羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 ご飯を食べて少しずつメールを打って寝て起きて、またうんうん唸りながら考えていたら由良から電話がかかってきた。時刻は朝七時だ。あまりにも早い。
『なあ、いつ会える?』
「い、今すぐでも会えるよ!」
 実はメールはまだ完成していなかった。それなのに由良の声を聞いたらすぐにでも会いたくなっちゃって、俺の口は勝手にそんなことを言う。電話口の向こうで由良の笑い声がした。
『なに、寂しかった? いいぜ、家来いよ。お前の家じゃ家族に迷惑だろうし、兄貴昨日は遅番だったから昼前まで起きてこねーし』
 朝飯一緒に食おうぜ、家に何も無いから適当に買ってきてくんね? という言葉に頷いて、テーブルの上に家族への書置きを残して家を出た。メール、ほぼ完成はしてるんだけどこのまま見せても大丈夫かなあ……。
 途中、コンビニでおにいさんの分も食料を買って由良の家まで行くと玄関の鍵は開けてあった。由良は俺の差し出した袋の中身を確認し、それが明らかに二人分よりも多いことに気付いて「……兄貴の分も買ってきてくれた? ありがとな」と言って財布から千円札を抜き取ると俺に手渡してくれる。
「ほんとは昼くらいまで待ってから連絡するつもりだったんだけど、我慢できなかった。悪い、急に呼びつけて」
「由良に早く会いたかったから嬉しいよ。ありがとう、呼んでくれて」
 由良はにっと笑って「飯食おうぜ」と俺を先導してくれる。パンやらおにぎりやらを並べてどれがいいかなと選んだら、リビングのこたつに並んで座って食事をした。二人しかいないのに、由良はこたつの一辺を分け合うようにして俺と一緒に座ってくれた。そんなことすら嬉しい。
「昨日は悪かった、急に怒鳴って家飛び出したりして」
 せっかく由良が話し出してくれたのに、俺はタイミング悪くパンを口に入れていたので声が出ない。自分の間の悪さを呪いつつ、「別にいいよ」の意を込めて首を横にぶんぶん振ると笑われた。
「俺、悔しかったんだよ。散々偉そうなこと言っといて結局お前がビビッてんじゃんって自分が恥ずかしかった。もっとカッコよくお前のこと受け入れて、心配いらねーよって言いたかった」
「ゆ――由良はじゅうぶん、かっこいいでしょ? 今度は俺が頑張る番だよ」
「ふは、お前は素直だねー。……なんだろ、俺さ、お前に告白されたときって正直お前とのそういうこと一切考えてなかったワケじゃん。で、お前もそれを知ってたろ?」
「……うん」
「だから、お前の意識ってもしかしてその頃のままなんじゃね? って思って。俺がちゃんとお前をレンアイ的な意味で好きになったってこと、伝わってなかったのかもしんねーとか……ふ、不安になって」
 俺はものすごくびっくりしてしまった。話の内容についてもそうだけど、由良がこうして会話をしているときにつっかえるとか、本当に珍しいことだったから。それは昔、俺が由良に告白したときに映画の例えを出して気持ちに応えようとしてくれたときのことを思い出させる。おまけに今由良は、「不安になった」と言った。いつも自信満々で明るい由良が、不安になった、と。
「不安に、なったの……?」
「そうだよ。この俺が、不安になったんだよ。もしかして俺の愛情表現の方法が間違ってたのか? とか、こんなに好きなのに分かってもらえないのは悲しい、とか、ガラにもなく思っちまったし」
 泣きそうになる。こんなに俺のこと考えてくれてるなんて知らなかった。由良の愛情はたくさん感じていたつもりだったのに、全然足りなかった。罰当たりだね、俺。
「由良、俺、喋るのへたくそだからメール書いたんだよ。読んでくれる?」
「は? 届いてねーけど?」
「昨日からずっと文面考えてたんだけど終わらなくて送信してない……あ、でも、殆ど完成してるから」
 携帯を差し出すと、「うわっスクロールなげーな!」と由良は笑顔。ほんとはこのメールを声に出して読み上げてもよかったんだけど、長いし由良のペースで読んでもらったほうがいいかなあ、と思ったから由良に任せた。なんだかどきどきする……。
 由良の視線が俺の携帯のディスプレイを辿っていくのを見つめながら、俺はなんとなく手持ち無沙汰な気持ちで正座していた。
 何分経っただろうか。「おい」短い言葉と共に顔を上げた由良を見て、俺はぎょっとしてしまう。なんでって、表情豊かだけどこれまで泣いたところだけは見たことがなかった由良が、瞳に涙をいっぱい溜めてそれが今にも溢れそうになっていたからだ。
「ど、どうしたの? 俺何かいやなこと書いちゃってた?」
「バッカちげーよこのバカ、バカ清水」
「うええ、三回もばかって言ったぁ……」
 確かに俺はばかだけど。由良のこと不安にさせちゃうようなやつだけど。
 由良はずいっと俺の頬に携帯を押し付けてくる。最後の最後の行、由良からの電話があったことで書く時間の無かった部分。途切れた文は、こうなっていた。
『俺こんなに由良に愛されて大切にされて、幸せ者だね。ありがとう。俺も由良のことが』
 震える声で、由良は囁く。
「これの続きは、ちゃんと口で言え」
 早く言って、と甘えるような口調になんだかたまらなくなって由良を抱き締める。強く腕に力を込めた。
「……だいすき。由良のことがほんとにすき。だいすきだから大切にしたいし、由良が怖かったり不安だったりするようなこと、したくないよ。別に由良が俺とそういうことするのを怖がっても、嫌われたなんて思わない。由良の気持ちはちゃんと伝わってる」
 前、『嫌われたくない』って言っちゃったことがあったよね。由良が俺にたくさん触ってくれようとして、それなのに俺は自分が歯止めきかなくなっちゃったらそのせいで由良が離れていっちゃうんじゃないかって、そんなことを考えてた。由良は俺のこと丁寧に考えててくれたのに、俺は余裕がなくて自分のことで精一杯で、由良も慣れないことを頑張ってるってことに気付けなかった。
 由良はなんでもできて、自分に自信があって、いつも明るくて前だけ見てるって思ってた。でも由良だって不安になったりするよね。弱音吐きたかったりするよね。俺が由良と対等な場所に立とうとしてなかったせいで、由良は頑張りすぎてしまったんだ。
「最初は由良に憧れて、それで好きになったけど……憧れたままじゃだめだって分かった気がする。後ろから追いかけるんじゃなくて、ちゃんと並んで歩けるようにしたい」
 俺にももっと頑張らせて、と言うと、首筋にぱたりと水滴の跳ねる感覚がした。
「……お前は、自分のこと下に見すぎ。もっと堂々としてろ。お前は最高なんだよ、だって俺の恋人なんだから」
 俺がそんじょそこらのつまんねー奴ここまで好きになるわけねーだろ、と由良が額を俺の肩に押し付ける。由良らしい台詞が嬉しくて、恥ずかしくて、心臓のどきどきがおさまらない。
「お前があんまネガッてると俺の価値まで下がるんだよ。んなことになったら俺は怒り狂うぞ」
「そ、それは困る……」
「だろ? それが嫌ならどうすりゃいいか考えろよな」
「ん、んんん……由良にとって自慢の恋人になれるように、頑張ります」
 やっぱバカだなお前、と笑われてしまった。あれ、俺返答まちがえちゃった?
 由良はぱっと体を離して柔らかく笑った。ほんの少し目が赤かったけど、瞳は潤んでいたけれど、それを隠すことはせずに俺を見つめてくれる。
「――こういうときはキスのひとつでもするもんだろ? お前の恋人は、それだけで機嫌が直っちゃうくらいお前のことが好きなんだけど?」
 ずるい。ずるい。やっぱり由良はずるいよ、そんなふうに言われたら嬉しくなっちゃうじゃん。調子に乗るよ、俺。由良は恋人を甘やかしすぎだよ。
 我慢できなくて、そっと目尻にキスをした。由良はちょっと不満げ。次はほっぺたにキスしてみた。「焦らすんじゃねーよ、生意気だな」髪を軽く引っ張られたので、素直に唇に触れる。
 いつもだったらかなり積極的に舌を絡めてきてくれる由良は、けれど今日は比較的おとなしい。由良が受け身で「いてくれる」ことに少しだけ優越感。女の子が相手じゃこうはいかない。こういう由良を見られるの、きっと俺だけだよね?
 嬉しくてじっくり由良の舌を味わっていると、控えめに舌が絡んできた。我慢できなくなったのかな、それとも恥ずかしかったのかな、と考えたものの思考は長続きしなくて、ただこれまでに探り当ててきた由良の敏感な部分を舌を使って撫でていく。
「っん、ぁ」
 甘えるような由良の声はとってもえっちだ。由良は熱っぽい瞳で「やっぱりお前、やればできるじゃん」と囁いてくる。
「女じゃねーんだからされるがままはダセェって思ってたけど……まあ、こーいうのも愛ってやつ?」
「ふふ、そうかも」
「お前といると、なーんか新しい価値観とかいうのが俺の中に生まれる感じ。悪くねーな」
 耳たぶを甘噛みされた。そのことにも驚いたけど、「……なあ、俺の部屋行こうぜ」と言われたことに一番驚いた。だって部屋に行くってことは、つまりそういうことじゃないの?
「え、由良、昨日の今日だよ?」
「切り替えが早くて潔い由良くんを褒め称えてくれていーぜ」
「まだ朝だし」
「問題あるか? ブラジルは夜だろ」
「……お、おにいさん部屋で寝てるんだよね?」
「リビング隔てて閉まった扉通り抜けて声響くほどこの家の壁は薄くねーって」
 それともお前、俺にそこまで声あげさせる自信があるってこと? とからかうような口調で言われて顔が熱くなる。由良、もうむりだよ。止まってあげられない。
「ほんとに……いいの?」
 理性を総動員して最後の確認をすると、由良はこれまた珍しく恥ずかしそうな表情で、「……まあ正直ちょっと怖いけど、お前と一緒ならどうにかなるんじゃね」とはにかんだ。
 それはあまりにも優しい響きで、思わず泣きそうになってしまった。

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