羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「……なんでおまえが泣きそうになってるの。逆じゃない? ここは」
「んっだよ、じゃあ泣けよ今すぐ」
「それは無理だわ。おまえが優しいからね」
 あ、駄目だこぼれる。そう思うよりも早く涙が目の縁を超えて溢れた。なんなんだよお前。「おまえが優しいから」なんて。そんな言い方はないだろう。
 景色が滲んで、水滴が頬を伝って顎から落ちた。一色の傍にいるとき自分の心音が不思議と速かったことを思い出しながら、本当に久しぶりに泣いた。……今も速い。
「喧嘩に強い奴でも泣くんだね」
「いや、意味分かんねえだろそれ……」
「おれの中にも勝手な偏見があったってことじゃない? ……好きな奴が泣いてるの見て喜ぶ趣味はないんだけど、おまえはどうやったら泣き止んでくれるの」
 そいつの親指の腹が優しく目の下をなぞって涙を拭う。今更ながら泣き顔を見られているのが恥ずかしくなった。なので、握っていた手を離して、目の前の体を勢いのままに抱き締める。予想通りというか見た通りというか、細身ですらっとした体つきだ。運動はあんまり、と言っていたのも頷ける。
「……これで見なくて済むだろ」
「見たくないってそういう意味じゃないんだけど。……というか、おまえ、どうしたの一体」
 こういうとき分かりやすくうろたえてくれるなら可愛げもあるというものなのだが、やはり一色はそうはいかないらしい。けれど、一語ずつ噛み締めるような口調に、もしかしたら少しくらいは緊張してくれているのかもしれないな、なんて思う。
「オレ、分かりやすいってよく言われるんだよ」
「え? うん……」
「誤魔化したりすんのも下手だし。嘘ついてもすぐバレるし顔に出るし」
「それはまあ見てれば分かるけど……それがどうかした?」
 オレは、一色から離れて袖口で思い切り涙を拭く。目をしっかりと見て話すために。これから伝えることのために。
「――だったらこれも見てれば分かるだろ。オレもお前を、……っ好きになった! ってことだよ!」
 勢いをつけて言ってしまおうと思ったら無駄に声がでかくなってしまった。心臓がばくばくいっている。よく考えたらこんな風に、誰かを好きという気持ちをちゃんと言葉で伝えるのは初めてのことかもしれない。
 分かりきったことをわざわざ口にするなんてなんだか恰好悪いと思ってたけど、いざ言ってみると悪くない。そんな感想を抱くと同時に、本気で口にした言葉を丁寧に扱ってもらえないのはとても悲しいだろうなと想像できた。一色がどんな気持ちで好意を言葉にしてくれていたかというのも、少しだけ。
 これまで貰ってばかりだったから、これからは少しずつでも返していきたい。
 面白いもので、好意を口にするとそれに対して明確に反応が欲しくなるらしい。オレは注意深く一色のことを観察する。反応が薄い――と、ほんの少し不満に思ってしまうのはオレの我儘なのだろう。いつもより僅かばかり見開かれた瞳が十分珍しいので、今のところはこれで納得しておこう。
 一色はしばらく黙っていたが、やがて眉を下げて笑った。
「……この流れでおまえの言葉を疑ったりしたら、なんだかおれが最低野郎みたいになっちゃうね」
「『みたい』っつーか、最低野郎だろそれは」
「おれもそう思う。だから……夢みたい、って言ってもいい?」
 夢みたいに嬉しい、とそいつは呟いた。……きっと、これも本心だ。
「……おれさ、よく『淡白そう』って言われるけど、実は全然そんなことないんだよね」
「あー、お前割と湿っぽいよな、全体的に。根暗だろ」
「それただの悪口じゃない? まあでも否定はしないっつーかできないかも。かなり湿っぽいし、好きになったら入れ揚げるタイプだし、別れたら引きずるよ」
「……入れ揚げるタイプ?」
「おまえ、散々恩恵に与っておいてそのいかにも疑ってますみたいな表情やめてよ、傷付くから」
「わ、悪い……いや、でも」
 散々恩恵に与っておいて。……散々? 恩恵に?
「――あ!? お前っ……さてはたまに出てきてた試作品のケーキ本当は有料だろ!?」
「当たり前じゃん。あんなのタダで配ってたら店潰れる」
 そこは普通に嘘だったのかよ! まっすぐな言葉だけで接してくれてたんだな、っつー感動が若干薄れただろうが。どうしてくれんだ。
 こいつさては、人に向ける感情に関して嘘はつかなくても、それ以外だと悪びれなく嘘つくな……? 油断ならねえ。
「待て待て待て……あれ、お前が作ってたんだよな? つまり……」
「そう。試作品っつって出してたのはおれが作ったやつ。貢物って言った方がいい?」
「やめろ! キモい通り越して怖い! いやマジで……んなことしなくてもちゃんと払うし……ちゃんと好きだし……」
「そういう性分なんだよね。水嶋がおれのケーキ美味いっつって食ってくれるのが嬉しくてちょっとやりすぎた感はあるけど……おれさあ今までも貢ぎすぎて何度か振られてんの笑えるでしょ」
「笑えないし怖い……」
「しかも『その顔でそれは無理。混乱する。受け入れられない』って言われるんだけど顔関係あんの? 逆に何をしそうな顔なの、この顔は」
「あー……言っていいか?」
「うん」
「……適当に女引っ掛けてヤるだけヤって飽きたら捨てそうな顔に……見える……」
「なにそれ……もう整形した方がいいじゃん……」
 ぱっと見たときの印象が危ない雰囲気の遊び人っぽいんだよなこいつ。しかもチャラいとかじゃなくてガチで近付いたらまずそうな感じ。イケメンから親しみやすさを引いてアングラ感を足したらこいつになるかも。まあ、付き合っていくうちに全然そういう奴じゃないのは分かるんだが……。第一印象でこいつに惚れた女とかは、騙された気分になったりするのかもしれない。
「……おまえはさ、いいの?」
「は? 何がだよ」
「たぶん、おまえの想像と違うことたくさんあるよ。『思ってたのと違った』って言われるの、そろそろしんどいんだよね」
 弱音らしきものを吐いたそいつは、やっぱり淡く笑ったままでオレを見ている。確かにこいつのまだ見ぬ本性は色々とあるのだろうが、きっとそれも込みで付き合っていくことができると思う。
 だって、こいつがオレのことを好きでいてくれた気持ちに嘘はないのだろうから。
「いいだろ思ってたのと違っても。オレ、第一印象よりも今のお前の方がよっぽど好きだし」
 っつーか最初はどちらかと言わずとも嫌い寄りだった。タバコ折られたしな。
 まあオレにとっては、いけ好かないイケメンよりもケーキ作りが得意で若干湿っぽい、言葉が誠実な奴の方がいいってことだ。
「……おれ、浮気とか許せないタイプだから。他の奴がよくなったらちゃんと別れ話してから他に行って」
「お、おう」
「別にコンビニスイーツ食うなとは言わないから、おれの作ったものの比率を一番高くしてほしい……」
「それはまあ、お前の負担にならない範囲でなら色々作ってもらえるのは嬉しいけどよ」
「おまえは友達多いよね。休みの日にも一緒に出掛けたりするの?」
「あー、割とするかも?」
「ふーん。複数人ならまだマシだけど二人きりは妬くからね」
「マジかお前……」
「あと、おまえの友達が煙草吸ってるときはなるべく傍に行かないでほしい。なるべく」
「お前ってタバコかなり嫌ってるよな。やっぱ臭いからか?」
「嫌いなわけじゃないよ。おれが吸うことは絶対にないってだけ」
「え、でも他の奴が吸ってるときも傍に行くなって……」
「はあ? 好きな奴が他の男の匂いつけてくるの見逃せるほど心広くないんだけど? イラつくわ普通に」
 うわあ……なんかだんだん面倒なこと言い始めたなこいつ。これは確かに印象変わる。
「……引いた?」
「正直かなり引いた」
「マジで正直じゃん」
 ふ、と微かな笑い声がして、一色の淡い色をした髪の毛が頬にかかった。そのことになんだかたまらなくなってオレは再度口を開く。
「引いた、けど、嫌いにはならねえよ」
 余裕で好きだよ。と、勢い余ってここまで言った。オレはこんな風に好意を口にできるような人間だっただろうか? と自分でも内心首を傾げてしまう。一色に影響されたのかもしれない。だとすると、かなりいい影響だ。
「オレだって、全部が全部見たままじゃねえだろ、たぶん」
「そうかもね。おまえは見た目よりずっと優しいよ」
 そうかよ。そりゃどうも。くすぐったい気持ちをそんな無愛想な口調で誤魔化してしまったけれど、幸いなことに一色は真意を汲み取ってくれたらしい。オレの反応に不満げにするでもなく、ただ黙って微笑んでくれた。
 ……にしても、オレらって要するにお互い好きってことでいいんだよな? いい……よな? いいはずだ。男同士でどうこうっつーのはまだいまいち実感ねえけど、この表情の分かりにくい男が――一色が、はたして恋人の前ではどんな顔を見せるのか、というのには興味がある。
 手始めにキスでもしてみるか? と企んでいたところ、一色がふと声をあげた。
「……あ。そうだ水嶋、明日作るの何がいい?」
「ん? オレがリクエストしていいのか?」
 タイミングを逃したことを若干残念に思いつつもケーキはかなり楽しみだったのでそう尋ねると、「もちろん。誠心誠意作らせていただきます」なんて返ってくる。
 男に二言はねえぞ。オレはじっくりと考えて、答えを出す。
「……ショートケーキ、がいい」
 しっとりした密度のあるスポンジで、苺がたっぷり入っていて、クリームがほんの少し甘さ控えめだと最高なのだ。
 一色はオレの要望を聞き終えると、「分かった。任せて」と言ってオレの手に触れる。そのままキスでもされるかと思いきや、砂糖細工相手にしてるのかってくらいの優しさでそっと抱き締められた。半分目を閉じかけていたオレは完全に恥ずかしい奴である。
 今まで相手してきたどんな女も、ここまで夢見がちなことはしてこなかったのだが。観念して体の力を抜き、そいつの背中に腕を回す。……力加減はもう少し強い方がオレの好みだと言ったらどんな反応をするだろう。
 今日もこいつからは、なんだか甘い匂いがする。
 きっと明日もそうなのだろうなと想像してみて、それがとても幸せな気分になれるものだったから、オレは初めて早起きを楽しみに感じたのだった。

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