羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 高槻が帰って来た日はオレの家で夜通し喋った。いや、きっと大したことは喋ってないはずなんだけどそれでもあっという間に夜が明けた。高槻は飲食店に勤めていたからか髪が短く黒くなっていて、けれど「また茶色く戻す」と気恥ずかしそうに笑っていた。酒が飲める歳になっててよかったなあ、と思ったものだ。
「お前就活してねえの?」
「ん? 会社が案外軌道に乗りそうだからいけるとこまでいってみようかと」
「お前も自営か。お互い忙しくなるな」
 もし時間に余裕あったら飯食いにきて、と言われて嬉しくなる。当たり前じゃん。言っただろ、週に半分くらいは通うと思うよって。大学に入ってから一人暮らしを始めたオレはとっくに自炊を諦めて三食外食生活をしていたので美味しい手料理を食べられるのは願ったり叶ったりだ。
 高槻はその日、一人暮らし用の二口しかついてないコンロのあるキッチンで数年ぶりに手料理をふるまってくれた。懐かしくてちょっと泣きそうになったのは内緒だ。昔からびっくりするくらい美味しかったけど、更に美味しくなったように感じる。
 どうやらもうすぐ開店前のレセプションがあるらしい。なんでも、開店準備自体はちょっと前から進めていて打ち合わせ等でこっちに来ることはこれまでもあったとのことで、本格的に引っ越してきたのが今日なんだとか。確実に目途が立ってからオレに教えたかったんだってさ。開店祝いには花を贈るねと約束をして、その日はお開きとなった。
 楽しかったけど、恋人と別れたのだということは結局言うことができないままだった。
 オレと高槻は友達同士のまま、そこから更に一年ほどの時が過ぎた。高槻がローンを買い取った店は太陽の光がさんさんと降り注ぐ二階で、白木の造りと緑に溢れた内装が綺麗だった。オレはというとちょくちょく暇を見つけては食事をしに行って、今日も高槻の作ったものが食べられるという幸せを料理と一緒に噛みしめる毎日だ。高校時代の同級生とひょんなことから再会したり、高槻の店で同窓会したり、それをきっかけにまたちょくちょく会うようになったり――なんだかんだ一生高槻とはこの距離感なのかもなんて思っていたら、意外なところで転機はやってくる。
 その人はこの辺りでは珍しい、綺麗に染めた金髪を持つ男の人。おそらくオレの同年代だろう彼は、高槻を見てまったく別人の名前を呼んだ。
 あんな、人前で分かりやすく表情を強張らせる高槻を見たのは初めてのことだった。
 思わずと言った風な怒鳴り声には驚いた。だって、高槻はちょっぴりガラの悪そうな雰囲気こそあるけれどその実とても優しくて、基本的に怒ったりしない奴なのだ。高槻はよく津軽のことを「怒らないから怖い」なんて言うけど、お前だって怒らないじゃんって常々思う。だから今回、高槻が急に大声をあげたことも、相手がおそらく初対面の人間であったことも、オレには衝撃的だったのだ。
 万里くんたちが帰っていったのを見計らって、オレは高槻に声をかけた。大丈夫? 顔色悪いよ? なんて。事情が知りたくもあったけれど、今はこいつの体調が優先だ。こいつ、昔からメンタル面の荒れが体調に直結する奴なのでこのまま放っておくとうっかり寝込みかねない。
 高槻はオレを見て微かに笑った。「……悪い。ちょっと晩酌に付き合って」二つ返事でオーケーする。シラフでは話せないことなのだろう。


 結局、高槻が口を開いたのは数種類のつまみを作り終えて酒を用意して、二杯目をおかわりしてからのことだった。
「俺の父親、ずっと水商売やってたんだよ」
 薄々察しのついていた内容であっても、こうして口にするのはこいつにとってとても勇気のいることだっただろう。高槻は続けて、「……片親だったから」と小さく呟いた。
「それは――その、さくらちゃんの医療費とか、そういう?」
「……まあ、たぶん。普通に会社員やって稼げる額じゃなかったんだと思う。若かったし。保険のきかない高い薬とか、散々試してたからな……最終的には、全部取り替えなきゃ無理って医者に言われたんだけど」
 こうやって聞くとどうしても気持ちが落ち込む。さくらちゃんが亡くなって七年だ。それを、「もう」と言うか「まだ」と言うかは判断が分かれるところだろう。
 高槻はそこからまたしばらくの間黙っていた。グラスの中の氷が解けて、カラン、と音をたてる。
「……お前って母親似?」
「んえっ? なにいきなり……オレんとこ、顔は姉弟全員母親似だよ」
「それっぽいな。前見せてもらった写真、母親も写ってたか? たぶん美人だろ」
「美人かー、家族だからよく分かんねえわそこらへん……えっと、お前は」
 たぶんここが核心だ。おそるおそる問いかけると、高槻は少しだけ寂しそうにした。コップの縁に口を当てて、舐めるほどの量で唇を湿らせる。
「俺は……どうなんだろうな。周りからは父親そっくりだって言われてたけど、あいつはずっと『こいつは母親似だよ』って言い返してた。まあ、全然信じてもらえてなかったけどな」
 確かに、遠目で見て同一人物だと勘違いしてしまうくらいに似ている親子なのだったら無理もないのかもしれない。さっきの男性は、えーと、スズカさん? とか呼んでたっけ。……ん? スズカ?
「ちょっと待ってスズカってなんかすっげえ聞き覚えのある名前……」
「あ? 何言ってんだお前……――ああ、そういやいたな。高校んときの同級生に」
「『そういやいたな』じゃねえよ!? もしかしてお前、あのとき『苦手な理由の残り半分は内緒』みたいなこと言ってたのって……!」
 高槻はあれから数年経って完全に開き直ったようで、「父親と同じ名前の女とセックスすんのは無理」とはっきり言った。確かにそれは無理だわ……さくらちゃんだけじゃなかったのか、名前被ってたの。
「涼しい夏、って書くんだ。それで『スズカ』」
「おー、めちゃくちゃ綺麗な名前じゃん」
 そういえばさくらちゃんが、「もうすぐお父さんの誕生日」って言ってたのは七月頭くらいのことだっただろうか。案外覚えてるもんだな。

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