羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 最近とってもいい感じ。俺だけじゃなくってみんな。暁人は元々気分の浮き沈みが激しくて分かりやすいタイプだったけど、宏隆もなんだか機嫌がよさそうなのが分かる。いいことあったのかな? 暁人ってあんまり人に対して我慢したくないタイプで色々と言いすぎちゃうとこがあるから心配だったんだけど、宏隆とはうまくいっているみたいだ。それだけじゃなくて、ただ受け入れるだけじゃなくて、宏隆はあんまり暁人が言い過ぎてるときにはやんわり止めてくれる。それはちょっと前までは俺が請け負っていたことだけれど、暁人の隣に宏隆がいてくれてよかったなって思う。あの二人は相性がぴったりだ。
 万里も、なんだかちょっと雰囲気が変わった。元々優しかったけど、ふと道端に紅葉した落ち葉を見つけたときとか、早朝の朝練の後の空が雲ひとつ無い青空だったときとか、とてもやわらかい表情をする。誰かを思い出してるんじゃないかな、って顔だ。
「お前最近機嫌よさそう」
「ほんと? へへ、やっぱ周りのひとたちが嬉しそうだとつられて明るくなるよね」
 放課後、俺の部活の時間が終わるまで待っていてくれた佑護。二十分くらいしか待ってないから、と笑いかけてくれた。嬉しい。
 隣をゆっくり歩く佑護にこちらも笑いかけると、ちょっと恥ずかしそうに視線をさげてしまった。けれどすぐに顔をあげて目元を和らげてくれる。最近の俺たちはこんな感じ。特に問題も無く穏やか。健全なお付き合いだ。
 俺は、ちょっと前にさんざん暁人から「ロマンチストすぎる」だの何だの言われたのを思い出して僅かに恥ずかしくなる。そりゃあね、俺はそういう経験は無いよ。でもそこまで言うことなくない!? 好きなひととのきらめく青春を期待して何がいけないんだと思う。まあ確かに、佑護にもっと触れたりしてみたい……とも、思うけど。
 佑護とキスをしたあの日以来、距離を詰めたり身体に触ったりしたらびくっとされるようになってしまった。完全に怖がらせちゃったよなあ。あれはほんと、自分をコントロールできなかった俺が悪いよ。佑護には申し訳ないことをした。
 でも、佑護ってあんまり触られるの好きじゃないのかな? 純愛希望? お手紙のやりとりから始めたい派だったり? 昔の暁人みたく爛れたのは俺もちょっと遠慮したいけど、もっとくっついたり触ったりしたいなって思ってるのは俺だけなのかな。なんとなく、それを聞いてもしまた少しでも怖がらせてしまったらと思うと踏み出せなかった。
「……佑護はさー」
「ん?」
「佑護って交換日記とかしたい?」
「は? 俺が? 誰と? 何言ってんだお前」
「じゃあ俺は佑護の観察日記とかつけようかなあ……」
「おい、なんか話通じてなくねえ? お前時々言ってることよく分かんねえ……」
 ○月×日、今日はかなり寒くて佑護はピアス冷たくないのかなって心配しました。佑護の手の指先がひんやりしてたから、あたためてあげたいです。カイロを後であげようと思います。佑護の手はもう随分皮膚がやわらかくなっています。――みたいな? うーん、俺文才無い。
 クエスチョンマークをたくさん浮かべて困った顔をしている佑護はとってもかわいかったけど、あんまり俺の妄想に付き合わせるわけにもいかない。俺、なんでかよく分からないんだけど佑護の困り顔が好きみたいなんだよね。途方にくれたような、どうしよう、みたいなおろおろした表情を見せられるとなんだか胃の辺りがざわざわする。
「しろ――あー、大牙? いつまでトリップしてんだ。説明は無し?」
「あ、ごめんね。佑護がかわいいなって思って見てた」
 佑護は「マジで何言ってんだ……」と小さく呟いてますます混乱しているらしい。あらら、こんがらがっちゃったね。ごめん、よく分からないこと言って。
 謝ってほんとにカイロあげようかな、と思っていると、前を見ていた佑護の表情がふと強張った。ゆっくりした歩調が止まってしまう。俺は慌てて視線の先を向く。そこにいたのは、暁人とは違う意味でちょっとガラの悪そうな男子生徒が数名。
 そいつらは、うっすらと笑顔を貼り付けてこんなことを言った。
「――茅ヶ崎じゃん。うわあ、弓道部に逃げたってマジだったんだ」
 あ、駄目だ。こいつらは佑護に嫌な思いをさせる奴らだ。瞬間的にそう判断して、佑護の表情をもう一度確認すると――そこにあったのは、ふっつりと感情を消した無表情だった。視線の冷たさにどきりとする。どうしよう。どうしよう、今きっと佑護は傷付いている。
 佑護はちょっと黙って、やがて「……悪い、待たせて。早く行こう」と俺に言った。声も表情も硬い。でも、俺に心配させまいとしてくれているんだろう、ということはよく分かった。
 その気遣いがなんだか悔しくて、なるべく早くここから離れようと歩く方向を変える。すると、こちらが何も言い返さなかったのが気に食わないのかそいつらはわざわざ小走りに駆け寄ってくる。「おい、何無視してんだよ」そいつらの中の一人が佑護の肩を掴んだ瞬間、俺はよっぽど文句を言ってやろうかと思った。けれど佑護自身に止められた。視線で制されて、せめてと思いそいつらを睨んでみる。……こういうのやったことないけど、うまくできてるかな?
 佑護はとても冷静だった。冷えていた。「何か用か。用が無いならもう行く」と端的に言葉を発する。
「はは、元部活仲間に挨拶も無し? そんなに今の部活居心地いいわけ? まあ弓道部ってヌルそうだもんな」
「……俺が今何やってようがお前らには関係ねえだろ」
「確かに! 俺らもドロップアウト済みの奴になんか興味ねえよ」
 でも散々ボコられたのは覚えてんだよね、とそいつら――おそらくボクシング部の奴らは口々に言った。これは……これは、あの、いわゆるお礼参りみたいな……? 不安になって佑護を見上げる。すると意外なことに、佑護はここで初めてそいつらに笑った。皮肉げに、冷めた口調のままで。
「――怪我した俺にすら手も足も出なかったくせに」
 まるで歌うような声音だった。薄々分かってたけど、佑護はこいつらの中の誰かに怪我させられたんだろう。そして、これまで学校の皆に避けられてきた原因となった喧嘩を、こいつらとしたのだ。
 佑護の言葉に大多数は不愉快そうな表情をしたけれど、リーダー格らしい奴だけはにやにや笑っていた。
「知ってるぜ。お前、今問題起こしたら退部なんだろ? どんだけムカついたって殴れねえよなァ」
「……別に。俺はもうそういうことはする気ねえし」
「お前バカ? お前が喧嘩買わなくても、俺らが一方的にお前のことボコるだけでも、十分『問題』だろ」
 まだ膝痛い? ごめんね? と畳み掛けられた言葉に佑護は一瞬だけ眉を顰めた。俺は思わず佑護の腕を取る。「ねえ、こんな奴ら相手にしなくていいよ。帰ろう」一刻も早く佑護をこいつらから引き離したかったんだけど、どうやらそれが気に障ったらしい。一番近くにいた奴から、「しゃしゃってくんなよ剣道部」と肩の辺りを押される。
 俺が口を開くよりも、佑護が反応する方が早かった。その反射神経は、まだまだ現役と言って差し支えないように思える。佑護は、俺のことを押してきた奴の胸倉を掴み上げてそのまま突き飛ばした。一瞬よろめいたそいつの表情に、確実に恐怖の色が走ったのを俺はしっかりと見てしまった。
「……なんだよ、結局何も変わってねえじゃん。お前どうせすぐまた喧嘩するよ。今いるところも追い出される。お前はそういう奴だ」
「……なんとでも言え」
「は? スカしてんじゃねーっつの。どうせ横のそいつだって、今の部活の奴らだって、お前のことが怖くてダチのフリしてるだけだろ」
 それでもまだ部活にしがみつきたいとかマジで憐れ、と、リーダーらしき男が言い切るのを待たずに俺の口は勝手に動いていた。声を被せるように、「うるさいバカっ! 好き勝手言うな!」と叫ぶ。
「お前らほんと性格悪い! お前らみたいなの絶対友達になりたくない! どっか行け! バカ!!」
 自分で言ってて小学生の悪口みたいだと思ったんだけど、バシッときまる文句が思い浮かばない。相手はぽかんとしてるし、佑護は「なっ、何言ってんだ」と何故か焦ってるし、もうめちゃくちゃだ。
「俺は佑護を怖いなんて思ったことないし! 外野が勝手に決め付けるな!」
 とりあえず一番言うべきことだけどうにか言って、俺は佑護の腕を掴み無理やり引く。ごめんね、ちょっとだけ一緒に走って。これ以上佑護を悪意に晒したくない。背後から「ウゼェ死ね」とか「空気読めよ」とか聞こえてきた気がするけど無視だ無視。
 死ねとか気軽に言える奴、どうせ大したことない。
 そんなこと言わなくたって、人は死ぬときは簡単に死ぬのに。
「っな、んで、お前」
「なに?」
「なんであんなこと、言ったんだ。お前が怒ることなんて何も無いだろ……」
 なんでって、好きなひとが傷つけられたら怒るよ。友達バカにされたら怒るよ。当たり前だろ。
 手を引かれるままに俺のあとをついてくる佑護は、本気で困惑しているみたいだった。ほんとに分からない? 俺が怒った理由、思い当たらないの?
 佑護は気まずそうに俯いて小さく言う。
「だって……お前には、関係ないことだろ。俺はこういうことにお前を巻き込みたくない……」
 たぶん、佑護は俺を心配してくれたんだと思う。俺がああいう奴らの標的になったら嫌だと思ってくれたんだと思う。でも、それでも、「お前には関係ない」と言われて俺は傷付いた。そんな風に思ってほしくなかった。佑護が大変な思いをしているならどんどん巻き込んでほしかったし頼ってほしかったのに。
「……俺、そんなに頼りない? 佑護にとって俺は何も相談できない相手なの?」
「ちがっ……そういう意味で言ったんじゃねえよ! なんでそんな悪くとるんだ、俺はただ」
「分かってるよ! でも俺は佑護がそうやって、なんでも一人で解決しようとするのがすごく嫌だ!」
 まるで拒絶されてるみたいに感じるんだよ。俺は佑護の中学時代を知らない。きっと佑護は知られたくないんだろう。でも俺、知りたいって思ってるんだよ。
 さっきのを見て改めて思った。佑護はやっぱりまだ完全に吹っ切れたわけじゃないんだ。心にひっかかりがあるんだ。佑護はそのひっかかりを俺に隠そうとする。俺はそれが悲しくて悔しい。
「……悪い、怒鳴って。でも、ちょっとまだ頭冷えねえから、今日は帰る」
 呼び止めることなんてできなかった。だって本当に悲しそうな顔で謝るから。俺も今は冷静じゃない。どうしても、「ごめん」と言いたくなかった。
 いつもより心もち速足で歩く佑護の背中が見えなくなって、俺は深く息を吐き出した。「佑護のバカ……」うー、悪口言っちゃった。やだなあ。
 とぼとぼと歩きだす。風が冷たい。
 これ、喧嘩って言うのかなあ。どうだろ。たぶんどっちが悪いって話じゃないと思う。しいて言うならあのボクシング部の奴らが悪いよ……。この学校の部活でも一、二を争うくらい治安悪いみたいだしな、あそこ。
 なんだかちょっかいかけられるのこれっきりじゃない気がするし、念のため暁人にでも相談してみようかな……と、俺は暁人の番号を履歴から呼び出した。

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