羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 まゆみちゃんはその後、一緒に文化祭を回る人がいるから……という理由で角を立てずに出場辞退することに成功したようだった。周囲の人はすんなり納得してくれたみたい。まゆみちゃんの気持ちをきちんと尊重してくれるお友達だし、この分だと「嫌だから出ない」って言っても大丈夫だったんじゃ? と思わなくもないけど、その辺りは越えられない壁というか、線引きみたいなものがあるのだろう。そもそもまゆみちゃんって、お誘いは基本的に断らないタイプだし。
 要するにおれが文化祭一緒に回ろうって誘ったのも……なんて、思わなくもない。一緒に楽しめるといいなって、おれはわくわくしてるよ。まゆみちゃんもそう思ってくれたら嬉しい。口に出さないままでそんな風に考えた。

「行祓、準備できた?」
「できたよー。待たせてごめんね、すぐ行く」
「んな急がなくてもいいって」
 文化祭当日。流石にこういう日はお弁当じゃなくて文化祭で売ってるものを食べ歩きたいなと思ったので、ほぼ手ぶらで家を出た。時刻はお昼をちょっと過ぎた辺り。ちょうど、お腹もすいてくる頃合だ。
 実を言うと、まゆみちゃんとルームシェアはしていても家を出る時間や帰る時間が合うことは殆どない。お互い好きなように講義を受けてるし、学部が違うから教室が被ることも稀だ。なんなら教授も被らないからノートの貸し借りだってしたことがない。
 だから、こうして一緒に大学に行くっていうのはかなりレアだったりする。このくらいの距離感なお陰でルームシェアが上手くいってるのかもね。
 とはいえ、慣れた道をこうして二人で歩くのはなんだかちょっと嬉しい。新鮮な気持ちになる。まゆみちゃん意外と歩くの速いな、って思ったんだけど、歩くのが速いというか脚が長いんだ……って気付いて深く納得してしまった。
「……ん、どうした?」
「えーっと、小さな発見をしてちょっぴり嬉しくなった感じ」
「なんだそれ」
 まゆみちゃんは俯きがちに、微かに笑った。大学で友達といるときのきらきらした感じもいいと思うけど、おれはこの控えめなまゆみちゃんもいいなって思う。でも、控えめモードは大学ではあんまり見せてほしくないな……なんて思ったりもする。
 おれの前でなら素を見せてくれる、っていうのが嬉しいんだろうな、きっと。
 まるで他人事みたいに自分の心境を想像してみた。なんだか恥ずかしかったからだ。
 歩いていると、程なくして大学の正門が見えてくる。デコレーションされた大学の外観と、いつもとは種類の違うざわめきはそれだけで楽しい。お腹がすいていたのでさっそくいくつかの模擬店に並んで、立ったまま食べられるフランクフルトやチュロスを買ってみた。
「大学だとやっぱ模擬店も凝ってるよな」
「そうだね……あ、おいしい」
 お祭モードも込みでおいしく感じる。まゆみちゃんもそれは同じだったようで、もくもくとチュロスを咀嚼していた。
 おれはフランクフルトを齧りつつその様子を眺めていたのだが、ふと背後から声を掛けられて二人揃って振り向くことになる。いや、正確に言うと声を掛けられたのはまゆみちゃんだけで、おれはつられて振り向いただけなんだけど。
 そこにいたのはなかなかに華やかな集団だった。まゆみちゃんのクラスメイトとかかな。男女混合で特に気負いなく行動しているその様子に、きっと慣れているんだろうな……と別世界を見るような感想を抱いてしまう。
 集団の一人が、飲み物を片手に歯を見せて笑った。
「敦じゃーん。一人?」
「や、二人」
「えー珍し。んっと……ん? あれ、こいつ経営にいたっけ?」
 こんにちはー、と朗らかに言われて反射的に頭を下げる。おれ、学部違いですよ。見覚えなくて正解ですよ。……と、心の中だけで呟いてみた。相手に一切悪意がないのは分かるんだけど、やっぱりちょっと心構えが必要だよねぇ。
「こいつは別の学部だけど、友達だから一緒に回ってんの」
「あー、『どうしても一緒に回りたい友達』だ! 敦って他学部の知り合い、男にもいたんだ」
「おい、人聞きの悪いこと言うなって」
「冗談冗談」
 誰くんだっけ、と言われて、もしかしてこれは自己紹介をすべきタイミングなのかな……とまゆみちゃんをちら見してみる。ほんの少し申し訳なさそうな表情に見えたのは気のせいだろうか。
 まゆみちゃんのお友達と思しきその人たちは、「名前聞くならまず自分からじゃね?」「確かに!」「敦の友達だと珍しいタイプだね」「え、タメだよな? ひょっとして年下?」と盛り上がっている。
「おい、あんま取り囲んで騒ぐなよ。行祓はお前らみたいに馬鹿騒ぎするタイプじゃねえから」
「自分のことは棚上げかよォ」
「俺はお前らほど騒がしくない」
「確かにそうかも。っていうかそれ何食ってんの? どこで売ってたの? 向こう?」
 あ、この人たちさてはいい人たちだな……? と、おれはこの時点でなんとなく分かっていた。そもそもまゆみちゃんのお友達だろうから嫌な人たちじゃないっていうのは大前提なんだけど、そういうの抜きにしても雰囲気がいい。クラスとかで中心になれる感じの人たちだろうな、って思う。
「えっと……おれ、行祓愁寺っていいます」
「ユキハラ?」
「どこどこに行くの行に、御祓いの祓」
「え、名前めっずらし! 漢字書けねえわー」
 今度会うときまでに書けるようになっとく、という本気なのか冗談なのか分からない言葉と一緒に五人も六人もから自己紹介を受けて、絶対覚えていられないな……どうしよう……という気持ちで嵐のように去っていく彼らを見送った。
 去り際の彼らは、「名前めっちゃハッピーって感じでいいね!」という褒め言葉を残していった。ハッピー……えーと、名前の響きが「幸原」みたいだからかな? 確かに、素直に読むと漢字はそうなるよね。
「……悪い、煩くて」
「え、全然! いい人たちだね」
「ん……うん。そうなんだよ。ちょっと賑やかすぎるだけなんだよな」
 気まずそうに謝ってくるまゆみちゃんに気にしていないことを伝えると、ほっとしたように笑ってくれた。
 ……それにしても。『どうしても一緒に回りたい』って本当に言ったんだ。
 なんだかむずむずする。くすぐったいような、不思議な感じ。まゆみちゃんのお友達がそれを何の疑問も持たずに受け入れてくれていたらしいことも、照れくさい感じがした。まゆみちゃんに何か言いたいなって思うのに、上手く言葉にできなくて少し戸惑う。おれ、何が言いたいんだろ。
「……行祓? どうした?」
「や、なんでもないよ。普段あんまり喋る機会ない人たちと喋ったからちょっとびっくりしてるだけかも」
「そうか……? ならいいんだけど、っつーか、本当はあんまりよくねえけど……なんか悪いな、落ち着かなくて」
 苦笑いするまゆみちゃんの隣に並んで、「謝らないでよ」と言う。
 まゆみちゃんが普段大学で一緒に過ごしてる人たちに、おれのことちゃんと紹介してくれたから嬉しかったよ。
 隣にいてもオッケーってちゃんとお墨付きが貰えたみたいな感じで、とっても嬉しかった。

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