羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 今になってみると、佑護ってなんであんなに怖がられていたんだろうなあ、と思う。実際全然怖くないし、寧ろ色々な反応はかわいい寄りだよね。俺の感性の問題かな? それとも恋は盲目ってやつ?
 夕飯はハッシュドビーフにした。固形ルーと玉ねぎと牛肉買って炒めて煮込むだけ。らくちんだ。キッチンに並んで立つの、なんかいいなあって思った。佑護は買い出しから食事を終えるまでに、ぎこちないながらも俺のことをちゃんと下の名前で呼ぼうとしてくれた。俺が佑護のことを好きだよって気持ちは、とっても大切にしてもらえてる。
 それにしてもさっきはちょっと危なかった。やりすぎちゃったな。完全に勢いに任せてしまったというか、衝動的、という言葉がぴったりのやらかしをしてしまった。許してもらえたからよかったけど、今度からは気を付けないと。
 そう、俺としては「今度」がちゃんとあると思ってるんだけど、佑護はどうなんだろ。この上なく恥ずかしそうではあったけど嫌がってはなかった……よね?
 いつもより高く掠れた声とか、赤く染まった顔とか、水分を湛えた瞳とか、どきどきしたなあ。ここ最近色々な意味で表情豊かな佑護ばかり見ていたから忘れかけてたけど、実は佑護ってあまり表情も感情も波が激しくないからああいうのはかなり貴重だ。普段からどうも、周りを威嚇するみたいに眉根に皺を寄せているから余計に今日はギャップがあってかわいく見える。
 まさか一対多数でばったばったと相手を殴り倒してた奴にこんな感情を抱くようになるとは人生って分からない。分からないけど、俺は現状に満足している。こいつをかわいいと思えるくらいの感性を手に入れられてよかったと思う。
「……大牙?」
「ん? ああごめん、ぼーっとしちゃった」
 夕食後の皿洗いで手が止まっていたらしく、横からの気遣わしげな声に我に返った。泡をすすいだコップを佑護に手渡すと、喧嘩の強さで恐れられているとは思えないほどに繊細な手つきで布巾を持ってコップの水気を取ってくれた。……なんか、なんかさー、俺こういうのに弱いのかも。共同作業っていいよね。ときめきを感じるよ。
「今ね、佑護のこと考えてたよ」
「え、俺? な、何か変だったか?」
「いやそういうんじゃなくて。好きだなあって噛みしめてた」
 佑護は何か言おうとして、でも言葉が出てこなかったみたいで耳を僅かに赤くするとまるで睨むような目つきになる。うーん、黒ヒョウだろうが何だろうが俺にはかわいく見えるんだよね……。
 佑護が面白いくらい大げさに反応してくれるので、あまりからかわないようにしないとな、なんて己の自制心に期待する。でも、表情豊かな佑護をもっと見ていたい気もして、かなりのジレンマだった。だってこれはきっと俺だけが知ってることだから。独り占めできてるって感じがするのだ。
「……あ。独り占めで思い出した」
「は? なに? 独り占め?」
「ごめんこっちの話。えっと、このことみんなに言うのかな? って思って」
 もうしばらく俺だけが見ていたいんだけど、みんなに言うとなるとそうもいかない。
 佑護は今まさにそのことに思い至りましたって顔をして、悩むように目を伏せてから「……しばらく、は、秘密にしてたい」と言った。
「別に引け目を感じてるとかじゃないから、誤解はしないでほしい。後ろめたくて秘密にするわけじゃない」
「秘密にしてたい理由が他にあるってこと?」
 まあ、暁人と宏隆が既にそういう仲なので、気持ち悪がられるとかそういうリスクはほぼゼロだろうけど。佑護がここまではっきりと「引け目は感じてない、後ろめたくもない」と言ってくれたのはとても嬉しかった。
 俺の問いかけに佑護はまた僅かに恥ずかしそうな表情をしてみせた。
「……たぶん、今のままじゃお前とこういうことになったってあいつらに知られたら俺かなりキョドると思う。それが嫌。せめて普通にお前のこと好きって言えるようになるまで言うの待ってほしい」
 えっなにその理由かわいいな。確かに暁人とかめちゃくちゃからかってきそうだもんね。なるほど、そういうことなら俺も頑張って秘密にしとこうかな。たぶん俺も佑護も隠し事あんまり得意じゃないから、すぐばれちゃう可能性も無きにしも非ずだけど。
 じゃあしばらくは二人だけの秘密だね。ちょっとわくわくしてきちゃったな。
 俺はここで、そういえば佑護には、俺が佑護を好きだということを宏隆に話したのを言ってないなと気付いた。黙っているのもなんなので包み隠さず伝えると、佑護はかなり驚いたみたいで「お前勇気ありすぎ……」と言っていた。まあ、こそこそしなきゃいけないことだと思ってなかったからなあ。宏隆もちょっと言ってたけど、好きだから苦しいってかなり大人っぽい感情だよね。俺は嬉しい楽しい大好きってことしか考えられなかったよ。
「じゃあ清水にだけは言ってもいい、んじゃねえの。たぶん気にしてくれてるだろ」
「そうだね、ありがとう。そうするよ」
 自分の羞恥心よりも友達の心配を優先できるって優しいな、佑護は。俺は改めて嬉しくなった。
 皿を洗ったらもう時刻はとっぷりと日も暮れた頃で、窓を開けると網戸越しに夜風が入ってきて涼しい。そろそろ佑護も帰らないとまずいだろう。俺は名残惜しく思いながら「もう遅いから今日はこれでおしまいだね」と言う。
「そういう、いかにも残念ですって顔されると、困る」
「困る?」
「……帰りたくなくなるから、困る」
 穏やかな笑顔だった。ほんの少しだけ頬が紅潮している。俺がドラマに出てくるようなかっこいい大人だったら引き留めてしまったかもしれない。実際は子供なのであまり夜遅くは出歩けないけど。
「んー、確かに残念だけど。俺たち明日も会えるから、嬉しいよ」
「明日の部活も早めに終わるのか?」
「な、なるべく待たせないようにする……」
 無理すんなよ、と笑われた。俺にとっては重大なの。そんな俺を見ていた佑護が小さく言った。
「部活がうまく時間合わなくても家で会えるし、部活無いときにどっか遊びに行ってもいいし……あとはあれだ、意味もなくメールしたりとか、できるだろ」
「意味もなくメール?」
「『暇だから会いに行っていい?』とか」
「それかなり意味あるメールだよー!」
 え、そういうメールを期待してもいいの? 最高じゃない? 特に用事も無いけど会いたいから会いに行くってことでしょ。嬉しい。
 佑護の言葉が嬉しくておおはしゃぎしてしまった。俺は今度こそ佑護を玄関まで見送る。
「佑護、今日は本当にありがとう。こうやって話ができて、佑護の考えてることちゃんと分かって……俺の考えてることちゃんと伝えられて、よかった」
「俺も同じ気持ち。ちょっと今ようやく実感湧いてきてやばい」
「遅っ! じゃあもう一回言うね、好きだよ」
「あー……マジで夢かよ、なんだこれ、こんなに嬉しいなんて」
 俺も好きだと言われて「もう一回」と言いそうになるのをこらえる。このままじゃほんとにきりがないから。代わりに数秒だけ抱きしめてすぐ解放した。名残惜しいのに満たされている不思議な感覚。
「じゃあ、また明日」
「ん。また明日」
 手を振って別れた。ゆっくりと後ろ姿が遠ざかっていくのを見て、今なら森羅万象に優しくなれそうだな、なんて根拠のないことを思った。
 明日があるって素晴らしい。好きな人が俺を好きでいてくれる幸せを噛みしめながら、今日は寝よう。

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