羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 こんな屈辱、中学最後の林間学校のキャンプファイヤーで「女子が足りないから……あんた一番背低いからごめんね……」とフォークダンスを女子の列で踊らされたとき以来だ。あのときは、「お前なんでそっちにいんの?」と高槻に言われて「知らねえよ!」なんて八つ当たりしてしまった。それなのに高槻は「あー……察した。大変だったな」と優しくしてくれて、もうずっとお前が一緒に踊ってくれたらいいのに……って言いそうになったのも懐かしい。何が悲しくて男と無差別にお手手繋いで踊らなきゃならないんだ?
「お前今身長いくつ?」
「百六十五だけど? 文句ある?」
「ねえよ……なんでそんな喧嘩腰なんだよ……」
 じゃあ十五センチ差くらいか、と呟く高槻は、中学でほぼ身長が伸びきったみたいで「もうちょいで成長止まりそう」なんて安心したように言っていた。いいよね身長百八十ある奴は……その目線から見えるのはどんな景色なんでしょうねえ……。
「女子が、『八代の服のサイズって女子のMでいいの?』って言ってた」
「容赦ねえな!? 人のコンプレックスをよくもまあそんな抉れるよね……」
 高槻はちょっと悩むような顔をして、「お前、これから背伸びると思う」と言った。なに、慰めてくれてんの? 優しいね。でも今はその優しさが痛い……。
「ごめんね気を遣わせて……ごめんねいつまで経っても身長百七十超えなくて……」
「別にそんなんじゃねえって。マジで思ってるから。なんなら賭けてもいい」
「へー、何賭けてくれんの?」
 軽い気持ちで聞いたのに、「なんでもする。俺にできることなら」と返ってきてびびった。なんでもって。お前のできる限りの「なんでも」ってめちゃくちゃ範囲広そうだな。
 オレにとって魅力的になってきた賭けの内容にちょっとだけ乗り気になった。詳しく話を聞きましょうと姿勢を正して続きを促す。
「期限は卒業までな」
「長いなー。え、卒業までにオレの身長が百七十に達してたらお前の勝ちなの?」
 高槻は笑って、「それじゃ俺に有利すぎるだろ」と言った。
「卒業までにお前が俺の身長超したら、俺の勝ち」
「は――はあ? 何言ってんの、お前勝つ気ある? 大丈夫?」
 イラッとするのを通り越して呆れてしまった。高槻だってまだ微々たるものではあるけど身長伸びてるのに、オレが追い抜かす余地なんてなくない? ふてくされつつ言うと、不思議なことに高槻は自信満々の表情で「俺、今までこういう二択問題で外したことねえよ」と微笑む。
 すげーな。オレ、二者択一を勘で当てられたためしが無いのに。
 なんとなく高槻だったら本当に、この冗談みたいな賭けに勝ってしまう気がしてどきどきする。オレの身長がもし百八十以上になるなら奇跡みたいに嬉しいだろうし、そうじゃなくても高槻がなんでも言うこと聞いてくれる。あれっ、これオレにデメリット無いな。高槻にメリットが無い気もする。
「マジでお前を超したら万歳して喜ぶけど……オレも、もし負けたら高槻の言うことなんでも聞く」
「別にいいって。俺が勝手に言ってるだけだし」
「でもそうでもしないとお前にメリットなくない?」
 ちょっと食い下がってみたら、メリットはあると言われて思わず首を傾げてしまう。なんだろ、こいつのメリット。
 十秒考えて分からなかったのでギブアップ。素直に説明を求めたら、高槻はなんでもない調子でこう言った。
「お前が元気になるだろ」
 悪戯が成功したときみたいな、オレの反応が嬉しいみたいな笑顔を向けられて心臓がぎゅうっとなった。なんでこいつは、なんでこの男は、こんなにも最高なんだろうね。高槻って人の機嫌の良し悪しとか心の機微に敏感だから、オレが落ち込み半分やさぐれ半分なのを察して元気付けてくれたんだろう。
 というかオレが元気になるのがお前にとってメリットになるのかよ。うぬぼれるぞ。
「元気になった……ありがと」
 嬉しい。いくら高槻が気遣い屋だとは言っても、オレ以外にはここまでしてくれないと思う。得なポジションにいるよなあとしみじみ感じた。
 ここまでしてもらったからには前向きなことを言いたくて、思いついたのは目前に控えた夏休みに関することだ。
「あ、そうだ。せっかくだから夏休みどっか行こうよ。文化祭準備出なくていいし」
 オレは割と切り替えが早い方なので、文化祭準備が免除された分、この長い夏休みをせいぜい有効活用してやろうと心に決めてそんな風に言った。風紀委員もそこまで仕事立て込まないと思うし、いっぱい遊べるよ。
「どこ行くんだ?」
「どこがいっかなあ……あ、お祭り行こうお祭り。でかい花火見たい」
「お前それ俺とでいいのかよ、普通女と行くだろ」
 オレはお前と行きたいんだよ。ごめんね普通じゃなくて。高槻の言葉ひとつで揺らぐ自分がいやに繊細に思えて、ちょっと落ち込む。さっきは高槻の言葉であんなに嬉しくなったのにね。
 高槻はオレが僅かに落ち込んだのが分かっちゃったみたいだ。「悪い、お前と一緒に行きたくねえって意味じゃないから」とオレに優しく囁いた。フォローが早いな。
「ねえ、高槻は? お前は何かしたいこと無いの? 行きたいとことか。オレどこでも付き合うよ」
「あー、ちょっとすぐには思いつかねえかも。さくらの墓参りは行くんだけど……何か考えとく」
 そうだ、一回忌だ。オレもお花とか持って行きたいなあ。っていうか初盆じゃない? こういうときの花ってセオリー決まってるんだろうけど、さくらちゃんだって女の子なんだから菊とかよりひまわりのが喜ぶんじゃないかなって思っちゃうよ。あとはなんだろ、この季節だと……うーん、アジサイとか朝顔とかしか思いつかない。
「さくらちゃんってどんな花が好きなの?」
「……桜、と、コスモス」
「ああ、名前の通り」
「うん」
 コスモス、秋の桜って書くもんね。ちょっと時期早いけど探してみよう。
「……悪い、遊ぶ話してたのに辛気臭くて」
「え、別に全然! ねえオレもさくらちゃんに花持ってっていい? やっぱこういうのって家族だけとかじゃなきゃダメかな」
 高槻は、「そんなことない。会いに来てくれたら嬉しい」と言って笑ってくれた。


 次の日学校に行ったら、オレが女装して高槻と一緒にベストカップルコンテストに出るという話がクラス中へ広まっていて早速帰りたくなった。なんでお前が出ることになってんだよとクラスの男子に笑われた。オレが知りたいよそんなの。
 高槻があの子とペアになるのを渋ったから……とクラスで一番かわいい女子の話をしてみると、「あいつ何様! おれだったら土下座してでも一緒に出てもらうし! っつーか写真欲しいわー」というようなことを口々に叫んでいた。やばい、高槻の敵を増やした予感がする。
 心の中で高槻に謝っていると、とんとんと肩を叩かれる。振り返ってみればそこにいたのは津軽だった。
「八代、なんだか楽しそうなことをしているね」
「ああ津軽……楽しそうに見える? 代わろうか?」
 津軽はオレの無茶振りに「いや、それは遠慮させていただくけれど……」と困ったように笑う。
「きっとおまえが出るのが一番角が立たないと思うよ。女子たちが、高槻の隣に並ぶのは気後れすると言っていた。視線が痛い、とも」
「そういうもんかなあ。オレみたいなのが女装ってなんかガチっぽくて引かない……? 笑いどころが何も無いじゃん」
 全然似合ってないとかならまだウケ狙いできるけど、オレだと半端に似合っちゃいそうだから嫌なんだよな。リアクションに困る、と言えばいいだろうか。
 津軽はそんなオレに、「けれど、何かいいことがあったという顔に見えたよ」と鋭いことを言った。オレはついつい昨日高槻と交わした賭けの内容について津軽に話をしてしまう。津軽はオレの話を最後まで興味深げに聞いてくれて、そして気安げに呟いた。
「その賭け、おれも乗ろう」
「えっ?」
「おまえの背が伸びるほうに賭けるよ、八代」
 あいつほどではないけれど、おれの勘もなかなか当たるからね。そう言って津軽は笑う。
 みんなやけにオレの将来性に期待してくれるなと嬉し恥ずかしだ。もしかしてマジでこれから成長期がやってくるんじゃないか? という気持ちにさせてくれるのでこいつらの言葉って強いと思う。ありがとうございます。
 奥はお前がしてって言ったら女装してくれるらしいよ、とついでに言おうかと思ったけど、奥に「余計なこと言うな」と怒られそうだったから大人しく口をつぐんだ。奥ってほんと、不思議なくらい津軽と仲いいよね。陸上部と図書委員で、全然接点なさそうなのに。
 ――――実際、まったく期待してなかったわけじゃない。流石に百八十とは言わずとも、百七十くらいは、もしかしたら百七十半ばくらいは……なんて思ってた。
 でもまさか、文化祭直後からマジで急激に背が伸び始めて成長痛で泣く羽目になるとはまったくの予想外だ。母親も姉三人も全員百七十オーバーな時点である程度察せよって話かもしれないんだけど、オレとしては日々ぐんぐん伸びていく背にもはや恐れおののいていて、関節が痛すぎてしばらく部活を休んだくらいだった。
 ちなみに制服は買い替えずに済んだ。母親が、「絶対伸びるから! 母さんの身長を信じて!」と採寸時にかなり大きめを注文したから。姉ちゃんは口々に、「初詣のたびにアンタの成長願っててよかったわ」と言って笑ってた。流石に大袈裟だけど、たとえ冗談でもなんだか嬉しかった。
 最終的に、オレの身長は伸びに伸びて本当に高槻すら抜かしてしまう。それはたった三ミリだったけれど、オレにとってはめちゃくちゃ価値のある三ミリだ。背が伸び始めてから、成長痛はつらかったけどそれはそれとしておおはしゃぎでクラスのみんなにも「やっとか! よかったなー!」とか「おめでとう!」とかしまいには担任にまで「めでたいなあ! ジュース飲むか?」って言われたりしてきた。
 背が伸びてよかったと思うこと。委員会で棚の上の資料を取るのに踏み台がいらなくなったこと。人ごみの中でも見通しがよくなったこと。朝礼で並ぶ順番が後ろの方になって、先生から目立たなくなったこと。家族と並んでも違和感がなくなったこと。あとは背が高いってだけでカッコイイとか言われたり、見栄えがよくなったり。
 でも一番は、卒業式が終わってから保健室で高槻と身長を測ったときに、あいつが笑って「俺の勝ち」と言ってくれたこと。
 オレの負けでいい。きっと一生勝てない。それでもいい。
 そんな風に心から思うのは、実に一年半も後のことだ。今のオレはただ、自分の成長期をどきどきしながら待っていた。

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