羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 前触れ……なんてものは、きっと無かったと思う。
 おれが気付いていなかっただけかもしれないが、いつもと何ら変わらない一日だった。しいて言うならその日はとても暑くて、おれは珍しく予定が無かったので暁人の家にお邪魔していて――そして、大牙がいなかった。
「由良のことすきなんだよねぇ」
 何の気負いも無い、やわらかく静かな声で宏隆は言った。数秒経って、「……あ? 俺も俺のこと大好きだけど」という暁人の声がする。
 宏隆は机に頬杖をついて、目元を緩めて笑った。宏隆の髪は最近染め直したようで、初めて会った頃のような淡い金髪になっていた。僅かに首を傾げて、光を集めてきらめく金髪が頬にかかる。「……うん、しってる。そういうとこがすきなんだよ」と笑顔のまま言った。
「は……? お前、何言ってんの」
「聞いちゃうの? ……いいの? 聞かれたら言っちゃうよ?」
 流石に暁人も、宏隆の様子がちょっといつもとは違うということに気付いたらしい。スマホから顔を上げて宏隆を見つめる。「やっと俺のこと見てくれた」宏隆は嬉しそうだった。
「俺、由良のことがすき」
 それはとても切実な響きがした。
「ラブの方だよ」
 そのまま立ち上がると、ちょっと癖のあるふらふらした足取りで暁人に近づく。俯いた拍子に髪の毛が宏隆の表情を隠した。誰も何も言わない。
 何も言えない。
「……友達のままでいられなくて、ごめん」
 ふは、と笑い混じりのため息が聞こえた。「言っちゃった。帰るね、おじゃましました」ひらりと緩く手を振った宏隆は、リビングの扉を開けて玄関の方へと消えていった。一度も、振り返らなかった。
 遠くに玄関の閉まる音が聞こえて、後には痛いくらいの静寂が残った。トイレにでも行きたかったのか腰を浮かせかけていた佑護が神妙な顔でソファに逆戻りしていて、それに場違いにも和んでしまう。いや、いやいや、和んでいる場合ではないのだけれど。
 今のは、確かに告白だった。友達としてではなく、愛しているという意味で好きだと宏隆は言った。男同士ということよりも、あんなに自然に、静かに、当たり前みたいな顔で宏隆は愛を囁くことができるのかと、そっちの方にまず驚いた。不思議と抵抗なく全てが腑に落ちる。そうか、宏隆は暁人のことが好きなんだ。
「……なあ」
 暁人が口を開いた。佑護は固まったまま動かないのでおれが返事をすると、「俺の見間違いじゃなきゃ、あいつ、帰った?」と念を押すように言う。
「そ――そうみたい、だね。……あの、暁人」
「…………っかつく」
「え?」
 よく聞き取れなくて聞き返す。と、暁人は突如立ち上がって、ソファの佑護が座っている隣の部分をめがけて思い切り腕を振りかぶり、持っていたスマートフォンを投げた。
「ムカつくー!! はあ!? 何言い逃げしてんだあのバカ!」
 暁人のスマホは柔らかいマットレスにめり込んで、ソファの上で一回バウンドしてフローリングの床に落ちる。液晶は割れていないみたいだが、結構いい音がしたぞ。大丈夫かな。
 妙に冷静になってしまったおれの代わりにと言わんばかりに佑護がおろおろしていたので、腕をつついて「大丈夫だよ」とアイコンタクトしてみた。……よかった、通じたみたいだ。
 暁人は怒りを引きずらないさっぱりした性格をしているけれど、その分キレるときは突然で一気に怒りが燃え上がるタイプなので、きっと今宥めてみても効果は薄いだろう。
「ムカつくムカつくムカつくムカつくムカつくムカつく! あの野郎! 電話してやる――――電源切ってるじゃねーか!!」
 暁人はせっかく拾ったスマホをもう一度投げた。ソファに向かって投げているあたり最低限の冷静さは残っているみたいだが、怒りが収まる気配は無い。
 まさに嵐のようなその怒りっぷりに、佑護は混乱を通り越して呆れてきたのか「……何をそんなにキレてんだよ」と吐き出した。
「はあ? 言うだけ言って逃げやがったのが気に食わねーんだよ! しかも明日から学校休みだし! 何か? 俺の言葉は聞きたくありませんってか!」
 荒々しい足音をたてて暁人はキッチンに向かった。冷蔵庫に入っていたコーラを一気にあおって、二酸化炭素が胃から逆流したのが苦しかったのか「う」と呻く。そして――こっちに戻ってきたときには、既にクールダウンは終わっていた。
「……はー。コーラ美味いわ」
「お、お前……テンションの上げ下げの幅が激しすぎるだろ……」
「ん? ああ、悪い悪い。お前がいるのにスマホ投げちまったわ。当たってねーよな? 俺怒りで視界が狭くなるタイプなんだよね」
 前は足元よく見えてなくて盛大にこけて怒りがどっか飛んでった、と笑う暁人。佑護は分かりやすく引いていた。烈火のごとく怒っていたかと思えばもう笑っている。負の感情を引きずらないのは暁人のいいところだ。
「にしてもどうすっかなー、俺あいつの家知らねえわ。知ってたら絶対殴り込みに行くのに」
「……お前、割と普通だな」
「ん? 何が?」
「男友達から好きって言われて」
 暁人は一瞬動きを止めて、盛大に体を傾げる。「いやまあ、確かに驚いたけど」と考えるそぶりをする暁人は、笑っていた。
「俺くらいの男になると同性だろうと関係なくモテちまうっつーか? アハハ! まあ俺の魅力は男女平等ってことでしょ。あー俺ってば罪な男!」
 おれはそれを聞いて安心すると同時に、少しだけ残念に思った。宏隆、帰る必要なんてこれっぽっちも無かったのに。今すぐ暁人のこの言葉を聞いてほしい。きっと、それだけであいつは救われる。
 佑護も表情が和らいだ。「めちゃくちゃキレてたから、嫌だったのかと思った……」まだ僅かに不安の拭えない声でこぼれた台詞は暁人が真向から否定する。
「別に嫌じゃねーよ。あいつが謝って逃げたのにムカついただけ」
 謝るようなことじゃないし、謝らなきゃいけないと思われたのが嫌だった、と暁人は言った。優しい、声だった。
「っつーかお前らの前で公開告白のがよっぽど度胸いるよな? あいつマジで時々謎だわ……」
「……無かったことにしたくないからじゃねえの」
「無かったこと、ね……っつーか茅ヶ崎今日はやけに話すじゃん。意外」
「それは俺も意外」
 自分でもよく分からない、と佑護は呟いて立ち上がる。「今日は帰る。もしあいつに連絡ついたら会いに行けっつっとく」と小さく言った。
 暁人は手をひらひら振る。「さんきゅ」特に見送るでもなく玄関から足音が遠ざかったのを聞いてから、暁人はおれに向き直って深刻そうな顔をした。
「……あいつ、大牙のお節介がうつってきてねえ? こえーよ」
 てっきり宏隆の話題だと思っていたおれは、少しだけ笑ってしまう。暁人は自分で決着をつけられるやつだ。宏隆はちょっと心配だけど、暁人が相手ならきっと大丈夫。
「みんな、それだけおまえが好きだってことだよ」
「あ、やっぱり? 俺って愛され末っ子キャラだからー!」
 笑顔の暁人を見て思う。宏隆が少しでも早く、この笑顔をもう一度見られますように、と。

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