羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 よく考えたらこんな風に一日中行動を共にするのは本当に初めてのことだ。長期休みの間とか全然会わないしな、俺ら。遼夜はいつも、たとえ部活が無いときだってやれ会食だ稽古事だ客の訪問だと忙しそうにしているから、あまり無理はさせたくないという理由でメールだけで済ますことばかりだ。だからこの修学旅行は俺としても貴重な時間でかなり楽しみだった。
 最近の遼夜はなんだかぼんやりしていることが多くて、雰囲気がふわふわなのが可愛いけどちょっと心配。考え事だっつーのは分かるけど、流石に詳しい内容までエスパーみたいに察せるわけじゃない。でも遼夜にとって悪いこととかマイナスのこととかで悩んでるんじゃない……はずだ。だから、その悩みについては極力探ったりしないようにしている。
 初日はどうしても移動時間が長かったのと、やっぱり学習の側面が強くて班行動はそこまで多くはなかった。本格的に活動が始まったのは夕食のときからだ。どうやら食事は班ごとにテーブルが用意されているらしい。家にいるときでは考えられないような品数の多さに非日常を実感する。
 食事中、そっと隣を見ると遼夜はいつも通り惚れ惚れするくらいの綺麗な箸遣いだった。遼夜はきっと食事のときのマナーというものを家庭で叩き込まれているのだろう。正しい作法を知っている上で、それを簡略化したり周囲に合わせて選択したりしている。手先が不器用な遼夜が、箸を操って危なげなく煮物のサトイモを口に運ぶさまはなんだか不思議な光景ですらあった。こいつは運動量が多いからかエネルギーの摂取量も多くて、それなのに特に急いでいる風でもなく、寧ろゆっくり食事を楽しんでいるように見えるのに周りとほぼ同じタイミングで食べ終わるのだ。
「そういえば明日以降の打ち合わせってどうする? 自由時間多いし、あたしたちそっちの部屋行こうか。それとも八代たちがこっち遊びに来る?」
 そんなことを言い出したのは班長の陸上部女子で、確かに観光の順番とか細かい部分は決まってなかったなと気付く。八代は呆れたような顔で、「いやいや、部屋に行くのは普通にダメでしょ……話し合うならここでやってこうよ」と言った。
「え、なんで? あたし正直さっさと寝転がりたいんだけど」
「なんでって倫理的にさ。ちゃんと男女でスペース分かれてるし、女子の部屋に男が入ってくのまずいと思うよ。男ばっかのとこに入ってくるのも嫌じゃない?」
 一ミリも思いつかなかった、と言われてがっくりと脱力している八代を尻目に、女子たちは何やら「こいつらだったら別に大丈夫かなーって思うよねえ」とかなんとか言っている。信頼されているのか馬鹿にされているのかぎりぎりのラインだな。
「もうちょっと危機意識持った方がいいんじゃないかな……」
「や、だってさ、なんというか八代たちってそういうのなさそう」
「そういうの?」
「んー……なんだろ。女に対する欲求? 邪な目で見てくる奴はさ、分かるよやっぱり。あんたらは極論言うと裸で目の前歩いてもスルーされそう」
「スルーできねえよそれは。通報するわ」
 一連の会話を聞いて、ふむ、と思う。俺に関しては遼夜のことが好きなので女子たちの見解は正しいと言えるだろう。他の奴らまでそう見えているという理由はよく分からないが。高槻ですら警戒しなくてもいいカテゴリに入ってるっつーのも興味深い。
 女の勘って謎だよな。謎なわりに当たるしさ。
 結局食事を片付けてからは、話し合いを口実としたトランプ大会に突入したりトランプに飽きたらウノをやったり、要するに遊んでばっかだった。遼夜と、あとは高槻もルールをまったく分かってなくてびびったけど。今のご時勢にウノのルールも大富豪のルールも知らねえ奴マジでいるんだ……しかも同じ班に二人も。
 なお、全てが終わってから初心者二人がこぼした感想としては、「『ウノ』って言うタイミングが難しかった」「八切りの意味が分かんねえ」だった。
 うん。楽しかったようで何よりだ。


 俺的誤算一つ目。そういや風呂も一緒だった。
 三班ごとに一時間ずつ入浴時間が与えられていてその間は自由に浴場を使っていいとのことで、思春期らしくそわそわしながら好きな奴の様子を窺ったのだが。まあ普通に男だし、男の体だし、筋肉がすげえ。真面目に体を「作る」と人間こうなるのか、と感動すら覚える綺麗な体つきだった。なんだろ、別にゴツくはねえんだけどやっぱ肩周りとか胸筋とか太腿とか、鍛えてますって感じ。やってるスポーツの種類によって発達する筋肉って変わるらしいけど、スポーツ選手見比べてみるのも面白いかもしんねえな。
「奥? どうした?」
 あまりにもガン見していたせいか不思議がられてしまったので、「いや、綺麗だなと思って。体」と素直に褒める。これに関しては下心は一切無かったのだが、遼夜が途端に頬を赤くして俯いて「……あ、あんまり見られると、恥ずかしいよ……」なんて言うので理性を束ねるのが大変だった。たまにマジで処女みてえな反応するよなこいつ。もっとやって。
 気がつけば周りの奴らもみんな筋肉の話をしていた。なんで男って筋肉が好きなんだろうな……と思いながら全身洗って湯船に浸かる。俺自身の筋肉についてはノーコメントだ。小学校のときからずっと本ばかり読んでる奴の体つきに期待しないでほしい。運動部なのに俺より貧弱な八代とか帰宅部のくせに程よく腹筋が割れてる高槻とかは例外中の例外なんだよ。
 邪念を振り払って風呂を終えたところで誤算二つ目。遼夜は、俺の我儘を叶えようと寝間着に浴衣を持ってきてくれていた。それがもう想像以上によくて、正直裸よりこっちのがキた。いいよな和服。露出少ないくせに脱がせやすいのがエロいし。これで部屋が和室なら完璧なんだけどな。まあ贅沢は言うまい。
「やっぱ着慣れてる感じがするな」
「まあ、おれは制服以外だとほぼ和服しか着ないからね。堅苦しいイメージがあるけれど、こういうものなら寝心地もいいしおすすめするよ」
 俺は中学のときの体育用のハーフパンツとシャツだからあまりにも落差が激しいが、遼夜はそんな俺の恰好を見て「名前の刺繍があるね」と小さな発見をし嬉しそうだった。
 それから一時間もしないうちに、一足早く歯を磨いた遼夜が「んん、温まったら眠くなってきた……」と言い出したので驚く。早いなおい。沢山食べて沢山運動して沢山寝て、ってめちゃくちゃ健康的な生活送ってるぞこいつ。
 普段なら夜型の俺はだらだら本を読んだりゲームをしたりしてしまうのだが、こういうときくらい健康的な生活をするのもいいだろう。
「じゃあ、そろそろ寝るか?」
「……うん。少し名残惜しいけれど、修学旅行はまだ始まったばかりだからね」
「明日も明後日も部屋一緒だし、まだいくらでも喋れるだろ」
 俺の願望も込みでそう言うと、遼夜は眠いからなのかいつもより鋭さの和らいだ目つきで頷く。……遼夜、なんか悩んでる風だったけど大分平常状態に近づいたな。よかった。
 パチンと部屋の電気を消し、手探りでベッドに潜り込む。部屋が狭いのでベッド同士も近くて、すぐ近くで遼夜の息遣いが聞こえるのがなんだかいいな、と思った。「おやすみ」と小さく聞こえたことにも幸せを感じて、「おやすみ」と同じように返事をする。
 こんな早い時間から眠れるか若干心配だったが問題なく眠気はやってくる。俺はそれに逆らわずに意識を沈めた。
 ――そして三つめの誤算は、修学旅行最終日の朝に起こる。

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