羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「う、兎束さーん……! すみません、ちょっといいですか?」
「ん? どした?」
「新しく来たデスクトップ、キッティングしてたんですけどなんか変で……社内サーバーに入れないんです。お手隙でしたら見ていただけませんか? お手数おかけして申し訳ないです」
 定時間際。新人の困り顔に吸い寄せられたはいいものの、また面倒なことを頼まれてるな……と嫌な予感がする。確かに社内サーバーにアクセスしようとすると弾かれるので、新しいPCが来たときってどうやってたかなと必死で記憶の糸を辿っていく。
「……ん? ん、待って待って、どっかでお知らせ見た記憶あるわ」
 ぱあぁ、と新人の表情が明るくなるのが分かりやすい。素直なのはいいことだ。
「確か資産登録してないと接続の許可が出なくて、えーと……」
 ノートPCを移動してきて社内掲示板を適当なワードで検索してみる。遠い昔の記憶だが……よしよし、どうやら俺の記憶力もまだ捨てたものではないようだ。探し当てたページには資産登録の仕方について丁寧に記してある。文書の作成者は三浦さんだった。マジでなんでもやってるなあの人。
 ひとまずよかった、これで解決だ……と思ったのだが。
「……兎束さん、もしかしてこれ手遅れじゃないでしょうか?」
「う、うーん……!」
 資産登録してMACアドレスを認識させていないと社内サーバー接続のホワイトリストに追加されない。資産登録をしないままに接続しようとすると遮断される。AD参加できなくなる。今このPCは接続遮断された状態で、えーと、つまり……。
「情シスに頼んで解除してもらわなきゃだめかも……」
「わー……」
 そもそもMACアドレスってなんなんですかぁ、と情けない声を上げている後輩。俺もしっかり説明できるかと言われたら無理。
「……というか、文書に書いてあることちゃんと読まないで進めて自分じゃ復旧不可能になるって明らかに怒られるコースですよね……」
「や、でもほら文書あること自体教えてもらってなかったんだろ? 情状酌量の余地アリだよ。どうせキッティングも押し付けられたんだろうし」
 最後のは小声だ。こういう面倒事は新人にお鉢が回ってくるのはもう仕方のないことである。説明しない先輩と組むと割と悲惨だ。今回のことだって、存在を知ってれば資料検索もできるけど、あること自体を知らなきゃどうしようもない。おそらく、『これ使えるようにしといて』とか、曖昧な指示だけされて頑張っていたのだろう。
「俺代わりに情シスの人に謝ってくるから。大丈夫」
「え!? いやいやいやいやそれは流石に申し訳ないというか筋が通らないというか……!?」
 どうやら今年の新人は本当に真面目ないい子だ。だからこそ変に心労を抱えてほしくない。三浦さん、新人を萎縮させるような対応しそうだもんな……失礼だけど……。
「へーきだって。情シスの人、俺の同期だから。っつーか残業時間になってるじゃん。帰りな帰りな」
 もっと早く気付けなくてごめんね、と謝っておく。本当だったら、ヘルプを出される前に気付いてあげるべきだった。新人なんてただでさえ遠慮しちゃうだろうし……。
 その後も帰宅を渋る新人くんをどうにか説得し、俺は意を決して三浦さんのいる席へと向かった。今日も寝不足なのかな、なんて思いながら。

「――つまり?」
「キッティング失敗して接続遮断されちゃったんで、それを解除していただけないかと……」
 三浦さんは無言で自分のPCへと向き直った。これは無視されたとかではなく、さっさと仕事を片付けようとしてくれているんだろう……と思う。きっと。
 俺は黙って突っ立っていることしかできない。また永遠にも感じる数分が過ぎて、「はい。これでもう大丈夫だと思います」と静かな声が聞こえた。
「あ、ありがとうございます……すみません、お手数おかけして」
「まあ仕事なんで」
 ぴしゃりと言われてしまう。た、確かにそうだけど。でもやっぱり、最初からちゃんとできていればこの人の手を煩わせることもなかった。
 言葉を選ぼうにも悩んでしまって、ああ、こんなことじゃ前みたいに『まだ何か?』みたいなこと言われちゃうな、と少しだけヘコむ。
「……というか、これ兎束さんがやったわけじゃないですよね」
「えっ?」
 しかし、予想外の言葉が耳に飛び込んできて思わずまじまじと声の主を見てしまう。三浦さんは僅かに気まずそうに眼鏡の奥で視線を逸らし、けれど発言を撤回することはなかった。
「なんで……」
「これ、今日の予定表。兎束さん午後外回りだったでしょ。変なことやらかす時間ないですよ。誰に押し付けられたんですか?」
 よく見たら、三浦さんのPCの画面には全社員の業務予定を管理するサイトが表示されていて、検索ボックスには俺の名字が入力してあった。一瞬納得しかけて、けれどすんでのところで思い直す。
「……なんで調べようと思ってくれたんですか」
「はあ?」
「だって、順序が逆じゃないですか。俺がやったわけじゃないって思ったから調べてくれたんですよね、俺の予定……」
 そう、逆なのだ。『調べてみたら予定があるから俺がやったわけじゃない』ではなくて、『俺がやったわけじゃなさそうだから予定を調べてみた』だ。
 三浦さんは俺の問いかけに言葉を詰まらせた。ぎゅ、と眉間に皺が寄る。
「……兎束さん、何度も同じ失敗する感じの人じゃないでしょ。…………スミマセン、なんか偉そうですねこの言い方だと。あー……」
 ぽつりぽつりと、砂粒をこぼすみたいに三浦さんは喋る。
「ミスってもリカバーすんの早そうだし、自分の苦手なこと人に頼るの得意でしょ。だったらこういうタイプのミスはしないと思います。これ、やり方聞けなくて進めちゃったパターンっぽいんで……兎束さんなら、こうなる前に聞きにくるかなと」
 少し、驚いた。三浦さんの予測の精度が高すぎるっていうのにももちろんだけど、何より、予想以上に好意的な言葉で俺のことが表現されていたのに驚かされた。てっきり印象最悪だと思ってたから。
「この間……ちょっと言い方キツくなっちゃったの謝りたかったんですよね。スミマセン。嫌な気分になったでしょ」
「いやそんな全然……! スピード解決してもらえて助かりました。やっぱりプロって感じで」
「どうも。で、誰に押し付けられたんですか」
「う。後輩が面倒そうなこと押し付けられてた……から、無理言って仕事奪ってきたんです。別に俺が押し付けられたわけじゃなくて! だから、えーと、俺の独断というかなんというか。怒られるかもって萎縮しちゃったら可哀想だし。先輩から怒られるのと同期から怒られるのとだったら後者の方がマシな気しません?」
 ごにょごにょと言い訳を並べる。誰かのせいにするのは嫌だったから。後輩が俺に代わりに謝りに行かせたとか思われたら困るし、後輩に仕事を振った先輩を責めたいわけでもない。同期と先輩じゃ同じ怒られるにしてもショックが桁違いだ。だから今回はこれでいいと思った。俺の勝手。
 ちらりと三浦さんの様子を窺う。目が合った、その瞬間。
「――っはは、なに、アンタおれに怒られると思って来たの? マゾなんですか?」
 ちょっと皮肉っぽい口調とは裏腹に、幼い笑顔が向けられてどきりと心臓が鳴った。
 この人が口を開けて笑うところなんて初めて見――んんん?
「え、三浦さんもしかして銀歯取れてる!? なんか口の中変なのありますよ!」
 口の中に、明らかに人体の構成要素ではない色がちらりと見えた気がした。見間違いならそれでいいんだけど、万が一呑み込んじゃったらまずい。
 そう思って小声で叫ぶと、三浦さんは慌てたようにぱっと口元を手で隠した。しばらく黙って、なんだか感情の読めない瞳でこちらを見上げてくる。
「ど、どうしました? 呑み込んじゃった? 大丈夫?」
「いや……あー、クソ、油断した……」
 がりがりと頭を掻いて大きなため息をついた三浦さんは、ちょいちょいと俺を手招きしてくる。どうしたんだろう、とどきどきしながら近付くと、ごく小さな声で「アンタは純粋に心配してくれたんだと思うんで、言っとくんですけど」と囁かれる。
 そのまま、目の前で三浦さんの舌がべーっと出された。
 ピンク色の舌、その中央に――銀色の塊がちょこんと載っている。
「ぴっ……!」
 ピアスじゃん! と大声を上げるより早く、俺の口が三浦さんの手で塞がれた。「バカですかアンタは!? 大声出すな! バレる!」小声の叱責にこくこくと必死で頷いて口を解放してもらう。
「……い、意外な一面見ちゃいましたね……」
「はァ〜? 別にいいですよオブラートに包まなくても。おれみたいな陰キャには似合わないでしょ。引いたでしょどうせ」
「え、そうですか? 意外ですけど似合ってますよそれ。引きませんよ。最初よく見えなくて変なのとか言っちゃってすみません」
 これは本心だ。意外性はばつぐんだったがそれはそれとして、舌の上を彩る銀のピアスはとても似合っていた。なんで銀歯に見えたんだろうな。先入観って怖い。
 三浦さんは、せっかく褒めたというのに俺の言葉に思い切り顔を顰めた。
 注意深く観察してみる。……目元が少しだけ赤い。
「……もしかして照れてます?」
「照れてないです全然」
「めちゃくちゃ早口じゃん」
「うるせえな」
「もしかして他にもピアス開いてます? え、見てみたいです」
「物好きすね……」
「否定しないってことはマジで開いてるんだ!」
「ハ? うわっハメられた! クソ!」
 定時後で人少なくてよかったなと思いつつ、この人こんな大声出せたんだ……と妙な感心を覚えてしまう。よくよく聞くと、低くてハリのある艶っぽい声をしている。普段からちゃんと喋ればいいのにな、勿体ない。あ、でもあんまり口開けるとピアスがバレるのか。
「ね、三浦さん。今日ってこれから時間あります?」
「……なんでですか」
「親睦深めたいなーと思って。飲み行きません?」
「このクソ疲れてる週の真ん中に?」
「嫌なら今週末とかでもいいですよ」
「元気すね……」
「はは。どうですか? 俺は、もっと三浦さんとお話したいなって思ったんですけど」
 誘ってはみたけどだめ元だった。だって、普段から全然飲み会来ない人だし。それでも誘ってみたのは、純粋にこの人と仲良くしたいというか、もっとこの人のことを知りたいと思ったからだ。
 三浦さんは、ほんの少し考えるようなそぶりをしてからゆっくり頷く。
 とても意外で、嬉しい返事だ。
「いいですよ。十分くらい待ってもらえますか? 日報書くんで」
「あ、俺も書いてない……」
 ふ、と三浦さんの目元が和らいだ。なんかまた呆れられてる気がするなあ……なんて思いながら、俺は慌てて自席に戻る羽目になったのだった。

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