羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


「おれにはそういう言い方しないのって、なんで?」
「そういう言い方……?」
「正木はさ、おれに対してだとあんまり口調きつくないよね。ぶっ飛ばすぞとかてめえこのやろーとか言わない。やっぱり、おれが喧嘩できないから? 共通言語じゃないから?」
「は――はあ? 何言ってんだお前……」
 共通言語ってなんだ。え、母国語は日本語だけどそういう意味じゃなくてか? そもそも、こいつにそんな強い口調で対応する理由なんて無い。でも、こいつはそれが不満なのだろうか。
 どう返答するのが正解なのか分からず固まってしまう。堀内は、若干気まずそうな顔をして俺の手に触れた。
「……んんー、ごめん。嫉妬しちゃった」
「嫉妬……って、いや待てよ、あいつは全然そういうのじゃねえぞ」
「分かってるよー。分かってるけど、なんかこう……おれといるときよりも自然体に見えるから。正木がおれと一緒にいることで無理しちゃってるなら、それは嫌だなって思った」
 無理してるんじゃねえよ。緊張してるんだよこっちは。
 だって、あいつと堀内とじゃ全然違う。あいつは確かに家が近所で学校もずっと一緒で、周囲からは「マジで息ぴったりだよな」とか言われることも多い。食事の好みとか音楽の趣味とか、大体のことは知ってると思う。でもそれは近くにいて何度も反復したから覚えているというだけで、今みたいに何一つ聞き漏らさずに覚えておきたいとかそういう風に思っているのとはわけが違う。明確に、「覚えよう」という意思を持って覚えるのは、きっと堀内に関することばかりだ。
「確かに、お前とあいつじゃまったく同じ対応はできねえよ」
「うん。そうだよね」
「……でもそれは、お前と一緒にいる時間が短いからとかそういうんじゃねえんだ。あー、なんだろうな……あいつが俺の家に泊まったとして、風呂上りに半裸でうろうろしててもどうでもいいけど、お前だったらどうでもいいとか言えねえ。どうしても意識しちまうし、そういう意味でお前とあいつとで同じ対応すんのは無理」
 好きだから気を遣う。好きだから、自分がどういう風に見えているのか気になる。それだけの話なのだ。
「お――お前だって、知ってるだろ。こんな、目も合わせらんねえくらい俺がキョドるのお前にだけじゃねえか……」
 改めて口に出すとまた恥ずかしくなってきてしまった。だってこんなの、俺がマトモでいられねえくらいこいつのことが好きだって言ってるようなものだ。
「……正木、今日一番たくさん喋ったね……」
「なんだよ、悪いかよ……」
「ううん。あんまりたくさん喋るタイプじゃないのに、恥ずかしいのに、おれのために言葉にしてくれたんだよね。正木のそういうとこかわいくて好きだよ。ありがとう」
「か、かわ、……目ぇ腐ってんなお前……」
「照れ隠ししないの。ほら、お菓子食べよう? おれはねー、甘いものだとバームクーヘンが好き。チョコレートかかってるやつ」
 ふうん。こいつ、割と甘党だな。
 せっかく勧められたことだし、と気恥ずかしさを誤魔化すためにもクッキーに手を伸ばしたのだが、堀内はひょいっとそれをおぼんごと持ち上げる。何が何やら分からずそいつの方を見ると、楽しげな笑顔を向けられてどきっとした。
「はい、あーん」
 そいつは笑顔のまま、クッキーを一枚取ってそれを俺の口元に差し出した。……え、食えってことか? これを? マジか?
「じ、自分で食える」
「せっかくだから人前じゃできないことしない?」
「ううう……」
 なんだかものすごく期待のこもった瞳で見られているのが分かったので、おそるおそる口を開けた。とてもじゃないが目は開けていられなかった。クッキーが唇に触れる感触がして、口の中に入れられるままにそれを咀嚼する。目を閉じているからなのかそれとも恥ずかしすぎるからなのか、味が殆ど分からなくて驚いた。
「正木、正木、目開けて」
「ん……?」
「あのね、いつまでも今の正木見てるとキスしたくなっちゃうから」
 反射的に目を開けてから、もしかすると閉じたままの方がよかったかもしれないと頭の沸いたことを考える。ちょっと勿体なかったかもしんねえ。
 それにしてもさっきからやられっぱなしなのは少し癪だ。
 そう思った俺は、自分もクッキーを一枚取ってそいつの口元に差し出した。「お前も食えば」俺としてはちょっとした仕返しのつもりで、きっとこいつは笑顔で「ありがとう」なんて言ってくるんだろうと思ってた。でも。
「う、わー……これ、自分がされるとなると恥ずかしいね?」
 堀内は、珍しく――本当に珍しく、もしかすると俺が初めて見るかもしれないという表情で頬を染めてそっと目を逸らした。
「お前っ、そんな反応されたら俺がめちゃくちゃ恥ずかしいことやってるみたいじゃねえか……!」
「いや、みたいじゃなくて実際恥ずかしいことやってるよ。――はは、あー、なんか一周回って開き直ってきた」
 堀内は、俺が引っ込めかけていた手を掴みクッキーを口でさらっていく。もくもくと咀嚼をして、全てを飲み込んだそいつはなんだか晴れやかな表情だった。
「おれも、初めての恋人だからさ。色々恰好つけたくなったりするんだ。好きって言ってもらえたの、嬉しかったから……正木はどんなおれが好きかなあって考える。イメージと違ってたらがっかりされちゃうかなとか、そういうことも」
「お前だったら、俺は、なんでも……」
「……うん。正木ってよくそういうこと言うよね。おれも、正木のこと好きになってから分かるようになってきたよ」
「分かる? 何がだ?」
「いや、ほら。おれ、正木のことは強くてかっこいい人だと思ってたけど……今はかわいいって思うことの方が多いし、別にイメージ崩れるとかそういうのは無くて、おれにだけそういうとこ見せてくれてるの嬉しいなって」
 堀内は俺の手を掴んだまま言う。「だから、もし正木が好きになってくれたおれじゃない部分をこれから先知られたとしても、大丈夫なのかなーとか思ったり」うぬぼれてるかな? と窺うような表情で見られて慌てて否定した。「うぬぼれなんかじゃねえよ。……こ、こういうこと、するのかって思うこと……割とあるけど。嫌ではねえし」
「えっおれ何か常識外れなことしちゃってた!?」
 突然キスしてきたりとかさっきのクッキーとかだよ!
 思わず叫ぶと笑われてしまう。あーくそ、こいつマジで俺のこと全然怖くねえんだな。嬉しいような情けないような……やっぱり嬉しい。
 遠くから見ているだけのときは気付かなかったけど、こいつは割と積極的というか、スキンシップが多い。俺がいっぱいいっぱいになっているのを面白がっているふしがある。わざと俺が恥ずかしくなるようなことを言ったりしたりして、それで俺が思惑通りにキョドっているのを場違いなくらい幸せそうな表情で見ているのだ。
 悔しいけれど、それが心地よくも感じてしまうから俺はもう駄目だ。きっと好きになりすぎた。限界が見えなくてどうにもならない。
 心臓の痛みに我慢ができなくなって、思わずそいつの唇に唇をくっつけた。やっぱり、さっきはキスしてほしかったなと思ったから。我ながら大胆すぎる行動に心臓は大人しくなるどころか余計に暴れていたけれど、自分から行動できたことに嬉しくなる。
 堀内も余裕しゃくしゃくではなくて、こいつなりにたくさん考えて俺と一緒にいてくれてるということが分かったから。
 もしかしたらさっきみたいにこいつも恥ずかしがってくれるのでは……と期待する気持ちがあったのと、これまで散々俺が恥ずかしい思いをしてきたのだからこいつも少しくらい、なんてよこしまな考えで「堀内……」と名前を呼ぶ。
 堀内はやっぱり嬉しそうに笑っていた。笑って、囁いた。
「なに? 晃司」
 俺のささやかな抵抗は百倍くらいになって返ってきて、一瞬でキャパオーバーした俺はまたもや意味のある言葉を何一つ発することができず、そいつに腕を引かれるままぎゅうぎゅう抱きしめられてしまう。
 ようやく口にできたのは「な、なんでいきなり」という蚊の鳴くような声。
「なんでって、よく考えたらおれも下の名前一度も呼んでないじゃん! って気付いたから。今日ずっとタイミング見計らってたけど、おれ的にベストなタイミングで言えたと思うよ!」
 今日一日かけていっぱい呼ぶからちゃんと慣れてね、と甘すぎる声音で言われて、もう逆立ちしたって敵わないと思いながら頷いた。
 なんでもない日曜日が、こいつと一緒だとこんなに輝いている。
 心臓の休まる暇があまり無いのが玉に瑕だけど……なんて、そんなことを考えることができるのも、きっと幸せということなのだろう。
 ――瞬、と呼ぶタイミングを俺もさっきから見計らっているのだということを、いつ伝えよう。贅沢すぎる悩みに笑えてきて、それを誤魔化すように俺はまたそいつの肩に額をくっつけるのだった。

prev / back / next


- ナノ -