羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「正木! ごめん待った?」
 日曜日の朝、俺は堀内の家の最寄り駅に一人赴いた。所在ない気持ちで駅の西口の壁に寄りかかって待っていると、五分としないうちに堀内がこちらへ駆けてくる。
「や、平気……来たばっかだから」
「正木、遠目でもすぐ分かるね。目立ってる」
「どっか変だったか」
「ううん。悪い意味じゃなくて、背も高いしかっこいいから。さっき傍通った女の子たち、正木のこと見てたね」
 女なんてどうでもいい。そんなの全然気付かなかった。こいつとちゃんと目を合わせられないのにこいつ以外視界に入ってこないって、一体どういうメカニズムなのか自分でも分かんねえよ。
 前はここまで酷くもなかったと思う。それなりにちゃんと喋れていたし、挙動不審の度合いも軽かった。なんだか最近、堀内がかなり積極的というかなんというか……向こうからガンガン押してくるので焦ってしまう。誰かに見られていたらと思うと気が気でない。俺自身は構わないけれどこいつはそんなことはないだろう。
 けれど今日は、学校の奴らに見られる心配は無い。そう思うと若干気持ちが落ち着いて、「……今日、すげえ楽しみだった」と素直に口に出せた。
 堀内は嬉しそうに笑う。やっぱり眩しい。
「おれも楽しみにしてたよ。年末でもないのに自分の部屋大掃除した」
「大袈裟だなお前……」
「そんなことないと思うけど。だって好きなひとが遊びに来てくれるんだよ? 部屋が汚くて幻滅されちゃったら悲しいし」
「っ、ふ、普段そんな汚えの」
「んー……どうだろ。たまに、棚の上に洗濯物置きっぱなしにしちゃうけど……そのくらいかな」
 そんなことを言いつつ、堀内が俺の手を取る。「行こう! 道、一本向こうに入ると殆ど人通りなくなるから」手を引かれて慌ててそいつの後を追う。恥ずかしかったけれど堀内と触れ合っているという時点で他のことはどうでもよくなってしまった。前を歩く堀内のつむじがかわいい。特別小柄ってわけじゃねえけど、俺より十センチくらいは低いと思う。こいつがそれを若干気にしてるというのは知ってる。申し訳ないが、そういうとこもかわいい。
 堀内の家は駅から十五分ほど歩いたところにある、静かな住宅地の一角だった。あれよあれよという間に堀内の自室まで通されて、俺たち以外誰もいないということにようやく気付く。
「別に変なことしないから大丈夫だよ?」
 変なことって。変なことって……。いや、深く考えないようにしよう。なんだか今日の堀内はとても機嫌がよさそうで、おぼんに載せたお菓子とお茶をローテーブルの上に広げてにこにこしている。
 堀内の自室は広かった。小さいテレビまで置いてある。きちんと整頓されているのが分かる部屋だ。
「あはは、やっぱ正木って分かりやすいね」
「え」
「口数は少ないけど全部顔に出てるし。二人きりだよって伝えてなくてごめん、不安になった?」
 黙って首を横に振る。「そ、んなに、顔に出てるか」じわじわと耳が熱くなっていくのを感じながら言うと、微かに笑い声が耳をかすめた。
「うん。おれのことだーいすきって思ってくれてるの分かるよ」
 反論できない。しなくてもいい、と思う。だって事実なのだ。まともに言葉にできていない分、せめてこの口から出る言葉は素直なものだけがいい。純粋に、こいつのことが好きだという気持ちだけ。
「ね、こっち見て」
「ん……」
「ふは、かっこいい人の赤面ってなんかこっちまで照れるね。高威力だ」
 別に自分の顔についてどうこう思ったことはねえんだけど。でも、こいつが気に入ってくれているならこの顔でよかったと思う。
「今日はね、ほんと二人でゆっくりしたいなって思っただけだよ。たぶん正木って、学校だと周りが気になっちゃうんだよね? 正木は目立つし友達多いから、今日はおれに独り占めさせてほしいな」
「独り占めとか、そんなの別にいつでも……」
 言い終わる前に抱きしめられて何を言おうとしていたかがぶっ飛んだ。「……いつでも、いいの?」悪戯っぽい笑顔に、「やっぱ事前に教えてくれ……」としか言えない。心臓がばくばくいっている。ぴったりくっついている堀内には当然ながらそれはばれているようで、そいつは肩を震わせて笑った。
 その後は、テレビの旅番組をBGMにして勧められるままにお茶とお菓子を口に運んだ。堀内はさっきから必ずどこかしら俺の体に触れていて、離す気は無いらしい。どうやら俺にこいつとの接触を慣れさせるという目的があるようで、距離の近さが嬉しいやら恥ずかしいやら、俺の心臓は大忙しだった。
「よーし、だいぶ緊張ほぐれてきた? おれに慣れてもらおうキャンペーンの一環として正木に提案があります」
「? なんだよ」
「おれたち、まだお互い知らないことの方が多いと思わない? 正木のこともっと知りたい! から、『正木のこんなとこ知りたいよ』について考えてきたよ」
 お互いに気になることについて聞いていこうと思うんだけどどう? と首を傾げられる。別に面白い回答はできねえと思うぞ。でも、俺も質問できるんだよな? だったらやらないという選択肢は無い。
「俺も知りたいこと、ある」
「おっ。興味持ってもらえると嬉しいね。なんでもどうぞ!」
「ん……じゃあ、好きな食べ物?」
「食材なら牡蠣。料理なら……あ、カキフライ好き。肉より魚かなあ。サバの塩焼きとかよく食べるよ。正木は?」
「俺は肉のが多いかも。鶏肉がいい。チキン南蛮とか唐揚げとか。あとは……食材……食材? あ、葡萄」
「えっぶどう好きなの?」
「な、なんだよ悪かったな葡萄好きで……ケーキとかじゃなくて生のままがいい。果物は割と食う」
「へええ。知らなかったなあ……次は用意しとくね」
「気ぃ遣うなって。あの……ピアスの奴いるだろ、俺の幼馴染。あいつの家でよく出してもらってたからっつーのもあるし。刷り込みみてえな感じで」
「……へええ」
「な、なんだよ今の間は……」
 含みのある沈黙に内心首を傾げつつ質問会のようなものは続行する。血液型とか、得意科目とか、朝型か夜型かとか。こうやってみると本当に、単純だけど知らないことが多い。こいつが屋上を気に入ってることとか、花壇の花だとペチュニアが気に入ってることとか、そういうのなら分かるんだけどな。
 会話をするのにも慣れてきて、緊張よりも喋れていることによる楽しさを感じられるようになってきた。今俺、ちゃんと目を見て会話ができてる。ちょっと感動。
「そうだ。触られて嫌なとことかある? 手は平気だよね?」
 手は平気っつーか、お前なら平気なんだけど。言えるわけねえわ。
「手は、平気」
「触られるの苦手なとこあったら教えてね」
「あー……耳?」
「耳」
「みぞおちとか」
「みぞおち」
「あと、顔の前に手がくると目潰しか? って思う」
「もしかして正木さっきから人体の急所挙げてる? そういう意図は無いよ!?」
 性分なんだよ。ごめん。焦っている堀内が面白くて思わず笑ったところに、ポケットの携帯が震えた。うわ、失敗した電源切っときゃよかったと思ったがもう遅い。堀内は、「大丈夫? おれのことは気にしないで出てね」と言ってくれる。
 電話をかけてきたのは、さっきちらっと話題にした幼馴染だった。うちの学校の奴が誰それに喧嘩をふっかけられたとかいう内容で、今回はオレがどうにかするからそっちにかけてくる奴がいてもほっといていいよーとのことだった。「了解。今回はそっちで頼むわ」と短く返す。用件が終わったならさっさと電話を切りたい。
『正木、堀内くんとデートだもんねえ』
「は!? なんっ、なんでお前が知って」
『うわ、まさかの図星? 金曜日めちゃくちゃうかれてたからカマかけたら当たっちゃった。邪魔してごめんねぇ、ばいばーい』
「るっせ馬鹿テメェマジで二度とかけてくんなよ!」
 思わず叫んでぶちっと通話を終了した。そのまま電源も落とす。あいつは勘がいいのだ。勘弁してくれ。
 一緒にいるところを中断してしまったので堀内に謝ると、そいつは「気にしないで」と言いつつ何事か考えている様子だった。……せっかくこいつが、俺のことを考えて、俺が周囲のことを気にしなくていいように家まで呼んでくれたのに。申し訳なくてまた俯きそうになったが、「ね、質問の続き、いい?」とそいつに言われて勢いよく頷く。
 俺にとっては予想外の言葉が、そいつの口からこぼれてきた。

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