羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「うわっスゲームカつくそいつら! ぶっ飛ばしてえー! でも格闘技経験者を複数相手すんのはムリ!」
 ソファに思いっきり倒れ込んで、暁人はそんなことを言った。いやいや、別にやっつけてほしいわけじゃないからね? 宏隆と一緒に映画のDVDを観ていたらしい暁人は、俺が深刻そうな顔をしていたからなのかすぐさま「悪い、映画中断していい?」と宏隆に断って話を聞いてくれた。
「っつーかお前もお節介すぎ。茅ヶ崎って元々そんな構われたり世話焼かれたりすんの得意なタイプじゃなくね? あいつのボクシング部時代のこととかお前はマジで関係ねーじゃん。干渉しすぎはウザいだろ」
 そんな関係ない関係ないって言わなくてもいいでしょ……。確かにお節介だったかな。余計なお世話って思われてるかも。暁人のこういうはっきりした物言いは、いつもなら助かるんだけど落ち込んでるときは刺さる。
「由良、俺だって由良が何か大変そうだったら気になるし、ひとりで抱え込もうとしてたらかなしいよ。……由良はそういうの、いや?」
 ああ、宏隆って優しいな。暁人もそんな宏隆の言葉を受けて、「悪い、ウザいは言いすぎたわ」と謝ってくる。いいんだよ。暁人、他人に自分のことごちゃごちゃ言われるの嫌いだもんね。でも暁人は、ご飯はしっかり食べなよとか部屋を少しは片付けようよとか、そういう俺の言葉に怒ったことはない。ちゃんと分かってくれてるんだ。
「でも今のお前は空回ってると思う。この話だって、茅ヶ崎はあんまり俺らに知られたくなかったんじゃねーの」
「う、やっぱりそうだよね……」
「そうだろ。最悪、言うにしても万里じゃね? あいつ弓道部だし、現状一番巻き込まれる確率高いと思う」
 やばい、全然思いつかなかった。今日はたまたま俺が一緒だったけど、時間が合うことなんてあんまり無いんだから普段は万里といることの方が多い。しかもあの二人同じクラスだし。
「スポクラだろ? そのボクシング部。クラスが離れてるのはラッキーだったな。……でも学校で揉め事起こすかぁ? あいつらだって部活停止は困るだろうし」
 確かに、特待生とかがもしいたら活動できなくなったらかなり困るよね。スポーツの世界は暴力沙汰が公になると厳しいのだ。公にならないうちは、割とゆるいんだけど……うん。
「まあでも万里だったら大丈夫か。あいつたぶんこういうのは一通り対応できる」
「万里くんってそんな喧嘩するようなタイプだっけ?」
「まさか。経験ねーよ絶対。でも殴られそうになっても目ぇ閉じねーんだよなあいつ……まああれだ、足速いしいざとなったら逃げればいいっつー意味。ああいうお上品な奴が殴り合いの喧嘩とか、ちょっと見てみたくはあるけど」
 兄貴がギャップに殺されそうだからそういう事態にはなってほしくねーな、と冗談めかして言う暁人。なんで今ゆきちゃんの話したの? 宏隆は困ったように笑ってるし、不思議だ。
「とりあえずあんま一人になるなよくらいは言っとけば? 人目のあるとこで騒ぎ起こしたりは流石にしねーよ」
「ん……そうだね。そうする」
「ねえ、ゆうくんきっと城里くんに迷惑かけちゃったなってしょんぼりしてるよ。連絡してあげて」
「あはは……ありがとう。全然そんな、迷惑なんかじゃないのにね」
 その場で文面を考える。暁人が横から、「いざとなったらお前が蹴散らしてやればいいんじゃねーの? 竹刀で」なんてとんでもないことを言ってきた。
「前から思ってたけど暁人は竹刀を万能アイテムか何かと勘違いしてない……?」
「長モノあるってだけで心強いよなー。リーチあると有利だし」
「試合形式の剣道で喧嘩に対応できるわけないでしょ……というか、防具もつけてないような生身の頭に本気で打ち込んだら怪我じゃすまないよ。危ないよ」
「いや俺は脳天に竹刀ブチ込むところまでは想定してねーけど……? お前こえーよ」
 そんなこと言ったって試合じゃ実際に面に打ち込むんだから仕方ないだろ。元を辿れば剣術なんてものは人を殺すことに使ってたんだから、適当に扱うと本当に危ない。まあこればっかりは大体の対人スポーツに通じるだろうけど。別に武器が無くたって、殴って打ち所が悪ければ死ぬし当たり所が悪ければ死ぬ。スポーツ中に亡くなる人、少なくないんだよ。力っていうのは使い方に気をつけなきゃいけない。
 だからこそ俺は、加減のできない奴が怖い。死ねとか殺すとか簡単に言える奴が怖い。こういう考え方って古いのかな。俺は母親が看護師で、病院に行く機会が多くて、病室の入り口に差し込んである患者のネームプレートが先週まではあったのに今日は無いとか、いつの間にか個室が空いているとか、霊安室の方向に向かう泣きはらした人たちとか、そういうのを人よりたくさん見てきたから余計にそう思うのかもしれない。
 佑護にメールを送信し終える。なるべく押し付けがましくならないように、何かあったら教えてほしい、俺にできることをさせてほしい、というような内容にした。返信くるかなあ。
「……俺、今日は一人で夕飯食べる……」
「おー、頭冷やせよ」
 今日も親は夜勤だ。ちょっと落ち着いて考えたい。暁人はこういうとき放っておいてくれるから有難いな。
 二人にお礼を言って由良家をあとにした。夕飯とは言っても自分で作る気はしないし、コンビニも味気ない。けい兄ちゃんのお店にでも行こうかな。俺は、他にお客さんがいないといいな……なんてちょっと失礼なことを思いつつバイト先へと足を向けた。


 ラストオーダーぎりぎりの時間に店のドアベルを鳴らすと、どうやらお客さんが一気に帰るところだったらしい。六人席のテーブルと二人席のテーブルにはまだ食器が残っていた。会計をしている理玖さん――このお店で唯一の女性店員さんを横目にカウンターの席につく。理玖さんは俺にお冷を出してくれてから食器を何回かに分けてキッチンへと持って行き、数分後には帰り支度を済ませて出てきた。
「大牙くんお疲れ様! 今日は普通に夕飯?」
「うん。理玖さんはもう帰りだよね、お疲れ様」
「ありがと。あとは店長に任せて帰るよ。じゃあね、また」
 ピンクブラウンの髪を揺らして、理玖さんは帰っていった。けい兄ちゃんはまだいるんだよね。片付け手伝った方がいいかな? そんなことを考えていると、「大牙! いるなら下の看板クローズにしてきてくれ」と扉の向こうから仰せつかった。お安い御用だよ。「はーい!」と返事をして、階段を下りて看板をひっくり返してからまた戻る。
「悪いな。っつーかお前今日一人か。他の奴らは?」
「いいってこのくらい。今日は俺だけだよ。ちょっと、誰かが作ったご飯食べたくなって……」
 けい兄ちゃんは無表情気味だったのをほんの少しだけ笑顔にして、「ケーキ食っていけば。今日で落とすやつあるから」とだけ言った。うーん、気分が落ち込んでるの見破られたかな。
 ひょんなことからこの店でバイトをしてるけど、なんかけい兄ちゃんって雇い主というか近所のお兄ちゃんって感じがする。年齢が結構近いからかな。バイト中は敬語を使うけど、けい兄ちゃんはそれも「なんか慣れねえ……」と微妙な表情をしていた。
 けい兄ちゃんに「おすすめお願いします」と夕飯を出してもらって、それがメニューに載ってないものだったからもしかすると料金受け取ってもらえないかもな……と危惧。ケーキのお金くらいは払わせてほしい。本当に。
「けい兄ちゃん夕飯は?」
「食った。お前ももうちょい早めの時間に食った方がいいんじゃねえの」
「はーい……けい兄ちゃんたまに親みたいなこと言うよね」
 そんな歳じゃねえよと言われてしまった。ごめんって。なんとなく、ここにいてほしいなと思ったのが通じたのかけい兄ちゃんは何をするでもなくカウンターの中に立っていた。「ねえ、座ったら? 立ちっぱなし大変だよ」と言うと少し考える素振りをしてエプロンを外し、俺の二つ隣の席に腰掛ける。……この距離感も謎だな。けい兄ちゃんってパーソナルスペースってやつが広いよね。
「けい兄ちゃんが通ってた高校って頭のいいとこだったんでしょ、喧嘩とか無くて平和そうだよね……」
 俺の突然すぎる発言にもけい兄ちゃんは動じることなく、「まあお前のとこほどじゃねえかもな、喧嘩」と端的に言った。だよねえ。俺らの学校って昔の方がもっと素行悪かったらしいし、けい兄ちゃんが高校くらいのときは余計に酷かったかも。
「……っつーかなんでお前が俺の通ってた高校知ってんだよ」
「え、八代さんと同じとこでしょ? 八代さんに俺らの学校の名前言ったら、『そこ知ってる! 文化祭で花火あがるとこでしょ、いいなあー』って言われた」
 苦い顔だ。あまり気にしないことに決めたのか、八代さんのことには反応せずに「別に暴力沙汰が一度も無かったってわけじゃねえよ」と静かに言う。
「え、そうなの?」
「高校んとき一回だけ。馬鹿が馬鹿の代わりに馬鹿から喧嘩買って停学」
「な、なんにも分からない……」
 あまりに雑なその発言に思わず笑ってしまう。けい兄ちゃんはそんな俺の反応を窺うように、「……お前も喧嘩すんの?」と聞いてきた。
「しないよ。俺にはできないよ、きっと。怪我するのもさせるのも怖い」
 それが正常、と言ってけい兄ちゃんはちょっとだけ笑った。俺が皿を綺麗にしたのを見届けて立ち上がる。「チーズケーキとチョコレートケーキとフルーツタルトと、いちごショート」選べ、ってことかな。というか今日で落とすとか絶対嘘でしょ。優しい嘘だと思ったので特に指摘はせずに、「チョコレートケーキがいいな。ありがとう、けい兄ちゃん」とだけ言った。
 甘いものは好きだ。気持ちが上向きになる。
 ふわふわのスポンジにチョコレートクリームがたっぷりコーティングされているケーキを味わいながら、俺はまた思案する。佑護のこと。大切なひとのこと。
 タイミングよくスマホが震えた。ちょっと行儀が悪いけどフォークを置いて確認すると、やっぱり佑護。
『今日、先に帰ってごめん。俺が昔なげやりに生きてたせいでお前に迷惑かけるのが嫌だった。』
 そんな謝罪から始まる少し長めのメール。お前が俺のこと心配してくれたのはちゃんと分かってる、と書いてあって、そのことにほっとした。ちゃんと話がしたい、とも書いてあった。佑護は昔のことをすごく後悔してて、そのせいで周りに遠慮してしまうことが割とある。でもね、今の佑護を見たら、ちゃんと変わろうとしてるって、昔とは違うって分かるよ。伝わってほしいなと思う。
 やっぱり直接会って声が聞きたいな。明日までの我慢だと思いスマホの画面を消した。
 ケーキまで皿を綺麗にして、どうにかけい兄ちゃんに千円だけ受け取ってもらって店を出た。
「……今度はそいつと来れば」
 帰り際、そんなエスパーみたいなことを言われる。けい兄ちゃんは察しがいいし勘がいい。メールの相手が、一緒に食事するくらい仲のいいひとだって分かったってことだよね?
 佑護連れてきたらびっくりするかな。けい兄ちゃんも長身だけど、佑護はもっと高いよ。自分のことではないのにちょっと誇らしくなってしまうから不思議だ。
 つれてくるよ、と言ってばいばいと手を振る。けい兄ちゃんは階段の上から軽く手を振って、俺のことを見送ってくれた。一人で気持ちを落ち着けるつもりがやっぱり人に頼ってしまったけれど、早めに気力が持ち直したから結果オーライかな……と俺は目の前の一歩を強く踏み出したのだった。

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