羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 遼夜って、セックス本番よりも全部終わった後にベッドでぐだぐだ喋る方が好きなんじゃないだろうか。
「はぁ……あつい、ね」
「そうだな……水飲むか? ちゃんと立てる?」
「立てるよ、ありがとう。じゃあいただこうかな……おれが行くから奥は座っていてくれ」
 冷蔵庫まで向かう足取りはしっかりしていて、俺の分の水まで持ってきてくれた。お礼を言って受け取る。寝間着の浴衣を肩から引っ掛けて簡単に帯を結んだだけのその姿は遼夜の普段の基準からするとかなりゆるいけど、いかにもそういうことをした後ですよって雰囲気があって俺は好きだったりする。首筋には俺が調子に乗ってつけまくったキスマークが赤く残っていてちょっとした達成感。こいつは基本的に在宅仕事なので、痕をつけてもいいときはちゃんと「今日はいいよ」って言ってくれるのだ。改めて考えてもめちゃくちゃ優しいな。
 ちなみに遼夜はキスマークをつける俺を見ていつも羨ましそうにしている。自分もつけたいけど上手くできないらしい。可愛い。
 たぶん吸う力が弱すぎるんだと思うけどな。痛くないか気遣うあまり……ってやつ。ちょっと痛いくらいじゃないと綺麗につかねえのに。何回かコツを教えたこともあったんだけど、ひょっとすると痛いかも……って考え始めるとどうしても遠慮してしまうみたいで控えめな色しかつかない。まあキスマークって要するに軽い内出血みたいなもんだし、つけないならつけないで構わないんだろうけどさ。何より、淡いキスマークにも遼夜の穏やかで慎ましやかな性格が表れてるみたいに感じるから俺はすぐ消えそうなそれも好きだったりする。
「……あ、そういや次の仕事だけど」
「急に現実に引き戻されたな……」
 付き合って五年も経つと流石にな。俺としては、遼夜が飲み物取りに行った時点で場面リセット扱いになると思ったから仕事のことも口に出した。許されるだろうと思いたい。
「まあまあそう言うなって。『幻想』をテーマにした短編と、あとはエッセイ書いてみないかって話が出てる。どうする?」
「前者はともかく後者は……エッセイって、何を語ればいいんだ」
「そういうの自由だからエッセイなんだろ。エッセイ買う層って作者自身に興味のある奴らだしお前のことならなんでもいいんじゃね」
「そんな面白い人生は送っていないんだがなあ……」
「家に風呂が三つあるとか書いとけば」
 いやだよ、とちょっとむくれている遼夜。まあでも、仕事を断りたいって感じじゃねえし大丈夫か。
 遼夜は顔出しの仕事は今のところ全部断ってる。メディアへの露出も無し。俺としてはその方針には逆らわないようにしてる。
「お前昔から目立つの嫌がってたもんな」
「うん? 何の話だ?」
「人前に出るような仕事は全部断ってるだろ」
「ああ……だって、もし夢が崩れたりしたら申し訳ないじゃないか」
 どうしても作風から作者像がつくられるところがあるからな。それが本人と乖離してるかも……と悩むのは仕方の無いことなのかもしれない。俺から言わせてもらえればイメージぴったりなんだけど。
「こんな目つきの悪いスポーツ体型の男が書いているとばれたら幻滅されるかもしれないし……」
「お前それは流石に発言がネガティブすぎるだろ」
「だってなぜだか分からないけれどおれたまに読者の方から性別を勘違いされていることがあるんだよ、確かに男だと明言したことは無いけれど女だと偽った記憶も無いぞ……」
 お前の筆名男女どっちもいける名前だし、後書きとかの一人称が『私』だし言葉遣い丁寧だし字も綺麗だからな。あとはたぶん茶道やってるってどっかでぽろっとこぼしたからだと思う。もういい機会だしエッセイ書くときに性別はっきり言っておけばいいんじゃね?
「っつーか、そんなんでどうすんだよ。『この先サイン会とかの話あるかもですけどそれも断りますか』みたいなこと言われてんぞ」
「そのときはおまえか高槻に代理で出てもらう……」
「無茶言うな。お前はその間どこにいるんだよ」
「マネージャーのふりをしてこっそりみなさんにお礼を言う……」
「直接言ってやれ、普通に」
 八代は候補に入らないんだなと言ったら「あいつに頼んでも即答で断られるだろうから候補に挙げるだけ無駄だと思って」とのことだ。……うーん、遼夜と八代ってお互い意外とドライだよな。双方に対して甘くない。謎だ。
 いや、それよりも。俺と高槻なら即答で断られることは無いと思ってんのかこいつ? どれだけ遼夜に甘いと思われてるんだ。
 まあ軽い冗談のようなものなのだろうが、実際問題高槻に頼んだりしたらとんでもないことになりそうである。あいつ他人の前だと気持ち悪いくらい愛想がいいし、完璧にやりすぎて人前に出る仕事がひっきりなしに回ってきそうだ。ずっと代役頼み続けるなんて無理なんだから最初から誤魔化さずにいるのが一番だろ。
「ん……よし。仕事があるって幸せなことだね。頑張ろう」
 どうやら自分で気持ちに整理をつけたようで、俺の知らないうちに何かに納得したらしい遼夜である。全面的に同意だ。暇は感性をを殺すからな、忙しすぎても駄目だけどさ。
「仕事の詳細はまた後でメールで送ってくれ。おれは旅行の準備をするから」
「はあ、今度の行先は?」
「どうしようかな……景色がきれいなところがいいなあ。場所を選ばない仕事をしているとこういうとき嬉しいね。奥も休みがとれるときは一緒に行こう」
「出張扱いになれば経費で落ちるんだけどな」
「そう甘くはないよ、というか出張扱いで行くなら本当に仕事のことしかできないだろう」
「定時後はその限りではない、ってやつ」
 遼夜は途端に気まずそうな顔をした。もしかして、従弟に俺とのことバレたのまだ気にしてるのか。まあ、定時の三分後だからっつってキスした俺も悪かったかもしんねえけど……。
「……怒ってる?」
「怒ってなんかいないよ。……いずれ、話す必要はあるのだしね」
 なんだよ、意味深だな。
 出発はいつにするのかと聞いたら金曜らしい。曰く、「高槻のところのお店でケーキを食べてから出発します」とのことだ。ええー……。
「マジで言ってんの?」
「今の季節、果物がおいしいよなあ。あのお店はね、月曜と木曜にケーキを焼くから火曜か週末に行くと色々な種類の中から選べるよ」
「お前どんだけ通い詰めてんだよ」
 たくさん食べてたくさん運動するから……と言い訳めいた口調で言う遼夜は和菓子派だったはずなんだが、最近は果物のたっぷり載ったきらきらのケーキに心奪われているらしい。いっそ創作に活かしてくれよ、それを。
 なんだか完全に気が抜けてしまってベッドに仰向けに倒れ込む。すかさず遼夜が隣に寝転んできた。……うーん、あざとい。好き。
「――、……ちなみに特に深い意味は無く聞くんだけど、最近食べたおすすめのケーキは」
「うん? 最近だとオレンジタルトがおいしかったよ。タルト生地がココア味でね、カスタードにもオレンジ果汁が練り込んである」
「あ、美味そう」
「秋になったらかぼちゃのパイを作ってくれるって言っていたから、楽しみだなあ」
「ごめん流石に言っていい? 餌付けされてんじゃねえよなんか寂しくなるだろ俺が……」
「ふふ、今度は一緒に行こうね」
 あーはいはい、俺も行けばいいんだろ行けば。なんでケーキに嫉妬しなきゃなんねえんだ……?
 釈然としないものを感じつつ、しかし甘い物を食べているときの遼夜はいたく幸せそうなので俺としても穏やかな気持ちで見守っていきたい所存なのだった。
 でもちょっとこれは、あれだな。
 八代にでもこっそり言いつけてやった方がいいかもしれない。

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