羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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『万里くんへ

 こういうの書くの初めてだから、言葉遣い変だったりしたらごめんね。
 お誕生日おめでとう。
 初めて会った日がマリちゃんの誕生日だって知って、びっくりしました。せっかくの誕生日だったのに酔っ払いの世話させちゃって、申し訳ないなあって実は俺ちょっと落ち込んでたんだけど、マリちゃんの心の広さに救われました。マリちゃんにはこんなダメな大人にはなってほしくないです。まあ、俺なんかが心配しなくても、普通にならないとは思うけど。

 話がずれちゃった。俺がこの手紙を書こうと思ったのは、俺の誕生日にマリちゃんがくれた手紙が本当に嬉しかったからっていうのと、俺もマリちゃんみたいにじっくり言葉を考えて伝えたいなって思ったからです。

 マリちゃんに会ってから、何かを「綺麗だな」って思うことが増えました。
 これまで、マリちゃんと一緒にいて嬉しかったこととかありがとうって思ったこととか、沢山あります。ありすぎて書ききれないので、俺がマリちゃんに出会えてよかったって思ってるってことだけは知っていてください。
 なんか口調おかしいな。やっぱ慣れないことしてるからかも。とにかく、お祝いができてよかった。お誕生日おめでとう。俺、マリちゃんの誕生日は忘れないと思うよ。嘘じゃないよ。マリちゃんが全然そんな素振り見せなくても、来年の七月七日まで誕生日の話題一切出さなくても、覚えてると思う。
 だからもし来年があれば、またお祝いさせてね。

 長くなっちゃってごめんね。恥ずかしいからプレゼントの説明は短く済ませます。マリちゃんは本が好きで沢山持ってるって言ってたからブックカバーにしました。手縫いらしいよ。丁寧で柔らかいところがマリちゃんに似てるなって思った。使ってくれると嬉しい。

 もうすぐ便箋終わりそう。じゃあ、最後にこれだけ。
 十七歳おめでとう。これから楽しいこととか大変なこととか、色々あると思うけど、マリちゃんがちょっと疲れたなってときは教えてね。何か力になれればいいなと思うから。カクテル作るくらいしか、できないかもだけど。
 マリちゃんの、いつも誰かのことを思い遣っていて、びっくりするくらい優しいところがすきです。
 身長追いつかれそうなのはちょっと悔しいけど、でも、マリちゃんの成長がこれからも楽しみです。
 いい一年にしてね。

 雪人』

 三回読み返した。読み返して、行儀が悪いのは承知で制服のまま畳に横になった。自分でも分かるくらい顔が熱い。服が皺になってしまう、と思うのに、どうにも動けない。
 嬉しかった。言葉にできないくらいだった。手紙を書くのは初めてだというのはきっと嘘ではないのだろう。ちょっとたどたどしくて、不慣れで、けれどおれのために時間をかけて書いてくれたのだろうというのがすぐ分かる手紙だった。白地にひまわりの絵が柔らかなタッチで描かれた便箋は、さらりとした手触りだ。わざわざおれに手紙を書くために用意してくれたのだろうか。
 そして何より嬉しかったのが、手紙を書くのにおれがプレゼントしたボールペンを使ってくれたであろうことだ。あのボールペンはインクが完全な黒ではなくて、光を当てるとほんの少し海のような色を反射する。おれのプレゼントは、どうやらきちんとセツさんの生活に馴染めたようだった。
 どうにか体を起こして制服をハンガーにかける。あの後セツさんと別れて帰ってきて、着替える間も惜しんで手紙を読んだ。「家に帰るまで読まないでね、一人で読んでね」と恥ずかしそうに主張するのがなんだかとてもかわいいと思った。
 一行目の『万里くんへ』という呼び名が新鮮でどきっとした。
 便箋に三枚分、読んでしまうのが勿体無くて一行一行ゆっくり時間をかけて読んだ。最初から最後までどきどきしっぱなしだ。
 出会えてよかった、と言ってもらえた。セツさんは、おれに出会えてよかったと思ってくれているらしい。しかも、おれと一緒にいると嬉しいことがたくさんあるらしい。そんな風に思ってもらえていたなんて。
 おれはセツさんと喋ったりするのが本当に楽しかったけれど、セツさんはやっぱり大人だから、おれみたいな高校生と一緒にいるのはつまらなかったりしないだろうか、と不安になることもあった。なので、このセツさんからの手紙はおれの中でとても大きな意味を持つ。
 もう一度噛み締めながら読んだ。手紙の中の『優しいところがすきです。』という文言に、また頬が熱くなるのを感じた。
 セツさんは、初めて会った頃はパーソナルスペースがかなり広い方だったと思う。暁人から色々話を聞いたりして、自分の居場所を他人に侵食されるのが嫌なのだろうな、と思っていた。けれど最近のセツさんは、昔より距離が近くなった。今日もそうだったけれど、おれのことを確かめるように触れてくる。触れ方があまりにも「おそるおそる」という感じだから、まるで自分がガラス細工か何かにでもなった気分だ。
 壊れ物を扱うみたいに触れられて、恥ずかしくなってしまったから思わず手を握って話題を変えた。我ながら不自然だったと思うけれど仕方ない。
 セツさんは体温が低い。握った指先はひんやりとしていて細かった。指が細いし手の甲の幅も狭い。背の高さと、いつもスーツだから分かりにくいけれどセツさんはかなり細身だった。今日みたいに私服で、おまけに薄着だとよく分かる。
 ちょっと前までは大きいぬいぐるみにするみたいな感じで抱き締められることがあったんだけど、ここ最近はご無沙汰だ。暑くなってきたから、体温が高いおれにはくっつきたくないのかな? という風に思っている。
 おれはブックカバーの入った箱を再び開けた。白雪色の箱にかかった淡い桜と若草の色をしたリボンはそれだけでもとてもきれいで、この箱も何か小物入れとかにできないかな、なんて思う。さっそくそのブックカバーを、読もうと思っていた文庫本に被せた。濃淡のグラデーションがうつくしい栞紐を持つブックカバーは、上品な佇まいだった。
 なんだかふわふわとした心地だ。通学用の鞄にブックカバーごと本をしまって、また意味もなく手紙を取り出してみたりする。何度読んでも嬉しい。セツさんも、おれの手紙をこんな風に読み返してくれることがあったりするのだろうか。まだ少し顔に熱が残っている気がする。しあわせな気持ちになる。
 と、障子の向こうから「万里」という声がかかった。姉さんだ。返事をすると、お夕飯の準備ができたよと障子が開く。目を合わせた瞬間、怪訝そうな表情をされてしまった。
「うん? 万里、おまえ……」
「? どうしたの?」
 姉さんはおれの言葉に対して楽しそうに笑った。笑って、「ふふ、おまえがどうしたんだ。そんな、恋文でも貰ったみたいな顔をして」と言った。
「そ、そういうんじゃないです……」
「へえ。いや、別に正直に言う必要も無いけれどね。おまえは少し、隠し事というのを覚えた方がいい」
 秘密の十や二十はあってもいいんだよ、と言われて、そんなにたくさん持てないよと思わず素で返してしまった。
 おれは便箋を畳んで出来る限り丁寧に封筒へ入れる。部屋から出ると、ちょうど日が沈んだばかりなのかうっすらと星が見え始めていた。
 そういえば、今日は織姫と彦星がちゃんと会えたんだな。
 本当にいい誕生日だ。朝は家のみんなに「おめでとう」と言ってもらって、学校では友達にお祝いしてもらって、そしてセツさんに会うことができて。
 おれは姉さんの背中を追いかける。周りの人たちに少しずつ、お返しができればいいなと思う。感謝の気持ちを伝えていければいいなと思う。
 ――――おれは、自分の知らないところで色々なことが変わってきているのを、このときはまだ知らなかった。
 もうすぐ梅雨が終わる。毎日、暑さは増すばかりだ。十七歳の夏は本番を迎える。
 波乱の夏の、始まりだった。

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