羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 いつも、誘ってくるのは向こうから。
 別に俺から声をかけてもいいのだが、そうすると俺の周りに人が多いせいでどうしても大所帯になりがちだ。白川はおそらく大勢で騒ぐのが好きなタイプでもないだろうし、そもそも部活で忙しい。だから、白川の都合のいいときに俺が合わせる、というようなスタイルで落ち着いていた。
 俺は元々他人に合わせるのが好きな方ではないので、こうして白川に付き合うのが苦ではなくなった時点でもう、それなりにあいつに対しての好感があることを自覚してしまっているのだが、白川にはいまいち伝わっていない気もする。わざわざ自分から公言するのも恥ずかしいので黙っているが。
 そんな均衡が崩れたのは、期末を二週間後に控えたある日のことだった。
 うちの学校はテスト二週間前から部活動が軽くなる。一週間前には朝練も含め原則禁止になるので運動部の奴らも比較的、他の生徒と差もなく勉強できる……らしい。もちろん遊ぶ奴もいるだろうが。そして、大会や試合と期間が被っていたりするとテスト関係なく練習することもあるんだとか。ハードな部活は大変だ。
 それは白川の所属する剣道部も例外ではないらしく、今日は、部活の朝練に出るには遅い、しかし普通に登校するには早すぎる時間帯に二人並んで通学路を歩いていた。そんな折、「テスト前だけど」なんて前置きで放課後の時間に誘われたのだが。
「悪い、俺今日バイトだ」
 もしかして断るのは初めてだったかもしれない。休みの少ない奴だし、その少ない休みが俺のバイトのシフトと被ることなんて今までなかった。白川は、気のせいかほんの僅かに眉を下げて残念そうな顔をしているように見える。なんだか勿体ない気持ちにさせられた。残念だ、なんて思ってしまった。そしたら、もういてもたってもいられなくなって。
「なあ、埋め合わせするから」
「え?」
「今日……は、無理だけど。近いうちにでも遊び行こうぜ」
「朝倉はそれでいいのか?」
「なんでだよ、駄目なのかよ。いっつもお前から誘ってくるくせに……」
 白川は何やらゆっくりと時間をかけて考えているようで、思ったことをぽんぽん口に出してしまう俺とは大違いだなと改めて感じる。少しの間があって、「お前、もしかして案外俺から誘われるの嫌じゃなかったのか?」なんて言われたのでどんだけ失礼なんだこいつと思いながら口を開く。
「あのな、流石に嫌々そんなことするほど暇じゃねーんだよ。何? 行かねえなら別にいいけど」
「いや、悪い。朝倉から誘ってくれたのが予想外だった」
 思わず、といった風に白川が笑う。あれ、何、今は友達じゃなくて恋人ごっこの方? ちょっと遊びに誘ったくらいでそこまで言われるほど冷たい態度をとった記憶はないぞ、おい。
「なあ、いつにする? 別にいつでもいいぜ、明日も明後日も空いてるし」
 もしかして俺の口の悪さが原因かもしれないと最大限優しく声をかけると、白川はまた少しだけ悩んだようなそぶりを見せて静かに言った。
「……テスト最終日に何か予定はあるか?」
「は? 二週間も先じゃん。あー、バイトは入ってねえけど」
「じゃあ、もしよかったら俺のためにその日空けておいてくれよ」
「テスト終わった後?」
「そう。半日。駄目か?」
「いいぜ。なんだよ、遠出?」
 これまでは学校の最寄駅周辺でまかなえる施設にばかり行っていたから、随分な長丁場に白川の意図が分からず尋ねる。するとそいつは、いつもの仏頂面のなかに少しだけ恥ずかしそうな表情を交ぜてとんでもない爆弾発言を落としてきた。
「……ああ。デートしよう」
 うわっその単語久々に聞いた、なんてまさか言えるはずもなく、「デート」という言葉のインパクトの強さに押されるまま頷いた。デート、デートか。そうか、そりゃデートのひとつやふたつ、恋人になったらするもんだよな。俺はまったく、友達として誘ったつもりだったから驚いた。確かにこいつは最初からそういうつもりで、というか約束で俺と行動しているんだった。ちゃんと恋人らしいことをしないと練習にならないと思っているのかもしれない。
 そういえばロクにアドバイスもできていない気がするし。もしかしなくても白川はハナからそういうのを求めて俺を誘っていたのだろう。普通に遊んでしまって悪いことをしてきたかもしれない。
 どうしてだか少し気持ちが沈む。うん? テスト前だからか? まあとにかく、ここは当初の約束を守らなくては。
「デートな、分かった。もちろんプランはお前が考えてくれるんだろ?」
「希望があれば取り入れる。というか、初心者だからお手柔らかにな。どういうとこがいい?」
「デートプランひとつ自分で立てられねえの?」
「前にも言っただろ。俺は、朝倉の好きなものがもっと沢山知りたいんだよ」
 白川は真っ直ぐに俺のことを見てくるので、こちらとしても適当に流すなんてことはできないししたくない。それだけ真剣に考えてくれているのだろうというのが痛いくらいに分かるから。
 だから俺は、これまで誰にも言ったことがないささやかな「好きなこと」を白川に教えることにした。俺の周りにいるような奴らに言ったら「意外」だの何だの囃し立てられそうで黙っていたことだ。実は、水族館が結構好き。綺麗なものが好きだ。他にも、ガラスとかステンドグラスとか。食器を見るのも好き。きらきらしていて綺麗だと思う。いや、ガラじゃないのは分かっているし魚ではしゃぐ歳でもないだろうけど、それでも好きだ。ペンギンとかイルカとかかわいいだろ、あいつら。小さい魚もいいよな。
 カラオケで友達と騒ぐのも好きだけど、綺麗なものを見て過ごすのも贅沢でいいなと思う。難点は、なかなか一人で行くような場所でもないってことくらいか。
 白川は、流石にメモはとらなかったが俺のとりとめもない話をとても真剣な顔で聞いてくれた。そして、「これで水族館に連れて行くのは芸が無いよなあ。どうしよう」なんてまた少しだけ笑う。
「お前まさかノープランかよ大丈夫か?」
「いや、終点は決まってるんだけど……まあ、朝倉は優しいし大丈夫かな」
「だからお前の優しいとかの基準全然分かんねえって……」
「まあまあ。じゃあ、当日よろしくな。楽しみだ。勉強頑張れそう」
「んだよ可愛いこと言ってんじゃねーって。あ、そうだ俺お前に勉強教えてほしくて」
 俺の思いつきの言葉にもちゃんと耳を傾けてくれる白川に、理科の教科書を広げて見せながら俺は内心でとてもそわそわしていた。遠足前のガキか、と気恥ずかしくなる。けれど、楽しみなのはお前だけじゃねーぞ馬鹿、なんて思うくらいは許される気がして、ついさっきは僅かに沈んでいたはずの気持ちも忘れ、教科書を片手に校門をくぐったのだった。

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