羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 修学旅行の初日は幸い暖かくいい日和だった。結局、なんとなく奥のことが気になってしまうのは解消されないまま。そのせいか一緒にいると妙にどきどきしてしまって変な気分だ。
 新幹線は出席番号順だったので少しだけほっとしたのだけれど、要するに高槻の隣の席なんだよな……と思うと別の意味でどうしようという気持ちになる。ちょっとずつ仲良くなれているとは思うが高槻がどう思っているかは謎だ。まあ、一対一で話すときは割と話しやすいやつだから言うほど心配はしていないけれど。
 案の定、新幹線の窓際の席に座って外を眺めていた高槻はおれに気付くとほんの少しだけ口角を上げる。「隣、お前なら静かでよさそう」うん? 歓迎されていると受け取っていいのか? だとしたら喜ばしいことだ。
 いい加減察しもついてきたけれど、こいつが人前で、というか八代の前でおれに対して若干当たりがきつい理由は――いや、みなまで言う必要は無いか。案外かわいらしい性格をしているな、と心の内だけで思っていればいいことだろう。藪をつついて蛇を出すなんてばかなまねはしないに限る。
 静かでよさそう、なんて言われたのでもしかすると高槻は移動時間に睡眠をとるタイプなのだろうか、と思ったのだが、どうやらそれは違ったらしい。周囲のざわめきに耳を傾けつつ、嬉しそうにしているように見える。
「うるさいの、いやではないんだな」
「あ? あー、色々話しかけられたりすんのは鬱陶しいときもあるけど、周りで話し声がするとかは嫌じゃねえよ」
「ふうん……今、話しかけられるのはいやか?」
「嫌だったら無視してる」
「うそつきだなあ、おまえ」
 無視なんて、そんなことしないくせに。高槻は少し気まずそうな表情でおれから目を逸らして、「……無音の方が、寧ろ嫌だ」と小さな声をこぼした。
「賑やかなのは楽しいよなあ」
「ん。人の声がするのは、割とすき」
 おれの家はいつも割と静かだから、学校のみんなといるときの賑やかさはいつも新鮮だ――というようなことを話すと、どうやら高槻の家も静かな方らしい。まあ、こいつ自身あまり口数の多い方ではないからな。
「お前の家、めちゃくちゃ人が多いイメージだった」
「ああ……まあ、確かにそうなのだけれど。一人一部屋ある上に無駄に広い家だからね、いつも近くにいるという感じではないんだ。同じ家にいても電話をかけた方が呼びに行くより早かったりもするし」
 それでも電話を使わず足を使って家族の居場所を探すのは、家族との関係における最後の砦なのかもしれない。
 高槻は一瞬言葉を切って、「俺も」とだけ言った。
 続きを待ったけれどなかなか言葉が返ってこないので、あまり楽しい話題ではなかったかな、と少し反省する。高槻はそんなおれを見て微かに笑うと、「別にお前が気にすることじゃねえのに」と言った。
 う。おれはあまり顔に出ない方だと思っているのだが、高槻は自身に向けられる感情に聡いようですぐ察されてしまった。ちょっと恥ずかしい。
「お前に気ィ遣わせたことばれたらあいつにキレられる」
「あいつ?」
「あのチビ」
「怒られるよ、そういう言い方をしたら……」
 奥もよく気のつく方だと思うけれど、あいつはどちらかというとおれ自身のことに関して察しがいいんだよなあ。親戚の相手をしなければいけなくて気が重いとか、今日は帰ったらおいしいお茶菓子があるので食べるのが楽しみだとか、そういう気分の浮き沈みがすぐにばれてしまう。『今日は機嫌よさそう』とか、『どうした? しんどかったらしんどいって言えよ』とか、いつも優しく声をかけてくれるあいつの顔を思い出してしまって若干顔が熱くなった。
「……お前さ」
「え? あ、すまない。なにかな」
「いや……自覚あんのか微妙だけど、っつーかあいつがかなりあからさまだからそれにあてられてんのか分かんねえけど」
 高槻はものすごく言葉を選んでいる様子で、けれどおれにはその意図がよく分からない。
 おれの芳しくない反応に高槻は何かを諦めてしまったらしく、「あー……何かあったら周りに相談しろよ、八代とか」なんて言ってふいっと目を逸らした。……これは、相談相手にこいつを頼ってもいいということを遠まわしに言われているのだろうか。
「おまえは優しいね」
「はあ……? 意味分かんね」
「ふふ、照れるなよ」
「……、お前最初の頃と結構態度変わったよな」
 それはまあ、昔ほどおまえのことが怖くなくなったからね。嬉しい反面、そんな風に気にかけてもらわなければならないほどおれの様子はおかしかったのだろうか? と不安になってしまう。
 自分のことのはずなのに自分で分からないなんてやっぱりおかしいよなあ。おれ、どうしてしまったんだろう。
 奥にこの不安を吐露したら何か変わるだろうか。
 そういえば、さっき高槻は奥に相談しろとは言わなかったな……と、そんなことを考えつつおれは引き続き高槻との会話に花を咲かせることにしたのだった。
 盛り上がったかどうかは自信が無いけれど、高槻は笑ってくれたので確かに花は咲いたのだろうと思う。


「あいつと大分親睦が深まったみたいじゃん」
 新幹線を降りて一息ついていると八代にそう声をかけられて、「そ、そうかな……? そうだったら、嬉しいのだけど」と返す。八代は最近随分と背が伸びて、もう奥と殆ど変わらないくらいの身長なのではないだろうか。その華奢な手足を持て余すように背伸びをしているそいつから、パキパキと関節の鳴る音が聞こえる。
 そういえば八代は昔から、高槻に男友達が少ないのを気にしている風だった。高槻はもう一年のときのような刺々しさは和らいでいて、あいつを怖がったり遠ざけたりする奴は今となっては殆どいないと思う。それでも一部から誤解を受けたままなのは、高槻がその誤解を積極的に解こうとはしていないから。あいつはきっと、狭く深い交友関係を築くタイプなのだろう。おれがもしその狭い輪の中に入ることができているなら、それはとても嬉しいことだ。
「楽しかったって言ってた」
「そうなのか? 嬉しいな、おれもだよ」
 八代はふっと目元を緩めて小さな声で言う。「あいつさ、まともに修学旅行楽しむのきっと初めてだから。行き帰り、席がお前の隣でよかったよ」
「初めて……」
「うん。欠席こそしなかったけど、心ここにあらずって感じでずっと早く帰りたそうにしてた、小学校のときもそうだったっぽい……って、これは奥に聞いたんだけどさ」
 おそらく家庭環境に何か訳有りなのだろう高槻が今日ああやって笑顔を見せていたことは、どうやらおれが思う以上に大きな意味があるらしかった。八代はきっと、あいつの笑顔の重みを知っている。
「……おれも、中学まではあまり純粋に修学旅行を楽しめていなかったから。今回は、たくさん楽しみたいと思っているよ」
「そっか。ごめん、変な話して。あ、これあいつには内緒にしてて! 余計なこと言うなってオレが怒られる」
「ふふ、そのときはきっと奥も一緒に怒られるね」
「マジで黙っててよ!?」
 黙っているから大丈夫だよと約束をして、そのまま高槻の方へと戻っていく八代の後姿を見送る。そういえば奥はどこかな……と視線をめぐらせると、同じ班の文芸部の女子と話をしているところだった。なんだか見てはいけない気がして思わず目を逸らしたけれど、何故だか奥の声ははっきりと耳に届く。班行動についての確認をしているらしく、聞きなれたものよりも僅かに平坦な声で少しだけ違和感を覚えた。追い討ちをかけるように、その文芸部の女子の声が聞こえてくる。
「あんたマッジでびっくりするくらい愛想無いよね。もしかして使えるワード数制限かかってる? ってくらい返答が短い!」
「話が長いよりマシだろ」
「私のことかよ! せめて津軽くんに向ける半分、いや三分の一くらいの愛想が常にあればね……文化祭でもお客さんの呼び込み頼むのに」
「失礼な奴だな、こんなに喜色満面だろうが。単にお前が遼夜の三分の一以下の感受性しか持ってないっつーことじゃねえの?」
「人を馬鹿にするときだけ長文を喋るのをやめろ! はーもうマジでこいつ顔がかわいいだけ……その顔くれよ、女子の方が人生において有効活用できるよその顔……」
「それは無理」
「あれ、一年のとき『童顔嫌だ』っつってなかったっけ? 私の妄想?」
「妄想ではねえけど。俺の好きな奴が俺の顔好きだから和解した」
「うぅうわ! なんだそれ初耳……というか和解ってなんだよ、その明らかに平均以上の顔面と戦争してたの? 贅沢か? 贅沢の極みか?」
「ごめんな女のお前より可愛い顔で」
「うっぜえこいつ……」
 我慢できずに声の方へと視線を向けると、そこにはどうひいき目に見ても喜色満面とは言いがたい奥がいた。あれ、奥ってこんな顔していただろうか。いつもはもっと、こう……。
「遼夜!」
 目が合った。奥がこちらに気付いたらしい。向けられた柔らかい表情は馴染みの深いもので、盗み見していたのを怒られてしまうかなと内心どきどきしていたおれは胸をなでおろす。こちらに駆け寄ってきてくれた奥に思わず手を伸ばして、頬の横の辺りの髪をそっと撫でた。
「ん? 何かついてた?」
 おれを見上げる奥の瞳はいつも通りまあるくて、きらきらしていた。僅かに首を傾げてくすぐったそうに笑うそいつ。なんだか心臓が痛い。これまで全然意識したことがなかった。こいつがおれのいない場所で、おれ以外の人に対して、どんな表情を見せているかとか。もしかしてそのきらきらは、おれが考えているより特別なものだったのか?
 咄嗟に言葉が出てこなくて、おれはどうにか声を絞り出す。
「いや、その、……奥だなあ、と思って」
「ははっ、なんだよそれ。俺は俺だよ」
「うん。奥は……奥、だね。いつも通り、優しい」
 奥はいつも通りだ。いつも通りでないのはおれなんだよ。思考がぐちゃぐちゃで全然まとまってくれない。こういうとき、紙とペンがあれば考えを書きとめることができるのに。喋ることをあまり得意としないおれの口は曖昧に呼気を漏らすだけだ。
 だんだん心配そうな顔つきになってくる奥をどうにか誤魔化したくて、おれは「お土産、何がいいかなあ」なんてまったく関係の無いことを言う。
 奥はやっぱり優しいから、何か言いたげにしつつも「来たばっかなのにもうお土産のこと考えてんのかよ、お前」と言って笑ってくれた。

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