羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 健康的に早起きして、朝風呂でさっぱりして、オレたちは旅館を後にした。旅館の人たち、みんな親切だったな。また来たい。
 出発前、時間の関係で昨日は食べる機会の無かったお茶請けをちょっとつまんでみたらこれが美味しくて、つい小さめのお土産を買ってしまった。このくらいならバッグのポケットに余裕で入るし、おやつにでもしよう。普段はこういうのあんまり買うタイプじゃないんだけど、やっぱりうかれてるみたいだ。
「ううう、普段使わない筋肉を酷使してしまった……」
「なんで既によぼよぼなんだよ」
「これでも温泉のお陰で回復している方なんだぞ。敗因はマッサージが無かったことだろうか」
「言ってろ……まあ、こまめに休憩しような」
 春継はやっぱり筋肉痛に苦しんでいるらしい。オレも若干ふくらはぎが硬い気がする。一応念入りにストレッチはしてきたので大丈夫だろう。何より、筋肉痛がすぐにくるのはまだ若い証拠って言うし。ああでも、何がどうして筋肉痛がすぐくると若いってことに繋がるんだっけ? 詳しいことを知らないから一概には言えないかも。
 筋肉のメカニズムについて想像を巡らせつつ歩く。遠出だったのでその土地の名物をできる限り色々食べてみたくて、旅館はわざと朝食抜きのプランにしておいた。驚いたことに、春継が「ここ美味しそうだね」と言って入った店は本当にどこも美味しくて、妙に勘のいい奴だなと感心してしまう。店構えとかで目利きができるのだろうか……? 不思議だ。
「春継って食べるの好き?」
「うん。美味しいものは好きだよ、作るのも楽しいと思うし。冬眞くんも食事にお金をかけるタイプのように見受けられるけど、いかがかな?」
「まあ独身一人暮らし無趣味の楽しみなんて食うぐらいしかねえからな……アンタはなんか、高いものに慣れてる感じがする」
「いやあ、誰と食べるかの方が究極的には大事だとこの歳になって気付いたところさ」
 気付かせてくれたのは誰だと思う? と微笑まれた。いや、いやいやいや、そんな謎かけされても答えられない。自惚れてるみたいだろ。そんな風に思っている時点で既にかなりあつかましいのに。
 春継はそんなオレを見てくすくすと笑った。……もしかして、からかわれた?
「おい……あんまりからかうなって、マジで」
「おれは思ったことを素直に口にしただけなんだがね。嘘はついていないよ?」
「……、ばーか……」
 からかわれたというのにまったく嫌な気持ちがしない。あーもう、末期だ。
 そんなこんなで少量をちょこちょこつまんでいただけだけど積もり積もれば……という感じで、昼を過ぎる頃にはすっかり満腹。食べ歩き、侮りがたし……。高校くらいの頃はもっと食えたと思うんだけど、歳を取ったっつーことかね。
 空港に向かうにはちょっと早いだろうか、でも後になってばたばたしたくないよなあ……というようなことを話しながらなんとなく駅へと向かう道を歩いていると、春継が何かを見つけたらしい。「あっ」と小さく声をあげる。
「どした?」
「と、冬眞くんあれ……あれを見てくれ……」
「んん?」
 そいつの示す方向に視線をやると――ああ、なるほど。こいつ、とことん『何かを作る』ことが好きらしい。
「おうどん、自分で打てるんだって……! とても贅沢だ」
 こんなに瞳をきらきらさせているのだから是非オレとしても寄っていきたいところだ。が、しかし。
 オレが発言を躊躇っていると、春継はこちらを見て穏やかに笑う。「大丈夫、分かっているよ。流石にこれをやっている時間は無いものね」ちゃんと分かってくれていたのか。そう、流石に今から入店してうどん打ちにいそしむ時間は無い。飛行機に乗り遅れてしまう。慌しく急いでやってもいいものは完成しないだろうし、ここはどう考えても見逃しが正解だ。でも、ただ「無理だよ」と言うだけで終わりにしたくない。それではあまりにも寂しい。
「――また、来ればいいよ。そのときは一緒にやろ」
 つい、そんな調子に乗ったことを言ってしまった。心からの本心だった。また一緒に旅行して、こういう経験を共有できたら楽しいだろうなと思った。春継はこの言葉に驚いたようで、しばらくまじまじとこちらを見つめていたがやがて恥ずかしそうにはにかむ。
「未来の話をしてくれるんだな、あなたは」
「え……い、嫌だった? ごめん」
「嫌なわけないだろう。……また来ようね、約束だよ」
 やくそく、というくすぐったい響きにどぎまぎしてしまう。頷いて、春継の隣に並んで駅まで歩いた。
 うっかり未来の話なんて口にしてしまったけれど、こいつは呆れるでもなく笑い飛ばすでもなく、ただ嬉しそうにしてくれた。こんな吹けば飛ぶような関係性なのに、それでもオレの言葉を否定したりはしなかった。
 そのことにオレがどれだけ救われているか、こいつは分かっているのだろうか。
 勘違いしてしまう。まるでこの先も一緒にいられるかのように思ってしまう。こんな、根拠の無い希望を抱いてしまうのは怖い。怖いのに抗えなかった。もし明日も明後日もその次もこうやって言葉を交わせると信じられたらどれだけ幸せだろうかと思う。思い上がってしまうのだ。
 帰りの道のりは、春継の口数がいつもより少なくて。
 でも、目が合ったら必ず笑ってくれるから、オレはまた泣きそうになってしまった。

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