羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「お前が連休とるって珍しいな。旅行?」
 休み明けに声をかけてきたのは同期の営業。まあ、オレの手には会社用に買ってきたお土産があったので分かりやすかったのだろう。箱からひとつ取り出してそいつに渡す。
「そ。ちょっと遠出してきた」
「へえ、いいな旅行……もうちょい涼しい時期のが楽だけど」
「有休余りまくってんだろ。彼女と行けば?」
 半笑いで軽口を叩く。またぞろ『彼女じゃない』が始まるかと思ったのだが、そいつはちょっと考えた様子で黙り込む。そして、「なあ。前言ってた飲みなんだけどよ、明後日辺りどうだ?」と急に話題を変えてきた。
「明後日? いいけど」
「その……なんだ、やけに高そうなワインのなんとか……?」
「いや、何本気にしてんだよ。普通の居酒屋でいいっつの」
 じゃあ明後日の定時後にまた、と言うと、「お土産ありがとな」なんて返される。それ、美味いよ。心して食え。
 ……春継が選んでくれたんだけどさ。

 そして二日後。オレは同僚とサシで飲んでいた。なんだか久々な感じがする。
 飲むので夜遅くなるということを春継に伝えると『飲みすぎないようにね』なんて開口一番忠告されてしまって、酒に関して信用がなさすぎる……と若干危機感を覚えた。また酔っ払って帰ってくると思われているんだろうか。あの辺りの失態はマジで忘れてほしい。
 まあこれに関しては前科がありすぎるので素直に頷いたのだが、それを見て満足げな笑顔を浮かべた春継に、
『……よしよし、いい子だ』
 なんて言われたときは一体こいつどうしてくれようかと内心大暴れしたものである。それはさあ、あの、ずるくない? あまりにもツボなんだけど。
「――おい、お前も串頼むか? つくねとねぎま」
「んっ? あ、うん。ありがと。貰うわ」
 やばいやばい、思い出してニヤけてたかも。あいつのことは一旦置いておこう。
 どうやら以前オレが手伝った資料作りはちゃんと役に立ったようで、大きめの契約が一件取れたらしい。改めてお礼を言われてしまった。オレ、ホチキス使っただけだけどね。
「次のボーナスの査定期待できるんじゃねえの?」
「どうだかな。まあたくさん貰えたほうが助かるけどよ……っと、そうだ。それだけじゃなくてもうひとつあって」
「ん?」
 突然何を言い出すかと思えば、昔ちらっと相談に乗ったときのことについてだ。寧ろこっちの方がこいつ的にはメインの話だったらしい。なんだっけ、戸籍がどうとか……? オレ、戸籍法はそんな詳しくないからあんまり有益なことは言えなかったと思うんだけど。
 いつの間にかまた面倒事に巻き込まれていたらしいお人好しの同僚は、「つい最近だけど、ようやく戸籍作ってもらえたんだよ」と達成感溢れる表情をしていた。よかったな。っつーか何、どんだけお人好しなの? この口ぶりからすると手続き関係とか全部こいつがやってそうなんだけど。無戸籍の人間のお世話してたの?
「待って、予想するわ。……DV受けて逃げてきたシングルマザーにでも惚れた? んでそのシンママに連れ子がいたとか」
「勝手に俺の人生の舵を切るな。子供はできねえよ」
 ありゃ、違うの? 割といいセンいってると思ったのに。
 いくらこいつから話してくれたこととは言え、むやみに詮索するのも下世話だろう。敢えてその話題に深くは突っ込まずに運ばれてきたねぎまを一本取った。んー、最近家庭料理に慣れてきたからか若干味が濃い気がする。美味いけどね。
 そこから一時間くらいとりとめのない話をしながらゆっくり酒を飲んだ。うん、今日は大丈夫。意識ははっきりしてるし、ほろ酔いでなんとなく気持ちいい。そんな風に勝ち誇る。時間もいい頃合で、そろそろ帰るか……と最後のつまみを双方片付けていたときに、ふと目の前のそいつから疑問が投げかけられる。
「そういやお前、一人旅とかするタイプだったか?」
「え? 全然」
「遠出したっつったろ」
「二人で行ったんだよ、それは」
 途端に「えー……」みたいな顔をされた。なんなんだ。
「お前、普段散々彼女がどうとか俺に言ってくるくせに自分こそいるんじゃねえか……」
「んん!? いや、全然そういうんじゃねえよ」
 間違ってもそんなんじゃない。じゃあ友達か、と同僚はあっさり納得していたけれど、オレとしてはそれも……ちょっと、微妙だ。
 オレとあいつって、友達だっけ?
 初めて会った日、あいつは『よき隣人であり友人になる』なんて言っていたけれど。オレはあいつを友達だと思ったことは無い……のかも。何故ってそんな、ただの友達だったら一緒に旅行なんてしないと思う。秘密を打ち明けることもきっと無かったし、些細な言動に振り回されることも無かった。
「……よく分かんねえわ」
「はあ? 友達でもないのかよ」
「うるせえな、お前にだってなんかよく分からない……彼女のようでそうじゃない家族みたいなのがいるじゃん……?」
 同僚はちょっと笑った。「そいつは彼女ってわけじゃない。でも俺の家族で、恋人」と言った。え、なぞなぞ?
 そいつはビールの最後の一口を呷るとさっと立ち上がる。オレも慌てて後を追ったけど、追いついたときには既に会計も済んでしまっていた。
「ご、ごちそうさまです……?」
「ああ。ありがとな色々。また何かあったらよろしく頼む」
「営業のことはなるべく営業内で解決してくれませんかねえ……!?」
 そいつはやけに機嫌がよさそうだ。何やら飲んでいる間にメールが入っていたようで、携帯をチェックしている。
「牛乳買って帰らねえと」
「恋人さんとやらに頼まれた?」
「おう。どうしても朝飯にフレンチトーストが食いたいんだと」
 ああそうかよ幸せそうにしちゃってまあ……。
 ほんの少しの妬ましさを覚えてはみたもののこの同僚は底なしにいい奴なので、どうか結婚詐欺とかに遭わずにこのまま幸せになりますように……と微力ながら祈る。
 こんな風に人の幸せを祈れるようになったのは春継が家で待っていてくれるのが分かってるからだろうな。荒んだ気持ちにならないっていいことだ。
 春継。オレにとってもはや他人だなんて口が裂けても言えない、けれど友達かと聞かれると首を傾げてしまう、不思議な奴。しいて言うなら好きな人? うーん、響きが甘酸っぱすぎて敬遠したい。そんな、一言では言い表せない相手。
 この曖昧なままの状態が続いてくれないかな。ぼんやりとした、人肌のようなぬくもりが。
 ……もちろん、無理だって分かってるけど。

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