羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 高槻が若干どころじゃなくファザコン入ってるのは知ってたんだけど、そんな高槻の様子に一番驚いていたのは当の涼夏さんだった。たぶん高槻は「家族がいなくなる」ことに対して人一倍の恐怖心があって、だから心配が行き過ぎているように見えるんだろうけど……やっぱり、はたから見るとうわっ……てなる。うわっ……て。
『あいつ、母親のことは覚えてないし俺も仕事であんまり構ってやれなくて、誰かに思いっきり甘えるみたいな経験が全然足りてないんだと思うんだよねー……今となってはもうちょい仕事セーブしながら生活すべきだったのかもって後悔してる』
 とは、涼夏さんの言だ。確かに高槻って一人で何でもこなせちゃうタイプだし、全然手のかからない子供だったんだろうな。それどころかさくらちゃんのお世話まできっちりこなしてたし。小学校に入学するより早くから簡単な料理を含め家事全般はできていたらしくて、母親と姉三人に甘やかされまくったオレとしてはちょっと想像がつかない部分はある。
 ちっちゃい頃の高槻、よく『一人でできるから大丈夫』って言ってたみたい。
 そりゃ、まあ、額面通りの意味じゃないよね……。切なくなってしまった。
「はぁああ……」
「なんだよその無駄にでかいため息は」
「……高槻、オレにいくらでも甘えていいからね!」
「ああ? せめてこの部屋もうちょい綺麗にできるようになってからそういうことは言え」
 今日は珍しく高槻がオレの一人暮らしの部屋に来てくれてる。高槻のところに比べたらキッチンの設備もショボいし何より狭いし、雑然としてるのは確かだ。そこを突かれるとオレはもう小さくなって反省するしかないんだけど……生活態度がだらしない、ってよく呆れられるんだよね。そこまで酷いわけじゃないと思うんだけどなー。
 高槻は、たとえ一日オフで出かける予定が一切無かったとしても、いつでも出かけられるようなきっちりした恰好に着替えるし平日と同じ時間に朝ごはんを食べる。勿論起きる時間も一緒。次の日が休みだからって夜更かしをするタイプじゃないので生活リズムも崩れない。強いて言うなら、今夜は飲むか! ってときには日付が変わるまで起きてることもあるかなーってくらいだ。
 一方でオレは元々夜型なのもあって、休みの日は朝十時近くまでぐだぐだ寝てる。出かける予定が無ければ一日適当な服で過ごすし、朝起きるのが遅いからご飯は朝昼兼用だったりするし、掃除機かけるのは三日に一回でいいやって思っちゃう。
「高槻ってやっぱきちんとしてる人が好き? 津軽みたいな……」
「おい、後半は無視するからな。……部屋は綺麗な方がいいけどそこまで細かくはないつもりでいる。最終的には俺がやれば綺麗になるし」
「ええー……」
「んだよ、どうしても目に余るときに言ってるだけだろ」
「うっそそんなに目に余りまくってんの!? オレの部屋そんなにダメ!?」
「駄目っつーか、床に物が置いてある時点でちょっと……全部綺麗にしまって、何か使った後は必ず元の場所に片付けるようにすれば絶対散らかることは無いだろ」
 あっ、また呆れられた予感がする……うーん、高槻が基本的に世話焼きで過保護だからまだいいけど、要するにこれオレが高槻に我慢させてるってことだから改善したい気持ちはある。あの、不潔な部屋じゃないんだよってことだけは主張したい。紙類が片付かないんだよこの部屋……。
「高槻はさ、何度も使うものだといちいち片付けめんどくさいなーとか思ったりしない……?」
「なるべく取り出しやすいし片付けやすい場所に置くだろそういうのは」
「料理で使ったボウル洗うのめんどくさいなーとかは……?」
「あー……? 俺基本的に片付けながら料理するから食事が出来上がったときには配膳する食器以外全部片付いてる。面倒とか思う暇ねえし」
「ううー……」
「な、なんだよ。っつーかお前家事するときにいちいち面倒だの何だの考えながらやってんのか? 生きてたら当たり前に家事するんだから呼吸の延長みたいなもんだろ」
「息するように家事はできねー! そっか、これが習慣か……確かにオレも帰ってきてパソコンの電源つけるの面倒だと思ったこと一度もねえわ……」
 オレたち同棲はできないね。高槻の負担が大きすぎる。
 こういうのって大体、几帳面な方がなんでもする羽目になりがちじゃん。オレが「気にならないから」って掃除機ほったらかしてる間に高槻は少なくとも三回は掃除するんでしょ? 大変だと思う。あれ、でも高槻の理屈だと息するのと同じようなもんだから大変に思ってるわけではないのか? うーん。
「……もし、今日一日家事なんにもやらなくていいよーって言われたら高槻はどうする?」
「それって明日になったら家事が二日分溜まってるとかじゃねえの?」
「や、違う。先送りじゃなくて完全に免除」
 ふうん、と高槻は相槌を打って、少し黙った。それは本当にほんの少しの間で、すぐに高槻はオレに笑顔を向けてくる。
「じゃあ、お前誘ってどこか遊びに行きたい」
 あっダメ、今のめちゃくちゃときめいた。あれだよあれ、ハートに矢が刺さったのを想像してほしい。あんな感じ。オレはただ、一日だらだらできる日があったらこいつは何をするかなって気になっただけなのに……危うく致命傷を受けるとこだった。こいつ、あまりにも最高すぎない?
「お前さ……なんつーか、そういうとこ健気でかわいいよね……」
「何言ってんだお前?」
「オレのこと大好きだよね、って話」
 こくり、と素直に頷かれてしまってはオレもどうしようもない。次の休みお前に合わせるからさ、どっか遊びに行く? どこでもいいよ、お前の好きなところに行こうか。遠出してもいいし、近場でもいい。泊まりがけも視野に入れる。
 実際はさ、家事が魔法みたいに免除になったりはしないけど。でもオレが頑張ってやってみるよ。高槻は「俺がやった方が早い」って言うかな。でもきっと褒めてくれるんじゃないかなーって思うんだよね。普段はオレが手伝いを申し出てもスルーされるけど、ほら、高槻って空気も読めるし。
 一人で色々と想像をめぐらせていると、ちょんちょん、と服の裾を引かれた。目が合ったのを合図にそっと抱き締められる。「どうしたの?」とうっかりムードも何も無い発言をしてしまったんだけど、高槻は機嫌のよさそうな声で「『いくらでも甘えていい』んだろ?」返してくれた。オレの胸でよければいつでも貸すよ!
「こうやって何の意味もなくイチャイチャするの、『恋人』って感じだね」
「意味があった方がよかったか?」
「あってもなくても好きだよ、どっちも」
 オレは思ったことをそのまま言っただけだったのに、それが高槻には面白く感じられたらしい。笑い声が肩越しに伝わってくる。こういうとき、オレの方がちょっとだけ背が高くてよかったって思うのだ。
「家事は好きだし、今はもう無理してるわけじゃねえから。ありがとな、心配してくれて」
 ありゃ、そこまで分かってんの? ちょっと恥ずかしいね。誤魔化すために高槻の体を抱き締め返した。視界の隅に、積み重なった書類だの資料だのがちらりと見える。
 ――高槻が帰ったらこの床綺麗にしよう。
 それで、次にこいつが来てくれるまで綺麗さをどうにか保って、驚かせてやるのだ。もしかしたら褒めてくれるかもしれない。期待してみよう。
 高槻はオレの企みなんてきっとつゆ知らず。それでいい。
 別に高槻から強制されたわけじゃなくて、オレがやりたくてやるんだからさ。

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