羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 花火大会は八月の初めにあった。高槻は七月が終わったからか問題なく元気そうで、「あっつ……」と髪の毛を掻きあげる怠そうな仕草すらさまになっている。花火が始まるまではまだ少し時間があるから、屋台を見て回ろうという話になってゆっくり歩き出した。というか、人が多すぎてゆっくりとしか歩けない。
「こういう屋台の食べ物って、めちゃくちゃ高いけど不思議と食べたくなるんだよねー」
「雰囲気料みたいなもんじゃねえの? あ、りんご飴」
 どうやら高槻は食事前に甘い物を食べるのでも全然構わない味覚をしているらしい。明かりに照らされてきらきら光っているりんご飴の、二種類あるサイズの小さい方を買ってこちらに戻ってくる。
「サイズがかわいいね」
「大きいのは飽きるし小さい方が好きだな俺は。飴もそんな分厚くねえし」
 高槻の口の中で、パキッ、と音をたてて飴のふちの部分が割れる。人工着色料をこれでもかと使ってます、って感じの赤が高槻の唇を汚した。うーん、風情があるなあ。これで浴衣でも着てたら完璧なんだけど、高槻にとって和装はさくらちゃんを思い出させるものだろうと思うから黙っておく。
 結局、さくらちゃんの新盆にはしっかりお邪魔してしまった。運がいいことにコスモスを見つけることができたので、高槻にそれを買って行ってもいいか念のため確認してからのお参り。オレの家のお墓はもう何十年も昔からありそうな、年季の入ったものなんだけど、高槻のところのは随分と新しい風な綺麗なお墓だった。いや、ただ単にいつも綺麗に手入れや掃除をしているから新しく見えるだけなのかもしれない。どちらにしても悲しいな、と思う。
「お前何も食わねえの?」
「んー、ちょっと迷い中。あっ見てチョコバナナある」
「お前それ絶対全部食いきれねえだろ……」
「あ、やっぱり? うーん、わたあめとかも心躍るけど結局砂糖だしな……」
「おとなしく焼きそばとか食ってろよ。たこ焼きとどっちがいい?」
「焼きそば!」
 うまいこと誘導された気がするけれどまあいいや。お祭りの楽しげな雰囲気も手伝って、じゃがバターとか焼き鳥とかお好み焼きとかも追加で買い込んでから高槻を先導し歩く。お祭りの会場から少し離れて、やってきたのはビルの屋上。ここ、割と穴場なんだよ。まさかこんなとこ昇れるなんて思わないでしょ。
 しかもここ、ただの屋上ではない。
「うわっ、こんなとこに鳥居がある……」
 高槻も驚いたみたいで一瞬歩みを止める。そう、ここはビルの屋上だけど、れっきとした神社なのだ。鳥居があるし参拝もできる。おみくじだって売っている。鉄筋コンクリートのビルに神社の鳥居って物凄くミスマッチだけど、もうずっと前からこの神社はここにあるのだ。オレも最初見つけたとき――というか、風紀委員の担当の先生にこっそり教えてもらったときはびっくりしたんだけど、認知度が低いからなのかいつ来ても人はまばらでゆっくりできるので気に入っている。
 賽銭箱の横を守っていると思しき、狐なのか犬なのかいまいちよく分からない生き物の石像を見ながら買ってきたものをベンチに広げた。よしよし、いただきます。ここ、割と高いから蚊もあんまりいないんだよね。すごくない?
 高槻はオレがさんざん食べ物につられている間に飲み物を買っておいてくれたらしくて、ついさっきまで冷えていたのであろう麦茶のペットボトルを手渡される。ありがたや。
 ベンチに並んで座って、ソースの匂いに食欲をくすぐられつつ割り箸を操っていると――やがて、笛のような高い音と腹に響くような低い音が連続して聞こえた。焼きそばの入ったプラスチックの容器から顔を上げる。
「キレーだなぁ……」
 思わずため息。人ごみの喧騒が下の方から聞こえてくる。花火が闇に消えていくとき、パラパラと寂しげな音が耳に届くのがなんとも言えず風流だった。
「こんな、周りに人いなくて花火見られる場所があるんだな」
「いいでしょ。オレのおすすめスポットだよ」
「神社ってビルの上に建てていいのか?」
「逆みたい。元々神社のあった場所にビルができたんだってさ」
 神様に「お邪魔します」と言ってビルを建てたりしたんだろうか。やっぱり取り壊すのは忍びなかったんだろうな。
 次々に打ち上げられる花火は色鮮やかだ。こういう、音が腹の底に響く感じっていいよね。人が多くて混雑してるとかだと辟易するけど、こうやって他に人がいない状態でゆっくり見る分には花火って好き。夜店を見て回るのも楽しいし、お祭りの雰囲気って好きだ。
 高槻、どう? 楽しい? お前が好きだって言った夏を、一緒に過ごしてみたかったんだよ、オレ。
 オレの隣でじっと花火に見入っている高槻のことを盗み見る。その表情は穏やかで、誘ってよかった……ととりあえずほっとした。こいつがきちんと、罪悪感や遠慮を感じずに楽しいことを楽しいと言えるようになるまで、こうやって隣にいられればいいなと思う。
「八代」
 静かに声をあげた高槻がこちらを見た。オレも高槻のことを見ていたから当然目が合うわけで、ちょっとどぎまぎしてしまう。「なに?」なんでこっち見てたんだとか言われたらどうしよう、なんて心配をしつつ返事をすると、そいつはちょっと笑って「ありがとう」と言った。
 たった一言だったけど、通じた気がした。
 こいつと一緒にいるとたまーに、こういう感覚がすることがある。しっかり言葉を交わしたわけじゃないのに、どういう気持ちでオレに笑ってくれたのかとか、短い一言の中にどれだけの気持ちが込められているのかとか、確かに通じていると強く思う。
 ちょっと優越感を覚えること。高槻は基本的に人の名前を呼ばない。高槻が名前を呼ぶのは家族とか、限られたコミュニティの人だけだ。会話や対話が上手いからつい誤魔化されちゃうんだけど、気をつけて聞いていると分かる。
 でもそんな高槻が、オレの名前はちゃんと呼んでくれるのだ。その距離感が嬉しい。
「オレも、ありがとう」
「ふ、なんでお前まで言ってんの」
「え? えーと、一緒に遊んでくれた……から?」
「疑問形かよ」
 あ、また笑った。楽しそうにしている。本当によかった。
「ほら、来年の夏は受験生だし。思いっきり遊べるのって今年が最後かもしれないじゃん? 今のうちに色々できたらいいなって思う」
「あー、そっか。お前大学行くんだよな」
 分かっていたけど、高槻は大学に進学するつもりは無いらしい。うちの高校出て大学進学しないってかなり珍しい進路だけど、ちゃんとやりたいことがあるって言ってた。いつか教えてくれるとも言ってたからオレはその日を楽しみにしている。進路が分かれるのはそりゃ残念でもあるけれど、高槻の中にこうして「やりたいこと」が生まれるのはいいことだと思うから。
 数年前、「高校には行かない」と苦々しげな表情で呟いていた高槻。そのときはさくらちゃんのこととかお父さんのこととか色々、環境的要因があった。今度は、自分のために決めた進路だといいな。
「じゃあ高槻は受験生たるオレを応援してね」
「受験当日にお前がインフルエンザに感染しないことだけ祈ってる」
「えっそこだけ!? もっとこう、試験でオレの得意分野が出ますようにとか祈ってよ!」
「いや俺お前の得意分野知らねえし、っつーか得意分野とかあんの? 全部できるだろ。たぶんお前が解けないような問題が出る確率よりもお前の不運で風邪ひく確率のがよっぽど高いぞ」
「め、面と向かって『不運』って言われた……」
 というか風邪は自己管理なのでは。気をつけててもひくときはひくけどさ。
「ううー……まあでも、お前が応援してくれるのはご利益ありそう。高槻ってクジ運いいもんね」
「悪くはないんじゃねえの。確か小学校受験のときくじ引きあった気がするし」
 つくづく中学受験でクジ引きなくてよかったよ。高校受験は最初から試験だけで勝負できるみたいだけど、運も実力のうちとか言われたってこれで落とされちゃ泣くに泣けない。
「あっ! そうだ高槻、せっかくだからおみくじ引いていこうよ。ほらあそこ、無人だけどおみくじ売ってるんだよ」
「……いいけど。お前ってこういうとこ姉ちゃんに影響されてんの?」
 ああ、こういうのやりたがるのは大体女だって言いたい? まあ、上に三人も姉がいるとどうしてもね、影響されるよ。特に二番目の姉がこういうの好きで、一緒に神社行くたびにおみくじ引いてたからもう習慣に近い。
 花火を横目に高槻の背中を押しておみくじ売り場の前まで歩く。レジ代わりの小さな賽銭箱のようなものに百円玉を入れて、大量にくじの詰まったアクリルの箱に手を差し込んで、一枚をそっと持ち上げた。高槻も同じように、気軽な感じでくじを引いている。
「末吉だ。またコメントしづらい感じの……高槻どうだった?」
「大吉」
「ほんっとお前は裏切らねえな……」
 その運をちょっと分けてくれ。
 おみくじの『恋愛』の項目のところに「この人より他になし」と書いてあって若干ぎくりとしてしまった。もしかして神様見てる? 神様って、いたらきっと楽しいだろうなって思う。神様だけじゃなくて幽霊とか妖怪とかもいたらきっと楽しいのに、あいにくオレは一度もお目にかかったことがない。残念だ。
「これって持って帰ればいいのか?」
「んー、なくしちゃいそうなら結んで帰れば? オレは毎回結んじゃうなー」
 こくりと頷いた高槻は、大吉のおみくじを丁寧に折って専用の場所に結んだ。こうやって結ぶ由来とか意味とかあったと思うんだけどちゃんと覚えてないや。まあ神様はきっとおおらかでスケールがでかいだろうから、よく分からないまま結んだくらいで怒ったりしないよね。オレも同じようにおみくじを結んでいたら、どうやらいつの間にか花火がクライマックスを迎えていたらしい。辺りがひときわ明るくなって、絶え間なく夜空に花が咲く。
 そこから花火が終わって人のざわめきが遠ざかるまで、オレたちはお互いになんとなく黙ってそこに立っていた。花火は綺麗で、お祭りは楽しくて、けれど全部終わってしまったらちょっと寂しい。きっとオレたちは同じようなことを考えていて、それが分かったからこそ敢えて言葉にはしなかった。
「……帰るか」
「うん。楽しかった」
 高槻はやっぱり笑って「俺も」と言った。鳥居をくぐる直前に振り返って、オレたちの結んだおみくじがまるでリボンのように揺れているのを確認してからその場をあとにしたのだった。

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