羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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「ゆっ、夢オチ!?」
 目が覚めたときベッドに寝ていたので思わずそう叫んでしまった。けれど携帯を確認するとマリちゃんからメールが入っていて、その内容に顔が熱くなる。よかった、夢じゃない。
 リビングに出ると弟がソファに座ってテレビを観ていた。「はしゃぎすぎ」と文句を言われる。仰る通りで。
「暁人」
「なに」
「えっと……怒鳴ってごめん」
 暁人はふっと笑った。笑って、「いいよ。俺もごめん、嫌な言い方した」と俺のことを許してくれた。おかゆを作ると言ってキッチンに立つ暁人に、今は有難く甘えることにする。
 暁人の作ってくれたおかゆは、せっかちな暁人らしくおかゆというよりは雑炊で、なんならソーセージやらキャベツやらも一緒にボイルされていて、和風のポトフにご飯を突っ込んだみたいな仕上がりになっていた。美味い。
 丸一日何も食べていなかったこともありやけに美味く感じて、久々の食事に胃腸が喜んでいるのが分かる。暁人はおかゆの残りと、スーパーで買った冷凍食品をよりどりみどり電子レンジで解凍してそれを食べていた。
「万里から軽く話聞いた。おめでと」
「えっ!? えー、うー、あ、ありがとう……?」
「何唸ってんだ……っつーか照れんなキモい」
「ひどくない?」
 思わず照れるのも忘れて真顔で返事してしまった。暁人は白身魚のフライを、衣をこぼさないように慎重に口へと運ぶ。「お前、そんな風になんだね。知らなかった」そんな風? 意味が分からず首を傾げると、暁人はやはり机にこぼれ落ちてしまった衣を人差し指の腹で拾って言葉を続けた。
「俺さ、兄貴が女に酒ぶっかけられたりヒスられたり、あとはそういう女のこと着拒してさっさと切ったりしてんの見て、こういう奴が女に刺されて病院送りとかにされるんだろうなって思ってた」
「えっお前そんな風に思ってたの!?」
「だってお前、女のこと振ったとかいう話するときすげー冷めた目してたよ。マジでどーでもいいみたいな。いつもそうだったから、『嫌われるのが怖い』とかそーいうことちゃんと思えるんだってびっくりした」
 言葉に詰まる。こいつはこいつで女と遊ぶのが好きな奴だったけど、少なくとも別れ際は俺より随分とマシな付き合い方をしていたのを知っている。こいつは楽しいことが好きなのだ。たとえ関係が切れるときでもこいつなら俺より上手くやるだろう。俺はその辺り、そこまで上手くやり過ごそうという気がそもそも無かった。俺だって楽しいのは好きだけどそれ以上に干渉が嫌だった。
 改めて指摘されると気まずい。嫌われるのが怖いだなんて、確かに数年前の俺ならかけらも思わなかっただろう。
「怖いって思えるくらい好きなのすごいよ。お前があんな、俺にキレて怒鳴るとか……」
 咄嗟にまた謝罪の言葉が口から出かけたけれど、暁人の口元は楽しげに弧を描いていたので慌てて押しとどめる。代わりに、「お――お前は、どうなんだよ」と踏み込んでみた。まさか弟が男友達とそんなことになってるなんて思わなかったから、つい。
 暁人は少し考えるそぶりを見せて、静かに言う。「俺? 俺は……なんだろ。俺よりあいつのが怖がってる」
 俺は宏隆くんのことを思い出す。いつもやんわりと笑っていて、喋り方ものんびりしていて、暁人のちょっときつい物言いを和らげてくれたりする子だった。何を考えているのかあまり読めない、不思議な子。
「あいつが怖がってんのに俺まで不安そうにしてたらなんか嫌じゃん。それなら俺は、大丈夫だってあいつに言ってやりたい」
「お前……かっこいいこと言うね……」
「だっろ? まあ俺は俺に自信があるからね。そんな俺が好きになったんだから、あんまうじうじされててもムカつくんだよ」
 お前もさ、万里の選択をちゃんと信じてやれよ。そう言われて深く頷いた。だよね、マリちゃんは俺のことを好きって言ってくれたんだから……俺を選んでくれたんだから、怖がってばかりもいられない。
「あんな誠実で優しい奴がお前を選んだの、スゲーよな」
「それはマジでそう思う」
「……前に俺、万里に『お前みたいなのが案外年上の女ひっかける』って言ったことあるんだけど」
「おいそれ以上言わなくていいからな」
「女じゃなくておまけに俺の兄貴だった……」
「言わなくていいっつったろテメー!」
「っつーかお前はなんなの? ぶっちゃけた話ショタコンなの?」
「はあああ!? そんなんじゃねーよ! マリちゃんもう俺より背高いし、っつーか年下とか関係なく俺はあの子だけだから!」
 言い切って、とんでもなく恥ずかしい発言をしたことに暁人のぽかんとした表情を見てから気付いた俺は「も、もう風呂入って寝る、ごちそうさま」と慌てて食器を片手に立ち上がる。
「俺洗っとくからさっさと寝ろよ! ごちそーさま!」
 笑い混じりに後ろから声をかけられて、おいそのごちそうさまはどういう意味だと問い質したくなる気持ちを必死で落ち着けた。くそ、真面目に答えてしまった。
 風呂の前に一旦自分の部屋に戻って、マリちゃんに返信を打つ。本当は明日すぐにでも会いたい。でもきっとマリちゃんは、明日の俺がまた本調子じゃなかったら悲しそうな顔をするだろう。今は体を治すこと優先だ。今週の日曜か、間に合わなければ来週。そう打ち込む。そして、ちょっと悩んだけれど最後に改行を入れて一言。
 俺もだいすき。

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