……」
「んえー」
 よく分からない。けど、そこまで悪い反応ではなさそうだ。
「同期の中でおれ一人だけ座席離れてますし、そもそも中途だし。そういう奴がいるとリズム崩れるでしょ」
「そうかなぁ。たしかに俺らの代って同期多いですけど、その中でも頻繁に一緒に飯食うくらい仲いいのって一部だし気にすることないと思う。みんな割と適当に誘ったり誘われたりしてるから」
「ふーん……」
「俺なんかは毎日外食だけど、弁当持ってきてる奴も多いですよ。だから三浦さんも機会があればぜひ」
 普段こういうこと言うときって八割方社交辞令だけど、今回は本当に誘うつもりで言ってみた。無理強いはしたくないとは思うものの、三浦さんがそこまで人との交流を毛嫌いするタイプではなかったというのが分かったので当社比ちょっと押せ押せな感じ。
「兎束さんって優しいですよね」
「そ、そう……?」
「優しいしお人好し? 後輩のミス被ったりおれみたいなのにも気を遣ったり」
 疲れちゃったら休まなきゃですよ、となんでもない風に言われた。
 そんなこと言ってくれる人、初めてだった。
 俺って色々なことが楽勝そうに見えるらしくて、まあ実際勘はよくて大体のことは人並み以上にできたから、その印象も間違いってわけじゃないんだろうけど……うん。『お前なら大丈夫』って、有難くはあるけどやっぱり重い。
「ありがとうございます……」
 思わず、心からそう言った。心配してもらえたのが嬉しかったし、優しいと言ってもらえたのも嬉しかった。自分で言うのもなんだけど、外見を褒められることが一番多いから。
「…………っていうか三浦さんも休まなきゃだめじゃん」
「ハ?」
「栄養ドリンク飲みながら寝不足で仕事するの不健康ですよ。確かに三浦さん、仕事量めちゃくちゃ多いんだろうけど」
「ああ、あれは別に仕事のせいじゃなくておれの私生活のせいです」
「そうなの? でもやっぱ栄養ドリンクはよくないと思う。あれ元気の前借りって言うし」
「そうすかね」
「そうそう。三浦さん倒れちゃったらうちの会社大変じゃん」
 何の気なしにそう言ったら、予想外の方向から返答が飛んできた。
「それを言うなら兎束さんのが大変でしょ。営業成績トップなのに」
「えっなんで知ってんの!?」
「寧ろなんで知らないと思ってんだよ自社の営業のエースを……アンタそれ嫌味じゃなくて素なの?」
 三浦さんは呆れたような顔で酒の殆ど入っていないグラスを傾ける。
「いやいやいやいや! 三浦さんなら絶対知らないって思ってただけです!」
「はァ〜? そっちのがよっぽど失礼じゃないですか?」
「うわーすみません……!」
「兎束さんの中でおれってどういうイメージなんすか。傷付きました」
「そ、そんなに……?」
「あ、今『そんなことで傷付くような神経してないだろ』って思ったでしょ」
「やめてくださいよ妙な代弁! ゆ、許してほしいなー……なんて……」
「いいですよ。許します」
 に、と悪戯っぽく笑われて、俺はそこでようやくからかわれていたらしいことに気付いた。
「もお……心臓に悪い……」
 思わず机に突っ伏す。顔が熱い。
 成績のことは、改めて言われるとぎくっとするのだ。確かにそうなんだけど、一応事実なんだけど、俺の場合は運のよさでどうにかなってるっていうか……担当顧客も優しい人ばっかだし……。
 三浦さんはというと、「許すんで、前に態度悪かったのもおあいこにしてほしいです」なんてちゃっかりしたことを言ってくる。まあ別に最初から怒ってなかったからそのくらいお安い御用だ。おまけにあれ、そもそも俺がお知らせ見てなかったのが悪いし。
「三浦さんって思ったより冗談通じる人ですか……?」
「兎束さんが何をどう思ってたのかは謎ですけど、おれ堅物ってわけじゃないすよ全然」
「みたいですね……」
「はー楽し。酒追加します?」
「します……」
 楽しいって言ってもらえて嬉しくなってしまう俺は現金な奴だ。だってほら、せっかく誘ったのにつまらないって思われてたら悲しいじゃん。
 でもやられっぱなしはちょっと悔しかったので、「そんなに俺の反応楽しんでいただけて嬉しいです」と言ってみる。冗談九割の嫌味だ。散々からかわれたし、これくらいなら許されるだろうというジャブだった。そしたら。
「うん。楽しいからまた一緒に飲もうね」
 ――そこは敬語じゃないのかよ! ずるいだろそれは!
 な、なんかさあー……そういう、普通に気を許してますみたいな仲良くなれちゃった感じのやつ、なんか普通に嬉しくなっちゃうだろ!
 もう自分でも頭の中で何を言ってるのか分からなくて、俺は目の前のグラスを空にする。誰かに自慢したいのに誰にも言いたくないという矛盾した気持ちで、胃の中がじわじわ熱くなっていくのを感じていた。

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