羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「佑護ってお母さん似なんだね」
 隣から小さく囁かれた言葉は、素直に同意しがたいものだった。三列シートの前の方では由良がスマホから音楽を流してああでもないこうでもないと選曲に忙しそうだ。この会話は前の奴らには聞こえないだろう……と判断して俺は相槌を打つ。
「……俺、あんな感じに見えてんのか」
「え、顔が似てるなーって思って。佑護のお母さん綺麗な人だね」
 あのふわふわの雰囲気が似てると言われるのは釈然としないが、今の文脈で似てると言われてもそれはそれで恥ずかしい。褒められてんのか? 俺は。
 ナルシストじゃあるまいし自分の顔をまじまじと見たことなんて無いのだが、確かに俺の母親はよく外見を褒められるし見た目も若い。年甲斐も無く少女趣味なところがあるから余計にそう見える。楽しいときは「楽しい!」と言ってはしゃぐし、落ち込んでいるのも分かりやすい。それを考えると、俺よりも寧ろ大牙の方が全体的な雰囲気は似通っているんじゃないか……なんて思う。
「……お前の方が似てるんじゃねえの。っつうか、気が合いそう」
「え、ほんと? 気が合う? 嬉しいかも」
「なんでだよ」
「佑護の家族だから、仲良くできたら嬉しいなって思うよ」
 屈託の無い答えだった。当たり前、みたいな。こいつはいつも直球なのだ。別にいい子ぶってるとかじゃなくて全て本心で思っている。初めて会ったときからそうだった。
「……今度、もしよかったら飯食いに来て」
「いいの?」
「ん……おふくろも喜ぶと思うから」
 じゃあやくそく、と満面の笑みが返ってくる。それだけのことに安心するし、嬉しいと思う。おそらく大牙と俺の母親は気が合うことだろう。そしてもし叶うなら、俺もこいつと同じように、こいつの家族を大切にしたい。
「今日平日だけど、お仕事お休みだったんだね」
「いや、俺の母親専業主婦だから」
「そうなんだ! え、じゃあお母さんの手作りのお菓子とか食べるの?」
「あー、割と作ってもらうし美味いんだけど、俺は甘いものあんま量食わねえし父親もそうだから……大体おふくろが自分で食ってるな」
 そこまで言ってから、そういえば大牙は両親が共働きで殆ど家にいないのだということを思い出す。大牙は、学校にいるときはいつも購買かコンビニで食料を買っていた。今の返答は気遣いが足りなかっただろうか。いつでも母親が家にいて、料理を三食作ってもらえて、お菓子まで手作りしてもらうことすらある俺が言うには。
 後悔したものの一度口にしてしまったことは引っ込められない。申し訳ない気持ちで大牙の様子を窺うと、そいつは不思議なくらいにこにこと機嫌がよさそうにしている。「……なんで?」思わずそう尋ねてしまって、「えっ何が?」と噛み合わない会話になってしまった。
「な、なんでそんな嬉しそうなのかと……思って……」
「そんな嬉しそうに見えた? いや、ほら、佑護って家だとどんな感じなのかなーって考えてたら楽しくなっちゃった。やっぱり家族の前と友達の前とじゃ色々違う部分もあるじゃん、そういうの想像すると楽しいよね」
 玉ねぎ嫌いだから味噌汁に入れないで、とか佑護も言うのかな? なんて話を振ってこられてうろたえた。別に玉ねぎは嫌いではない。でも、味噌汁になすを入れたときのあの食感がどうにも苦手で、できれば他の調理法にしてほしい……と言ったことはある。
「俺は外食が多いから、わざわざ自分の嫌いなもの注文したりはしないけど……あ、でも、人に作ってもらったら素直に食べようって思うかも」
「そ、っか」
「うん。母さんは『たまにしか作れないから』って俺の好きなものばっかり作ってくれるんだけどね」
 週の半分くらいは手作りの夕飯食べてるよ、とのことだ。母親が作ってくれたり、由良の兄貴の作ってくれた飯を由良と一緒に食べたりもするらしい。……確か大牙のおふくろさんは看護師だったか。それは確かに、食事を作る暇も無いだろう。
 由良のスマホから流れる曲が知っているものだったのか、ふんふんと鼻歌を歌っているそいつ。かと思えばはっとしたようにこちらを見て、内緒話でもしたいのか手を口元に添えてからそっと俺の耳に顔を近づけてきた。
「――『家族の前と友達の前とじゃ色々違う』って言ったけど、『恋人』だったね」
 いやあの、勿論友達なのは大前提なんだけどね、と囁き声でごにょごにょ言っている大牙にこちらまで恥ずかしくなってしまう。これ、俺はどんな返答をするのが正解なんだよ。しかも、周りに他の奴がいる空間で。じわじわと顔が熱くなっていくのが分かっていたたまれない。
 どうにか俯いて誤魔化せないか……と思っていると、内緒話ができて満足したらしい大牙が離れていこうとする気配を感じる。
 ああ、ちょっと残念だ。――そんなことを思った瞬間だった。
「うっわ!」
 運転席からの焦ったような声と同時に車体ががくんと揺れた。身を引こうとしている途中の大牙が、再度こちらに倒れ込んでくる。ダンッ、とガラスに手をつく鈍い音。至近距離で聞こえる声。耳を掠めた、それは、
「っとと……ごめん、ピアスに口あたっちゃった」
 ほんとごめんね、と照れ笑いしつつ今度こそ離れていくそいつ。「あっぶねーなあのオッサン!」由良が何やら叫んでいて、無理やり車線変更でもした奴がいたんだろうかとうっすら思ったが今はそれどころではない。耳たぶに触れるとびっくりするくらい熱くて、顔が挙げられなかった。
「ごめん、後ろの方揺れたよね!? 大牙くんとことか平気?」
「平気だよ! ありがと、ゆきちゃん」
 俺は、さりげなく車のシートに身を沈めて出来る限り小さくなる。万が一バックミラーとかに顔が映ってしまったらどうしよう、なんて思ってしまった。
「佑護も大丈夫?」
「……だ、いじょうぶ」
 含み笑いされている気配。ああくそ、なんで顔色ってコントロールできねえんだよ。
 熱い耳たぶを持て余しつつ、俺はぼんやりと思案する。
 大牙がこれからもこうやって耳に唇で触れてくるようなことがあるなら――ピアスは危ないから、外しておいた方がいいかもしれない、と。

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