羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 よく考えたら、「男が廃るよ」と言って女役をする覚悟を決めた遼夜はかなりずれてるんじゃないだろうかと思う。まあ昔からちょっと浮世離れしたとこがあったからな。
 今日は講義は休みだけれど再び遼夜が家に来てくれることになっていて、要するにそういうことをするつもりでまとまった時間を取ろうということでお互いに同意していたから――俺はそわそわしながら家事を片付けていた。遼夜が来るのは夕方からなのに午前中にはやることがすっかり終わってしまって、だからと言って静かに読書しながら待てる精神状態でもなかったので気晴らしでもしようと外に出る。行き先は本屋だ。いつものことである。
 新刊をゆっくりチェックし、そういえば買い逃していたなと漫画を数冊選び、普段なら絶対に見ないような『らくちん今日のおかず百選』みたいな本が置いてあるコーナーまで眺めて、最後に辿りついたのは雑誌コーナー。と言っても漫画雑誌とかではない。そこには、つい数日前に発売されたと思しき文芸誌が平積みにされていた。一応新刊扱いだろうに、こんな隅っこに追いやられているのはやっぱり買う奴が少ないからか……と若干物悲しくなりながらもなんとなくその冊子を手に取る。
 パラパラとページをめくって、途中ふと視界に飛び込んできた文に思わず目を剥いた。
 声まで出そうになったのをすんでのところで噛み殺す。一回、二回、三回読み直して、自分の考えが間違っていないという確信を深めた。心臓が早鐘のように打っている。手に汗が滲む。じわじわと体が熱くなる。
 俺は、持っていた漫画と一緒にその冊子をレジへと持って行った。早く帰ろう。早く。早く。夕飯は適当に家で作って食う気でいたけど、もっといいものを食べるために外食の方がいいかもしれない。成人してたら酒でも買って帰るのに。いやでも遼夜はアルコール駄目だし結局は一緒か。
 ――ああ、とにかく! セックスしてる場合じゃねえんだよ、もう!
 本屋から飛び出す。俺が早く家に帰ったところで遼夜がその分早く家に来るってわけじゃねえけど、それでも走らずにはいられない。
 結局俺は、それから遼夜が来るまでの数時間を立ったり座ったり無駄に部屋の中うろうろしたり、完全に不審者って感じに過ごした。チャイムが鳴って、間髪いれずに玄関まで駆け出したのは言うまでもないことだ。
 遼夜は、俺があまりにも勢いよくドアを開けてしまったことに驚いたみたいだった。「ど、どうしたんだ、そんなに慌てて……」その表情はどこか浮き立っているように見えて、俺は色々なことをもどかしく思いながらも遼夜を部屋へと招き入れる。結局我慢できなくて、玄関のドアを閉めた瞬間に一度抱きついてしまった。
「俺になんか言うこと無い?」
「え、どうして分かったんだ? 実はね、報告したいことがあって……」
 遼夜が鞄に手をかけながらそう言いかけたとき。どうやら、俺が机の上に出しっぱなしにしていた冊子が目に入ったらしい。「えっ? え、あれ、どうしておまえが?」分かりやすくうろたえている遼夜に何と言おうかほんの少しだけ考えた。色々言いたいことはあったけど、やっぱり、真っ先に言うならこれしかない。
「遼夜、受賞おめでとう」
 俺の言葉に、遼夜は嬉しそうな恥ずかしそうな、でもちょっぴり拗ねているような色鮮やかな表情でぽそりとこぼす。
「あ――ありがとう、奥。……なあんだ、ばれていたんだね。もっとびっくりさせたかったなあ」
 バッカお前、めちゃくちゃびっくりしたっつーの! 今日は祝杯だからな、オレンジジュースで乾杯するぞ!


 遼夜はアルコールが一切駄目だ。きっと成人してからも酒は飲めない。
 高校のとき、保健体育の授業でアルコール耐性を調べるパッチテストをやったことがあった。一学年全部が講堂に集められて、アルコールを含ませた脱脂綿を二の腕の内側の柔らかい部分に当てて、一分後に色が変わるかどうか見るのだ。換気のためにドアは開け放してあったもののやっぱりアルコール臭が充満してて、保健室を数倍酷くした臭いだったのを覚えている。
 全員分の脱脂綿を準備するのに手間取ったのか、結構な時間がその状態のまま過ぎたのだと思う。遼夜が具合の悪さを訴えたのは、俺が脱脂綿を配られる順番待ちをしていたときのことだ。
 見るからにやばい顔色だった。前の休み時間まではなんともなかったのに、アルコール臭にあてられて真っ青だったのだ。先生にも一目で様子がおかしいのが分かったみたいで、けれど既に後の祭り。保健室に行きなさいと言われて立ち上がりかけた遼夜はしかし歩くことができず、それどころかまともに立っていることもできずに床に崩れ落ちてしまった。
「……奥? どうしたんだ、ぼうっとして」
「ん、悪い。高校のとき、お前がアルコール臭でぶっ倒れたの思い出して」
「ああ……酷い目にあったよ。吐き気がして気持ち悪いし視界はぐるぐるするし……」
 オレンジジュースのコップを手に遠い目をしている遼夜。確かあのときは、高槻がこいつを保健室まで運んでくれたのだ。他にいなかったんだよ、脱力しきったこいつを運べる奴。俺らの学校部活あんまり盛んじゃねえし文化系のヒョロガリが大部分を占めてたからな。
「結局あのとき、パッチテストしそびれてしまったなあ。実はちょっと楽しみにしていたのだけれど」
「いやもうしなくても分かるだろ……どうせびっくりするくらい真っ赤になるぞ」
「そうだろうね。アルコールに強い弱いというか、アレルギーの域だから成人しても絶対に飲むなと言われてしまった」
 おまえと一緒にお酒飲めないなあ、とちょっと悲しそうな顔をされてしまったので、別に酒なんか飲まなくても一緒にいられるだろと返す。遼夜は、俺が「祝杯を挙げるぞ」と言ったらほころぶような笑顔になってくれた。それだけで俺は十分満たされてる。
「それにしても、どうして分かったんだ? 受賞したの」
「ん? 本屋でたまたま見つけたんだよ、冊子。めちゃくちゃびっくりしたっつの」
 確かに超有名どころの賞ってわけじゃねえけど、それでも読書が好きなら知ってておかしくはない。そう思って答えたのだが、遼夜は「違うよ、そうではなくて……どうしておれだって分かったんだ?」と重ねて聞いてくる。
「は? 何言ってんだ?」
「だって本名で応募したわけではないし、どうして分かったのだろうと思って」
「そんなの読めば分かるに決まってんじゃねえか」
「でも、冒頭三ページくらいしか載っていなかっただろう?」
「え、最初の数行で分かったけど」
 俺としては当然のことを言ったまでだったのだが、遼夜は恥ずかしそうに真っ赤になって俯いてしまった。なんだその反応可愛いな。
 実はこれまでもこつこつ応募はしていたらしい。大学受験が終わってからずっと。どうして教えてくれなかったのか、と責めるような口調にならないように注意しながら尋ねると、「だって、恋人にあまり恰好悪いところは見せたくなかったから」とやっぱり恥ずかしそうに言われた。
「うまくいったときだけおまえに話して、それで、褒めてほしかったんだ……」
「おまっ……それは反則だろ……」
 褒めてほしかったって。俺に褒めてほしかったって言ったぞこいつ。
 実は一次や二次の選考を通過したり最終候補に残ったりとかは何度かしていたということも教えてもらった。でも、もっと上を……と目指している間にこうして一年半以上が過ぎたとのことだ。
「ほんとうは、二日前には分かっていたのだけれど……報告するのはおまえと二人きりのときがよくて。あ、でも、おまえにいちばんに伝えたかったんだよ。まだ他には誰も教えていないから」
「や、別にいいって。教えてくれて嬉しかった。ありがとな」
 遼夜は控えめに笑った。「おまえがおれに、夢を見せたんだよ」ああ、いつだったか言ってた話?
「もしかしたらほんとうに、好きなことを仕事にして生きていけるかもしれないって……そう、思ったんだ。小説家なんて夢物語だと思っていたのに、おまえがいてくれたからちょっとずつ手が届きそうになっている」
 別に、今回の受賞が即デビューに繋がるわけではないらしい。もっとちゃんと作品としての体裁を整えて、契約とか諸々についても話をして、ちゃんと遼夜が書いたものが店頭に並ぶのは半年以上先か――もしかしたらこの話自体立ち消えにならないとも限らないのだとか。
「おれ、もっと頑張るから。だからおまえも、傍で見ていてほしい」
「当たり前だろ。昔も言ってたじゃねえか、最後まで見ててくんなきゃやだって」
「そ、そんな駄々っ子みたいな言い方したかな……? まあいいや、おまえがこれからも、おれのことを忘れないでいてくれるなら」
 これで俺の進路、というか目標もますますはっきりした。こいつと、こいつの作る作品をずっと傍で見ているために必要な仕事。出版社に勤めたいというのはそれこそ小学生の頃からずっと思っていたけれど、いよいよ大詰めという感じだ。
 あいにく飛び級制度は無いから若干待たせちまうかもだけど、俺だって絶対諦めねえから待っててほしい。
 結局その日は別の意味で大層興奮してしまってセックスどころじゃなかったんだけど、要望通り遼夜をめいっぱい甘やかして「ううう、なんだか予想の百倍くらい褒められている……」と真っ赤にさせることには成功したので、まあ、俺の勝ちかなと思ってるぜ。

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