羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 由良のおにいさんは大人だ。年齢的な意味でももちろんそうだけど、今言っているのはまたちょっとちがう話。
「清水! こっちこっち」
 停車したレンタカーの窓から手を振ってくる由良に、俺は小走りで近づいた。後部座席には城里くんとゆうくんもいる。席順、前と一緒だね。ドアを開けると由良はすかさず奥に詰めてくれる。海に行ったときも同じようなことをしたな。今日はひとつ、そのときから変わったことがある。
「こんにちは――初めまして。宏隆がいつもお世話になっております。ご面倒をおかけしますが、よろしくお願いします」
 今日は、俺の母親がいた。前は日帰りだったし待ち合わせ場所が学校の門前だったこともあって特別挨拶をするところまではいかなかったけれど、今回は泊まりだからと母さんは由良のおにいさんに挨拶をしたがったのだ。
 普段からお世話になっているのに一度も直接お礼を言えていないから、と不安そうな表情をしていた。俺が言うのもなんだけど、母さんは人付き合いがあんまり得意じゃないみたい。
 母さんが何度も練習したらしきせりふを噛まずに言えたことに俺までほっとしていると、由良のおにいさんはわざわざ運転席から出て挨拶を返してくれた。
 俺と母さんは結構似ているところが多いから、今何を考えているのかほんの少しなら予想できる。金髪で、ピアスをしていて、派手な顔立ちの由良のおにいさんをちょっと怖いなと思ってる……んじゃないかな。
「こちらこそ暁人がいつも仲良くしていただいてます。旅行中は俺が責任持ってみんなを見てますんで。連絡先、お伝えしておきます」
 こういうふうに由良のおにいさんが喋るのを見ていると、ああ、このひとはほんとうに、由良の『保護者』なのだなあと思う。歳が離れていて、由良と一緒に行動するときはいつも責任ある立場を担っている。兄弟だけど、親代わり。俺は長らく一人っ子だったのでうまく想像できないけれど、たくさん大変だっただろうな、って思う。
 由良はね、『最近ふにゃふにゃしてる』とか『マジで俺に対しては横暴だからあいつ』とか冗談交じりに言ってる。それはきっと二人きりだからで、俺が普段からよく見るおにいさんはとても、ちゃんと、すごく、大人なのだ。
 俺たちの親世代とこうやって対等な立場で喋るの、どれだけ気を遣うだろう。
 母さんは、おにいさんの派手な見た目に反した語り口の柔らかさに安心したのかさっきまでよりもいくらかスムーズに会話ができている。よろしくお願いします、と何度も頭を下げる母さんに合わせて、おにいさんも笑顔で何度も頭を下げてくれていた。
「――宏隆くんのお母さん、俺なんかにもめちゃくちゃ丁寧に挨拶してくれたね」
 母さんに見送られて車に乗り込んだ後、車の中でおにいさんはそう話を振ってきた。俺の母さんが若干おにいさんを怖がっていたのに気付いているんだろうな。それでも敢えて、こういう言い方をしてくれたんだろう。
「母がなんだかぎこちなくて、ごめんなさい」
「え、別に全然! 初見だと引くでしょこの見た目。自分で分かっててそうしてるし、寧ろ怖がらせちゃってたら申し訳ないっつーか……宏隆くんのお母さんは、俺のことバカにしてる感じじゃないから全然いーよ」
 宏隆くんのこと大切にしてるって伝わってきたよ、とおにいさんは笑いながら言ってくれる。
「ありがとうございます」
「ふは、いいって。この歳になるとさー、純粋に怖がってんのと見下してんのとの違い、分かるんだよ」
 最後の方は若干慣れてくれたと思ったんだけどどう? と聞かれたので「大丈夫だと思います」と返した。失礼な奴め! って怒ってもいいはずなのにこうやって流してくれて、俺のフォローまでしてくれる由良のおにいさんは優しい。
 俺たちと一緒だと、どうしても一人だけ年上で責任者で、気が休まらないんじゃないかな……とか、思ったりする。思ってた。でも、万里くんがいてくれるときはちょっぴりちがうみたい。
「最後は万里か。あいつ一人だけ家遠くて大変だよな、毎日電車で通学とか地獄だろ」
「マリちゃんはお前と違って早起きが苦痛じゃなさそうだけどな。電車の中だと座って本読んでるらしいし」
「優雅じゃねーか。……でもやっぱ単純に、学校終わってから家に着くまでの時間が長いのとかムリ!」
「規則正しい生活リズムお前も学べば?」
「まったく同じ台詞返すぞ、オイ」
 テンポよく続く兄弟の会話を聞きつつ思う。由良のおにいさんにとって、万里くんはやっぱりいろいろな意味で『特別』なんだな、って。
「ゆきちゃんってさ、万里と仲いいね。元々知り合いだったみたいだし」
「ん……万里、喋り方とか大人びてるし丁寧だし、喋りやすいっつうのもありそう」
 後部座席から小さな囁き声。由良兄弟は自分たちの会話に集中しててこの音量だと聞こえていないだろう。そういえばこの二人は事情をまだ知らないんだった。由良のおにいさんも二人のことは知らないし。
 いつかばれることって、あるかな。……ありそう。
 そんなことを考えていると、もう万里くんの家の近く。「相変わらず塀が長いな……」と感嘆の息を漏らしているゆうくんに心の中で同意しておいた。由良と城里くんはお泊りしたことがあるらしい。時代劇で見るお屋敷みたいなおうちだ。
 広い道の先の門前に佇む人影はもちろん万里くんだろう。そっと車のバックミラー越しにおにいさんの表情をうかがうと、うっすらと目を細めて微笑んでいる。べつに車の速度が上がったりとかはしなくて、むしろよりいっそうゆっくり安全運転になっていた。
「まーたフニャってる」
 由良が俺に、小さく小さく耳打ちしてきた。由良がよく言うそれ、要するに『幸せそうにしてる』って意味だよね?
 おにいさんは大人。でも、万里くんの前だとそれがちょっとだけ和らぐ。
 俺はそれが、なんだかとっても嬉しいなって思うんだ。

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