羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 なんかもう収拾つかなくなってきて困っていると、ポケットの中につっこんだままの携帯が震えた。メールだ。送り主はやっぱりさっきの風紀委員の子で、『そっち、もうすぐ見回りの先生が行きますよ。離れるなら急いだ方がいいと思います』という有能すぎる連絡だった。
「やばいもうすぐ先生くるって! とりあえず解散しよう解散!」
 全員顔は覚えた。いざとなったら証拠もある。オレは携帯の録音をこっそり切って何食わぬ顔でみんなを誘導する。金銭のやりとりは未然に防げたし、加害者側は反省してる……っぽくはあるし、何よりこの状況で見つかると奥の立場が悪くなりそう。さすが殆どが陸上部だからなのか逃げ足もめちゃくちゃ速くて場違いに感心してしまう。オレたちもグラウンドを迂回するようにその場から離れて、走れないまでも急いで焼却炉の方へと脱出した。
 血まみれの奥が目立って仕方ないのでどうしようかと思っていたら、いつの間にか高槻がタクシーを呼んでくれていたらしい。「病院に知り合いいるから、頼んどいた」根回しが早いな。助かる。もう全然部活どころではなくなってしまった津軽を伴って、奥は病院へとドナドナされていった。「あっやべえアドレナリン切れてきた予感がする、めちゃくちゃ痛い……」なんて言っていたので骨くらいは折れているかもしれない。
 辺りはすっかり静かになってしまって、オレは落ち着いて深呼吸する。肺の中を冷たい空気が満たしていく。
「はー……さて、どうしたもんかね」
「向こうの出方次第なんじゃねえの。なんか今日はうやむやになっちまったけど」
「まあ、津軽がそんな騒ぎにしたくないみたいだし当人同士の和解って辺りで収まるかな。っつーか奥あれ大丈夫か……」
「あいつの怪我は自業自得だろ。これで少しはおとなしくなればいい」
 高槻はそんなことを言いつつ、けれど奥が喧嘩のときに投げ捨てたのであろう鞄をきちっと回収してきてくれたり、津軽の荷物も教室から持ってきてくれたり、やっぱり何かと気の利く奴だった。どうやら病院まで届けてあげるつもりらしい。至れり尽くせりか?
「……あ。そういや『二回目』ってどういう意味?」
「二回目?」
「いやお前が奥に言ったんじゃん。これで二回目だぞ、って」
「あー、あいつ小学校のときも似たような騒ぎ起こしたんだよ。別に理不尽なことで怒る奴じゃねえんだけど……怒るっつーかマジで沸騰みたいなキレ方するから。で、大怪我してくる」
「ふうん……? そういや奥はよく小学校時代のお前の話するけど、お前は何か奥について覚えてること無いの?」
「いや特に……五、六年のとき同じクラスだったってだけで、あいつずっと本読んでたし俺もちょうど学校あんま行けなくなってきた時期だったし」
「あ、そっか……ごめん」
「なんで謝るんだよ。いいって別に。……そうだな、覚えてるっつったらあいつの喧嘩の理由くらいだ」
 それってオレが聞いていいことかな……と悩んでいると、高槻は「もう五年以上経ってるし時効だろ」なんて言う。……こいつ、さてはなんだかんだ奥に昔のこと暴露されてたの根に持ってたな?
「じゃあ、教えてほしいかな」
「ん。……前のときは、弁当を馬鹿にされたからって理由でキレてた」
「弁当?」
 高槻は記憶の糸を手繰るようにゆっくり喋る。「数ヶ月に一回、弁当の日っつーのがあったんだよ。俺は自分で作ってたけど……まあそれはいいや。とにかく、あいつが持ってきた弁当を馬鹿にされて……」その糸は途切れてしまったらしく、ふっと目を伏せて囁いた。
「何言われてたかまでは流石に覚えてねえけど、かなり酷いことだったと思う。止めようと思ったことは覚えてるから」
 実際は止める間もなく奥がキレてやっぱり相手のことをぶん殴ったらしい。躊躇が一切無いな……。
「確かあいつ、そのときも怪我してるんだよな。殴った奴が持ってた箸だかフォークだかが刺さるかなんかして病院行った」
「へ、へえー……」
 病院に行った翌日、担任からめちゃくちゃに怒られたらしい。原因が相手にあることは周囲の人の証言で分かってもらえたようだけど、それにしたって危ない、やりすぎだ、と窘められたんだとか。
「あー待って、段々思い出してきたかも……? 確かあいつ、お前も謝れって担任に言われたとき『やりすぎたことは謝るけど殴ったことは謝らない。もしまた同じこと言われたら同じように殴る』みたいなこと言って親呼び出し喰らってた」
「正直すぎるでしょ……」
 かたちだけでも謝っておけばいいのに。でもまあ、奥にとって譲れない部分だったんだろう。
「にしても高槻、なんだかんだ覚えてるじゃん」
「まあ、これは特に印象に残ってたっつーか……あいつが、弁当作ってくれた人のこと大切にしてるのが分かったから」
 なるほど、食事に関することだからよく覚えてたのか。高槻らしいや。
 にしても奥って人を殴れる奴なんだな。全然そんな風に見えない。でもまああいつは自分の外見で誤解を受けたりレッテルを貼られたりっていうのをものすごく嫌うから、気性の激しさも込みであいつ自身なのだろう。
 そうは言っても津軽と一緒にいるときはかなり穏やかに笑うんだけどね。それはきっと津軽が奥自身を尊重していて、奥の生き方を蔑ろにしていないからだ。津軽だから大丈夫なんだろうなあ。
「津軽みたいな奴が友達でよかったね、奥は」
「いや友達っつーかあれは……あー、やっぱなんでもねえ」
 そろそろ行く、と言って高槻は自分のものも含めて三つ抱える。駅まではオレが一つ持つよ、と手を差し出すと、いかにも薄っぺらくて軽いですよって見た目の鞄を手渡された。
 高槻はふと悪戯を思いついたように笑って、「問題。その鞄誰のでしょう」とクイズを出してくる。
 オレは特に悩みもせず答えた。
 だってほら、もう付き合いも長いしね。
「奥のでしょ」
「正解」
 あいつは教科書は全部学校に置いて、代わりに文庫本を一冊鞄に忍ばせておくタイプなのだ。

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