羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 水曜日。この日は授業が五限までで終わる。委員会も無いし部活も無い。津軽みたいなのだとそれこそ毎日部活に出るんだけど、オレは委員会もあるしうちの陸上部の中でもマイナー競技をやっているので無理して部活で皆勤賞じゃなくてもいいのだ。早く帰ろう。
 ちなみにオレの専門はハイジャンプ。背低いのにね。まあでも、身長の割には跳べる方なんだよ、ほんとに。
 帰る準備をしながら、ちょっと前に奥と話をしたことを思い出す。あいつはグラウンドを見ながら、『短距離走は才能のある奴が強いんだってな』と呟いた。
『ん? なんの話?』
『才能の話。長距離走って努力で飛躍的に記録が伸びるらしいけど。短距離走だとそうでもないって聞いたことがある。鈍足はどんだけ努力しても、サボってる俊足にすら勝てないとかなんとか』
 奥ははたしてどこでその話を聞いたのだろうか。努力を全否定しちゃうのもなんだかなあと思って聞いていると、奥は一旦言葉を切って、眩しそうに目を細めた。
 きっと視線の先には、津軽がいたのだろう。
『あんなに才能があって、あんなに速くて、それでも努力をやめないでいられるのが一番すごいな』
 津軽のことを指して言っているというのはすぐに分かった。あいつは根っからのスプリンターだ。高校入学当初からこの学校で一番速くて、なんなら中学でもそうで、もっと言うなら小学校とか、幼稚園の頃からずっと足が速かったのだろう。あいつはなんというか生き方がストイック。自分に厳しい。でも他人には甘い。それはあいつのいいところでもあり悪いところでもある。
『うん。確かにあれは才能だ。でもほら、努力も捨てたもんじゃないかもよ?』
『そうか? 例えば俺がマジで死ぬほど努力したとしても、元々足の速い奴に勝てるビジョン欠片も浮かばねえけど……』
 だってほら、たまにいるだろ陸上部より足速い帰宅部とか。そう言われてオレは悔しいことにちょっと納得してしまった。きっとこれを言うと奥は嫌そうな顔をするだろうなと思いながら、『あー、高槻とかね』と口にして、やっぱり嫌そうな顔をされたのでその話はそこで打ち切りとなったのだ。
 たぶんオレと奥はちょっと似てる。才能のある奴が好きなところが。
 なんでこの話を思い出したかって、目の前でその二人が仲睦まじく喋っていたからだ。仲良きことは美しき哉……となんとなく嬉しい気持ちでその様子を眺めて、さてオレも高槻と一緒に帰ろうと一歩踏み出した瞬間、「あ、八代ちょっとこっち来て!」と女子に呼び止められた。
 嫌な予感がしながらも大人しくそちらへ向かうと、机の上には大量のメイク道具。うわあー……これ姉ちゃんが似たようなの持ってる……。
「聞きたくないけど一応聞く。なにこれ」
「そこ座ってー。事前に試しておかないとぶっつけ本番は怖い」
「あっ無視!? あとねえこれ校則違反だからね! 風紀委員長の前でこれ出すっていい度胸してるな!」
 染髪ピアスはオッケーだけど、華美すぎるメイクは禁止。まあ、基準が曖昧だからその風紀委員の裁量にもよるんだけどさ……なんだよこの毛虫みたいなつけまつげ。怖いよ。
 この夏の引継ぎで風紀委員長になったばかりのオレとしてはあまり看過できるものではない。けれど女子たちはそんなのどこ吹く風で、「いいじゃんナチュラルメイク風にしたげるから!」「ここだけ治外法権にしてよぉ」と好き勝手言っていた。ナチュラルメイクは逆に困る。
 ……まあ、メイクしてもすぐ落とすし。っつーかオレだし、いいか。
 我ながら白旗を揚げるのが早い。同じく帰る準備をしていたらしい高槻が面白そうに「ここで見ててやるよ」と椅子を用意していた。この野郎。
 その後はもうめちゃくちゃだった。一体どれだけのものを塗りたくられたか定かじゃない。「なにこのつやつやで柔らかい髪!? はームカつく! 将来ハゲろ!」と暴言を吐かれて「やめて!」と本気で叫んだ。姉ちゃんのシャンプーを一緒に使ってるから無駄につやつやになるんだよ。
 高槻は、たまーに「こっちの色の方がよくねえ?」と口出しして女子から「うわっ的確に注文つけてくる……キモい……」と言われていた。的確なのか。
 何が面白くないって、高槻がこの女子たちとかなり仲よさそうなことなんだよな……。まあ、高槻も遠目できゃあきゃあ騒がれるよりこっちのが気楽でいいんだろうと思うんだけどさ。ちなみにここにいる女子は全員、高槻に対して「これが恋人とかマジで勘弁でしょ」とぼろくそ言っていたのでその辺りは特に心配してない。昔から高槻を知っている女子いわく、「こいつは完全に観賞用」らしかった。
 いや……別にオレが高槻の恋人に対してどうこう口出しできるなんて思いあがってはいないけど……。でもやっぱ好きな奴に恋人ができたらへこむよ。すごくへこむ。たとえすぐ別れるだろうと思ってても。
 悶々と考えていたら何やら全部終わったらしく「要改善」なんて言葉と共に鏡を渡される。オレは、それを見てびっくりしてしまった。だって、鏡の中の自分の顔が姉ちゃんにそっくりだったから。メイクってすげーな。
「どう? 感想は」
「姉の顔に激似……むなしい……」
 高槻に「俺はその顔好きだけど」なんて言われて余計に虚しい。そういや前言ってたよね。こいつは八代家長女の顔が好きなのだ。まあでも、メイクしてない状態の顔もかなり似てるよ。実の姉に対抗心を燃やしても仕方ないけど。
「高槻お前……なんかやけに女子に協力的だと思ったらこの顔が見たかっただけなんじゃ……」
「いやいやなんでだよ。それなら普通にお前の姉ちゃんに会った方が早いだろ」
 じゃあなんでそんな楽しそうにしてるんだ。やっぱ男のオレじゃダメってことか。
 高槻は気の強そうな年上の女の人が好き。出会ってから五年ともなるとそのくらいはとっくに分かってる。こいつの性的嗜好は完全にノーマルだ。たまーにクラスの男子が割とエグめの猥談をしてると顔をしかめるタイプ。ちょっと意外。そういう話に花を咲かせているどんな男子よりも高槻の方が経験人数多そうだし。
『別に征服欲とかねえし。相手が痛がったり嫌がったりすんのは駄目だろ……』
 とかなんとか、言ってたかな? コスプレとか道具とかも何がいいのか分かんないんだってさ。そして高槻はこうも言っていた。『セックスはどうやったら相手が気持ちよくなれるかだけ考えてりゃいいから楽』と。自分のことを考えなくていいから楽なんだそうだ。やっぱりこいつはちょっとずれている。だって他の奴らの話聞いてみなよ、どうやったら自分が気持ちよくなれるかって話ばっかりしてるだろ。
 こいつはまだ、自分のことについて考えるの、しんどいんだろうか。
 自分の思考の飛躍に驚きつつ考えることをストップする。おかしいな、最初は「オレが男だからダメなのか……」って話だった気がするんだけど、いつの間にか高槻のメンタルの回復具合についての話になってしまった。
 とりあえず女子の目的は果たせただろうと思ったので「これ洗ってきていい? というか石鹸でとれる?」と尋ねる。せっかくだからと言われて写真を撮って、化粧は石鹸だととれないらしいから専用のシートみたいなのを貰った。なんかぬるぬるする……。
 こんなんで当日大丈夫なのかな、と不安に思いながらも今日は解散だ。高槻と並んで歩く。なんとなく、さっき考えていたことが原因で気分が上がらない。
「八代」
「んっ? なに?」
「なんかお前最後の方変だったけど……そんな嫌だったか? 悪い、俺の巻き添えで」
「え、いや別にそれはもういいって。ちょっと、あの、昔お前と話したこと思い出して」
 こいつ勘がよすぎてさあ……時々、もしかしてオレがこいつのこと好きだってこともとっくにバレてるんじゃねえのとすら思う。だって気付いたこと全部聞いてくるわけじゃないでしょ。こいつの中で当然取捨選択はされてるわけで、今回のことは聞いた方がいいとこいつが判断した。じゃあ、聞かない方がいいって判断したことは……一体どれだけあるんだろう。
「? 何の話だよ」
「あー……高槻の性癖はノーマルだなって話」
「性癖……?」
「ナース服に萌えるとかないの?」
「もえ……? 燃えるのか?」
 あっそこから説明しなきゃダメ? イントネーションから察するにバーニングの方想像してない? こいつ、サブカル方面は全然接点が無い。漫画もアニメもゲームも殆ど経験ないみたいだ。そりゃ、一番そういうの経験するはずの時期はさくらちゃんのお世話してたんだし当たり前か。
 因みにそういうのは奥がめちゃくちゃ詳しい。オレもたまに漫画を借りることがある。意外なことに津軽も漫画は読むみたいだ。ゲームは酔うと言ってしないけど。そもそもテレビがついていることがあまりないお家らしい。
「……高槻はさー、もし恋人がいたとして、自分のことたくさん考えてほしいって思わないの?」
 萌えの話はまた今度にしよう。流石に公道でセックスなんて単語を口にするのは憚られたのでこんな言い方をすると、高槻はあっさり「別に」と答えた。
「なんで? 寂しくならない?」
「いや……元気でそこにいてくれるだけでいいし。俺のこと考えてほしいとか、高望みな感じがする」
 高望みって。そんなわけないだろ。例えばお前が誰かを大事にしたぶんだけ気持ちが返ってきてほしいと思うのは高望みなのか?
「っつーかそもそも、俺だってさくらの世話を最優先してたからあんまり相手のことちゃんと考えられてなかったと思うし……」
「じゃあ……今は」
「今は……なんだろうな。俺はきっと、俺が誰かのために何かすることを、その誰かが受け入れてくれるならそれだけでいいんだと思う」
 別に俺が相手に何かを「してあげてる」んじゃなくて、相手が俺に何かを「させてくれてる」んだろうなって思う。高槻はそんな風に続けた。自分のために頑張るのってめちゃくちゃ大変だよな、ともそいつは言った。
 それは……そんな、そんなことお前が思ってるって知ったら、お前の恋人は悲しむんじゃないの? だって高槻のこの言い方だと、相手が高槻のこと好きだろうが何だろうが関係無いって感じに聞こえる。例えばお前のことが大好きで、お前が何かしてくれるのを本気で喜んでくれる人と、お前のことは特別好きでもないけど利用してやろうって、お前が何かしてくれることについて考えてる人と、お前の中では同じように「受け入れてくれる人」なの?
「そ……そんなのやだ」
「ん? っつーかなんで突然こんな話になってんだよ」
「それはオレの一身上の都合だけどさあ……ううー、お前ちょっとどころじゃなく変だよね。好かれたいって思わない?」
「お前には割と好かれてると思ってんだけど。俺の勘違い?」
 はぐらかすんじゃねー! でもオレはちょろいので「仰るとおりですけどぉ……」とめちゃくちゃ不満げながらも声をあげてしまう。なんだよその声、と笑われてしまった。オレ、身長のわりに声は低めだからよく驚かれるんだよね。
 それにしてもまさかこんな話になるとは思わなかった。またひとつ、高槻のちょっといびつな価値観を知ってしまった。
 オレは、好きな人にはなるべく好かれたいよ。無償で尽くし続けるなんてできない。
 うーん。高槻が自分のことをちゃんと大切にできるようになるまで、まだまだかかりそうだ。……持久戦になるなあ、これ。

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