羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 それからの二週間は正直あっという間で、白川が律儀にも俺の勉強をみてくれたことで珍しく安心感のあるテスト週間だった。初日は得意科目だったので無難に終わり、二日目は理科が心配だったが白川のお陰かいつもよりも手ごたえを感じながら試験終了のチャイムを聞く。いよいよ明日はデートか、なんて思っていると、よくつるんでいる友人のうちの一人が「拓海、お前も打ち上げ来るよな?」と話しかけてきた。
「明日テスト終わったらみんなでカラオケ行かね? って話してんだけど」
「あー、わり。先約あるからパス」
「うわっマジで? ごめん、行くもんだと勝手に思ってたわ」
「いいって別に」
 確かに、今まではいつも参加していたから最初から頭数に入れられていたのだろう。疑いも無くそういう風になっているというのはある意味嬉しいことなのかもしれない。当たり前のように誘ってくれるということなのだろうから。
「もしかしてテストの日にまでバイト入れてんの? 大変じゃね?」
 そんなことを言われて、一瞬どう返そうか迷う。バイトではない、と言えば「じゃあ何」と言われそうだったし、変に誤魔化すのもあれかと思うし。けれどここで、俺はふと視界の端からちらちらと熱視線を浴びていることに気が付いた。
 試験中だけ出席番号順に座席が変わるため、普段授業を受けているときよりも近くに座っていた白川が、気遣わしげにこちらを見ている。本人はこっそりと見ているつもりのようだが視線の動かし方が不自然すぎてまったく努力が報われていない。
 なんだかその様子がおかしくて、妙に可愛く思えてしまって、俺は思わず言ってしまった。
「や、バイトじゃなくて明日はデート」
「は!? デート!? お前いつの間に彼女できたの!?」
「彼女っつーか……あー、三ヶ月くらい前」
「結構前じゃん!」
 なんだよ言えよ寧ろ明日のカラオケ連れてくれば? と一気にまくしたてられて、「お前みてえな煩い奴がいるからむーり」と流す。「ひでえなぁ」と言いつつそれ以上は相手も深く突っ込んでこないので助かる。こういう距離感が好きでつるんでいるのだ、こいつらとは。
 しかし友人の声が大きすぎていつの間にか周りに人が集まってきてしまっており、これは色々と聞かれる前にさっさと帰るべきだろうか、と隙を見て荷物を鞄に突っ込んでおく。ついでに、白川がさっきよりも更に心配そうな顔をしているのをどうやって宥めてやろうかなんて考えてみた。お前がそんな顔することねえのにな。っつーか、彼女がいないと合コンとかに誘われたりするし毎回断るのもかったるいので寧ろこっちの方がいい。
 少なくとも、白川がちゃんと好きな奴にアクション起こせるようになるまでは。
 それにしても白川はどんだけ奥手なんだ。あんまりのんびりしてると卒業になっちまうぞ。そんな余計なお世話とも言える心配を胸に、初詣で恋愛成就祈願はできるのだろうか、とぼんやり思う。普段はあまり神頼みなんて信じない派なのだが、白川は好きな奴の名前はだんまりだし進展したかどうかも教えてくれないからもう神頼みくらいしかすることがない。あとはそうだ、デートプランを一緒に考えるとか?
「拓海なにぼーっとしてんの」
「え。いや、ちょっと考え事」
「ははーん、明日が楽しみでエロい妄想でもしちゃってんだろ」
「馬鹿かよ……まあ、明日は楽しみだけどな」
「ひゅーひゅーお熱いことで。俺にも今度女の子紹介して」
 散々アホなことばかりぺらぺら喋ったそいつは鞄を肩に引っ掛けて、「じゃあ明日は楽しんでこいよー」とあっさり俺の机から離れていく。と思えば、二、三歩進んだところで急に振り返ってこんなことを言った。
「あ。これだけ聞いとこ。彼女かわいい?」
 おそらくこれは挨拶みたいなもので、友人に彼女ができたときの常套句というか、様式美というか、そういう感じのやつだ。だから俺も適当に「おー可愛い可愛い」と答えておけばいいのだが、白川本人が聞いているんだよなと思うとあまり適当すぎる回答をするのも白川に失礼な気がする。冗談通じなさそうだよなあ、白川……。
 そんな風に考えたものの俺は根本的に言葉を選ぶとか慎重に喋るとかそういうことが苦手なので、結局「どっちかっつーと、かっこいい……かな。あと優しい」となんだかよく分からない返事をしてしまう。咄嗟に口から出るってことは本心だからいいだろたぶん。白川も許してくれると思いたい。褒めてるし。
 友人は、「ボーイッシュ系! 相変わらず守備範囲広いねー」とこちらも褒めてるんだか貶してるんだか分からない感想を述べて、今度こそ教室を出て行った。
 また誰かに捕まる前に帰ろう、と静かに立ち上がると、今度は白川が声をひそめて短く話しかけてくる。
「大丈夫なのか」
「何が? 別に嘘は言ってねえしいいだろ」
「……お前がいいなら、いいんだけど」
 白川は周りに会話を聞かれていないか気にしているようで、いっそう声を小さくして早口で囁く。
「明日、なるべく体温調節しやすい恰好してきて」
 そいつは俺が返事をする暇もなく、言うだけ言って足早に教室から出ていってしまった。どこか施設をはしごでもするのだろうか。いや、それにしても。
(……もしかしてちょっと顔赤かった? 見間違いか?)
 黒髪に隠れた耳がほんの少しだけ赤く染まっていたように見えて、俺はそのことが不思議と嬉しかった。明日になったら、恥ずかしかったのかどうか改めて聞いてみよう。嫌がられるだろうか。
 明日、起きるのが楽しみな理由がまたひとつ増えた。
 俺は今度こそ、鞄の持ち手をしっかりと握り直して教室を出たのだった。走れば白川に追いついたのかもしれないけれど、そしてさっきのことについて恥ずかしかったのかどうかすぐに聞けたのかもしれないけれど、流石にそれは意地悪が過ぎるだろうと思って、楽しみは後にとっておくことにした。

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