羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

INFO / MAIN / MEMO / CLAP


 普通の「好き」と、恋愛感情としての「好き」は何が違うのだろう。
 家族も好きだし友達も好きだ。みんながどうやって特別な「好き」を選んでいるのか、おれにはまだちゃんと分かりそうにない。セツさんは男の人だから、余計に境界線が曖昧だ。とても親しい大切なひとと、好きなひとってどう違う?
 ちょっと先走った感じがするなあ。そう思ったおれは、まずその「特別」候補のセツさんと一緒にいるときの自分の気持ちをじっくり見つめてみることにした。これまではなんとなく、楽しいしうきうきする……くらいに感じていたこと。意味付けとか理由付けとか、そういうものができればいいかなと思って。
 結果的にこれはあまりうまくいかなくて、頭の中でどうにか言語化しようとしたせいかこんがらがってしまった。兄さんのようには上手に言葉を遣えない。おれって昔、そういう意味での好きな人っていたんだっけ? 地元の幼稚園や小学校に通っていた頃のことは意図的に早く忘れようとしていたからいまいち記憶が薄い。ということはもしかするとこれが初恋ということになるかもしれなくて、初めてのことなら上手に対応できなくてもまあ仕方ないかな、と勇気付けられる。ゆっくりうまくなっていけばいいのだ。
 とはいえここで考えることをやめてしまうのもなんなので、おれは別の手段を使うことにした。
 友達に聞いてみよう。同い年だし、アンケートって大事だ。

「セックスしたいと思ったら、じゃね?」
 真っ先に即答した暁人に、大牙が「もうちょっとなんか……言い方があるでしょ……」ともにょもにょ口を動かしている。
 これは、おれが『普通の好きと恋愛感情の好きって何が違うと思う? 自分がどういう風に思ったとき特別だなって分かる?』と聞いた結果だ。予想以上に直接的な言葉が返ってきて、身構えてはいたものの結構な衝撃がきた。
「いや、だってほら、スポーツの試合とかで勝ったらよく抱き合ったりしてるし、海外じゃ挨拶でキスするんだろ? だったらもう残ってるのセックスしかねーじゃん」
「えええ……夢が無い」
「じゃあお前はどうなんだよ、言ってみろよ」
「うーん……? あ、友達のままじゃできないこと、したい……って思ったとき?」
「セックスじゃん」
「もー! お前のそういうとこほんっとやだ!」
 幼馴染が二人で盛り上がっているので佑護と宏隆にも話を振ってみる。「俺はねえ……なんだろ、一緒にいるだけでじわじわーってあったかくなって、しあわせだなーって嬉しくなるよ。ちょっと苦しくなったりもするけどね」宏隆の意見ってなんだか大人だ。というか、これはきっと経験談なんだろうな。
「ゆうくんは?」
「え……っと、……お前らの言ってること全部少しずつ分かる」
「ふむふむ、ゆうくん先生は心と体どちらの繋がりも重視してるんだね」
「なんだその言い方……」
 呆れたような表情をしつつも否定はしなかった。こうして聞いてみるとみんなそれぞれ価値観が違っていて面白い。やっぱり人の意見を取り入れるのって大事だな。後方では未だヒートアップし続けている幼馴染二人が、賑やかに何事か言い合っていた。
「っつーかお前が童貞なせいでんなメルヘンチックな考え方しかできねーんだろ」
「そこ関係なくない!? 誰も彼も暁人みたいに爛れてると思わないでほしい……」
「はー!? 昔はアレだったけど今は比較的清らかな暁人くんだっつーの!」
 そもそもこの歳ならセックスなんてそこまで珍しくない、と言い放つ暁人に少し驚く。そういうものなのか。
「茅ヶ崎とか普通に女寄ってくるだろ? そういやクラスの女子がさー、お前最近話しやすくなったって褒めてた」
 突如話を振られた佑護は悪戯を見咎められたみたいな顔でびくっと肩を跳ねさせていて、「いや別に俺は何も……」なんて、悪いことをしたわけでもないのに小さな声で呟く。
「由良、ゆうくんいじめちゃだめだよ」
「うげえ、褒めてんじゃん。清水はなんなの、茅ヶ崎に対して妙に過保護じゃね?」
「過保護とか初めて言われちゃった。ほら、そういうのはほんとうにすきなひとだけでいいんだと思うよ、きっと」
「ふーん。お前も?」
「うん、俺も由良だけ」
「お前のそーいうとこはぐっとくるから今後は上手く使ってけよ」
 使う相手由良しかいないのに、と首を傾げる宏隆はやっぱり楽しそうで、こちらまで嬉しくなる。この二人の「好き」はちゃんと特別なのが分かる。無理に言葉で表そうとしなくても、特別だった。
「っつーかなんで突然哲学みてーなこと言い出したワケ? 俺、正直万里とは恋愛観合わねーだろうなと思ってるんだけど」
「いや、好きな友達と好きなひとの境目ってどこだろう? と思って……そんなに合わない?」
「ごちゃごちゃ面倒なこと考えてそーなとこが合わねーだろうなと思う。俺、基本的に直感タイプだし。びびっとくるんだよ、びびっと。あとお前結婚する前のセックスはダメとか言いそう」
「いや、まあ、子供となるとおれだけの問題ではなくなるし……」
「えっ重っ……高校生でんなこと考えながらレンアイしてる奴殆どいねーと思う……」
 まあこれはたぶん家庭環境によるものだ。おれの母親は高校生のときには既に結婚相手が決まっていて、短大を出ると同時に結婚した。おれの家ではそういう物事にかなりの手順を踏むので、ちらりと母親から話を聞いた折に面倒ではなかったのかというようなことを尋ねてみたことがある。
『お金を持っているとね、色々とふっかけられるんですよ。色々と』
 その「色々」を詳しく聞いたことはないけれど、あなたは男なのだから余計に気をつけなさい、と言われて半ば察した。……そういう事情もあって、おれは女性との交わりに対してなんとなく忌避感を覚えてしまう。性行為のその先にすさまじく面倒なことが山積み待っていると思うと、別に今じゃなくてもなあ……と感じる。行為そのものにまったく無関心というわけではないが、結婚に興味を持てるようになるには生きてきた時間が足りない。おれはそんな宙ぶらりんの気持ちを持て余しているのだった。
 いや、男性が相手だったからといって、そういうことを考えなくて済むラッキー……という風には思えないけれど。最低じゃないか、あまりにも無責任だ。お互いに好きで気持ちが通じ合ったなら当然何かしらの責任や覚悟をきちんと持ちたいと思うし、そうすると未成年のおれにはできないことがあまりにも多い。
 ……うーん、改めて考えてみるとやっぱり重いし考えすぎなのかもしれないな、おれ。
「んん……ありがとう。参考にするよ」
 だから何の!? と言う暁人には、申し訳ないけれどうまく答えられる気がしなかったので曖昧に誤魔化す。代わりに、今日のセツさんはもう仕事に行ってしまったか聞いてみる。「今日は早出の日じゃねーから部屋にいる。もうちょいで準備始めるんじゃね」ということはお仕事に行く前に少しお話できるかもしれない。
 じわっと指先が温かくなって、口元がほころぶ。
 やっぱりこの感じは他の人とはちょっと違うような気がするから、なんだか落ち着かない。
 これからもっと時間が経ったら――そのときは、この気持ちをうまく言葉で表すことができるだろうか。宏隆の言うような、あったかくてしあわせでちょっと苦しい、そんな気持ちを知ることができたなら、おれはきっと嬉しいだろうな、と思う。
 耳を澄ませる。セツさんの部屋の扉が開くのが、待ち遠しかった。

prev / back / next


- ナノ -