羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「これまではね、直接物でもらうことが多かったんだぁ」
 スーパーで手際よく食材をカゴに入れていくそいつは、キャベツを吟味しながらそんなことを言った。
「物で? 現物支給ってやつか」
「んー、そういうのかな? おれ、そんなに欲しいものとか無いんだけどさ、みんな色々くれるんだよね」
 聞けば、前に居候していた家を出てきたときに三千円を貰った以外は全て現物支給だったらしく、他の家でも大差なかったということだった。っつーか三千円って、あの日の夕飯の材料費や諸々でほぼなくなりそうな計算なんだが。計画性がなさすぎるだろ。俺があの後すぐこいつを追い出してたらやばかったんじゃないか。
「だから、孝成さんみたいにおれに全部任せてくれたひとは初めて。ちょっとうれしい」
 ふふふ、と本当に嬉しそうにするそいつを見て、なんとなくこちらまで嬉しくなった。それにしても本当に色々なところを渡り歩いてきたんだな。なんでこいつが俺の家を選んだのかは未だによく分からないが。
 お前のその容姿なら女のところにでも転がり込めばよかったんじゃねえの、なんて試しに言ってみたら、「女のとこに泊まったらヤらなきゃなんないからめんどいよぉ」なんてぶん殴りたくなるような台詞が返ってくる。
「ん。そういやあれだ、恋人作れば同棲してても問題ねえだろ。そういうのは続かなかったのか?」
 乞われればヤるような居候生活なら、ちゃんと「そういう」関係になった方が色々なことがきっちりと嵌るように思うのだが。しかし、俺のそんな発言は軽い調子でやんわりと否定される。
「おれねー、ちゃんと自分でルール決めてんの。だから長い間ひとつのところには居られない」
「ルール?」
「本気になられちゃったら出ていくんだぁ」
 穏やかな口調ではあったけれど、それは隠しきれないくらいに冷たい響きを持っていた。
「これ、相手でも自分でもなんだけど。本気になっちゃうとさー、ほら、色々面倒じゃん? 最初はうまくやっていけるんだけど、時間が経つとだんだん慣れていって……なんていうの? 情が湧くってやつ? ほんとの名前教えてとか、言ってくんのね。みんなそう」
 名前は無いって言ってるのに、おれの言うこと信じてくれてなかったんだよみんな。酷いよね。さらりと軽い声音でそう言って、そいつは続ける。
「やっぱ長い期間おれを住まわせてくれるのはみんな女の子なんだけど、好きとかそういうの、かったるいし。おれもさー、好かれてるの分かると好きになっちゃうから、あんまり一緒にいることに慣れちゃうと寂しいじゃん」
「は? 寂しいってなんだよ、逆じゃねえ?」
「逆じゃないって。お別れするときに寂しいでしょ」
 俺は初めて目の前のそいつが怖くなった。別れる前提で誰かとの生活を語るそいつにぞっとした。確かに、日々の生活に別れはつきものだろう。俺だって、小学校や中学校の同級生などもう殆ど記憶にないくらいだし、大学も卒業した今となっては連絡を取り合う仲の奴もほんの少しだ。
 縁の切れないものといったら――家族くらいか。
「孝成さんは男だからね。重くならないし、安心だよー」
「はあ。なんかお前面倒くせえ奴だな……」
「あはは、ひどぉい。ほら、ヤったら勘違いしちゃうでしょ。お互いさ。だからそういうの無い方がいいんだよ、おれは」
 ころころと楽しそうに笑うそいつの、一瞬だけこちらを冷静に値踏みするような視線。それは俺の見間違いだったのかもしれない。けれど、「こいつはいつまで持つだろうか」と言われているような気がした。
 無理をすれば結べそうなくらいの長さの黒髪に、鳶色の瞳。瞳の色が真っ黒ではないから、髪の毛の色ももう少し茶色寄りの方がこいつには似合いそうだ、なんて関係ないことを思った。きっと、伸ばしっぱなしの髪なのだろう。くっきりとした二重は目元を強く印象付けている。
 柔らかい語り口と表情で気付かなかったが、整った造作をした人間は感情を消すと随分冷たそうに見える。
 けれどそんな風に見えたのは本当に、ほんの刹那くらいの間のことで。そいつはすぐまた柔和な笑顔を浮かべ、俺のことを不思議そうに見た。
「どうしたの?」
「や……なんでもねえ」
「そう? ねえ、孝成さんロールキャベツ何味がいい?」
「クリーム系ってどんなやつだ? クリームシチューみたいな?」
「ちがうよぉ、コンソメ味のやつにホワイトソースかけるだけ。だから、一日目はコンソメで二日目にソースかけて、ってすれば違う味になる」
「……手作りのホワイトソースってあんま食う機会ねえかも。食ってみたい」
「じゃあ、頑張ってつくらないとね」
 実はたまに失敗する、と深刻そうな顔をされてしまったので少し不安になったが、まあソースが失敗しただけなら使わなければいいだけだ。気楽にやれよ。
 俺にはどう使うのかいつ使うのか分からないくらいの量の食材を買い込んだ後は、百円ショップでそいつの日用品を粗方揃えた。そいつは自分の持ち物をあまり増やしたくないのかなかなか気乗りしない風だったが、二日三日で出ていくわけでもあるまいしと半ば押し切るかたちで購入。初日に美味い飯のため身銭を切ってくれたことを思えばお返ししたくもなるというものだ。奇しくもトータルでかかった値段は三千円ほどで、ああ、世の中ってやつはなかなかうまくできているな、なんて一人で感心した。
「ごめんね孝成さん、休み一日しかないのに」
「気にすんなよ。帰ったら美味い飯が食えるんだろ?」
 そう言うと、そいつはちょっと驚いたように歩みを止めた。そして、半透明のビニール袋に入った空色の揃いの茶碗と箸をはにかみながら矯めつ眇めつする。俯いた拍子に髪がひと房、頬に流れた。
「……おいしく食べてね」
 髪が頬にかかったことで露わになった耳に、ピアスホールがあるのを見つける。
 男で珍しい、と声をあげそうになったが、なんとなく言及してはいけないような気がして、俺はただ「もちろん残さず食うぜ、よろしくな」と言うにとどめた。

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