羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 七夕は晴天だった。この時期にしてはちょっと珍しいくらいの雲ひとつ無い青空で、いかにも夏、って感じ。俺は昼過ぎくらいに目を覚まして、あまりの日差しの強さに目を細めた。
 今日はマリちゃんの誕生日だ。
 誕生日の前後辺りで都合のいい日があれば会いたいな、と連絡したら、学校の帰り道に家に寄ってくれることになった。しかも当日。いいのかな、って思ったけど、マリちゃんが「ぜひ」って言ってくれたからそれに甘えた。当日に祝えるの、嬉しい。わざわざこの日に合わせて仕事も休みを取ったというのは内緒だ。気を遣わせたくないし、何より恥ずかしいから。
 なんだかそわそわしてしまう。俺、こういう風に後々まで残るプレゼント選ぶのって慣れてないからそれも不安。今日は暑いから、冷たい飲み物とかあった方がいいよねと思ってレモネードを用意してみた。マリちゃんは微炭酸がすき。もう随分マリちゃんの好みにも詳しくなってしまっている。気恥ずかしい。何が恥ずかしいって、なるべくマリちゃんの好みを把握しておきたいと思ってる自分とか、それがおかしなことだと思えない自分とかが。
 なんかもう開き直っちゃうんだけど、俺は確かに八つも年下の高校生に癒しを感じていて、話していると楽しくて、一緒にいると安心するなって思ってる。損得勘定抜きで、ただそこにいてほしい、って思う。最初はそんなことを考えてしまう自分が正直言って意味不明だったんだけど、あの優しさに触れてしまったから、心地よくて抜け出せないのだ。
 じっとしていられなかったしせっかく天気がよかったので、軽く食事した後は洗濯のついでに布団を干してみたりして。夏用の掛け布団も丸洗いして干した。太陽光がさんさんと降り注いでいるから、きっとすぐ乾くだろう。念入りに掃除をして久々に換気扇も綺麗にして、夕飯の下ごしらえをして、いよいよやることが無くなったなとソファに腰を下ろしたあたりでチャイムが鳴った。
「こんにちは、セツさん」
 ドアを開けると目の前に柔らかい笑顔を浮かべたマリちゃんがいた。西日のせいか頬がほんのり赤くなっていて、肌は僅かに汗ばんでいる。
「いらっしゃい。マリちゃん、誕生日おめでとう」
 こんなに心をこめて「誕生日おめでとう」って言うこと、そうそう無いだろうな。そんなことを思いながら声をあげた。我ながら声が弾んでいてテンションの高さに笑える。緊張しているのか、いつもより心臓の鼓動が速い。
 ありがとうございます、と笑って頭を下げたマリちゃんのつむじを見つめて、一年という時の流れを実感した。
「マリちゃんほんと背伸びたね、もう俺と殆ど変わんないんじゃない?」
「そうですか? ふふ、あと五センチくらいで追いつくかなって……頑張ります」
 初めて会ったときのマリちゃんは背が低めでクラスの背の順でも前の方だったらしいんだけど、この一年でぐっと伸びた。たぶん十センチは軽く伸びてると思う。男子は高校に入ってから一気に伸びるって言うけどマジなんだな。俺がどうだったかはもう思い出せない。
 最近、ふとした瞬間――例えばちょっとマリちゃんの方を振り返ったりすると、自分が想像していたよりもずっと目線が近くてどきっとすることがある。マリちゃんの瞳に俺の姿が映っていて、マリちゃんはきちんと相手の目を見て喋れるんだよな、ということを改めて実感する。マリちゃんを近くで見るのが恥ずかしいのか、マリちゃんに近くで見られているのが恥ずかしいのか、ちょっとよく分からなかった。
 家にあがってもらって飲み物を出す。クーラーが寒くないか聞いて、俺は一旦自分の部屋に引っ込んでラッピングされた箱を取って戻ってきた。埃がついてたりしないかそっと指先でなぞって確かめてから、その箱をマリちゃんに差し出す。
「はい、これ……誕生日プレゼント。気に入ってもらえるといいんだけど」
「ありがとうございます。ここで開けてもいいですか?」
 黒い瞳がきらきらしていてかわいい。いいよ、と頷くとマリちゃんの表情がぱぁっと明るくなる。反抗期なんてものを一切感じさせないくらいにはすれてないし素直に感情表現してくれて、俺まで嬉しい。今日はいつものお返しでマリちゃんをめいっぱい喜ばせるのが目標だったのに、やっぱり俺はこの子といると自然と笑顔になるみたいだ。これじゃいつもと変わんないんだけど。
 マリちゃんは包装の開け方も丁寧だった。リボンを優しく解いてテープをゆっくり剥がして、ほんと惚れ惚れするくらい。喜んでくれるかな。俺は気付かれないようにそっと息を吐く。
「わあ……きれいです」
 マリちゃんの口元が綻ぶのを確かめて俺はほっと胸をなでおろした。
 俺がプレゼントに選んだのは、文庫サイズのブックカバーだった。
「マリちゃん電車通学だよね。本、好きって言ってたからそういうの使うかなって……」
 最初、長く手元に置くプレゼントといったら貴金属しか思いつかなくて、いやいやマリちゃんにアクセサリ贈るのはなんか違うでしょ、そもそもつけないでしょ、と一人ツッコミしながら悩んだ結果だ。
 チェーンタイプのブックマーカーとかも綺麗だったんだけど、本に跡がつきそうだし何より失くしたり落としたりしそうだったから(少なくとも俺だったら絶対落とすと思ったから)しおり用の紐が一体化しているブックカバーにした。これなら電車の中で立って読んでたりしても落とさないし、片手でも大丈夫だ。
 このしおり用の紐が俺は気に入ってて、普通だったら一色とかなんだろうけど、この紐は何色かの糸を撚るだか併せるだかして作ってあるみたいで同色系統のグラデーションがちょっと珍しい感じ。根元が濃く、端になるにつれて淡くなっていくのが綺麗だ。
 手触りがよくて、軽くて、長く使えそうなシンプルなデザインのものを選んだ。それこそ、会社勤めするようになってからも持ってて変じゃないやつ。なるべく長く使ってほしいな、っていう下心が見えはしないだろうかと少し耳元が熱くなるのを感じる。
 裏表紙側の隅に入った控えめな植物の刺繍を撫でるマリちゃん。その仕草を見ただけで、ああ、大切にしてくれるんだろうな、っていうのが分かった。マリちゃんは、喋るのが苦手だ、ってよく言ってるけど、所作ひとつひとつからマリちゃんの優しい性格が伝わってくるし、ゆっくりとした喋り方からは相手を思い遣って言葉を選んでいることがうかがえる。そういうところが、いいなって思う。
「嬉しいです……ありがとうございます。帰ったらすぐ使おうと思います」
「よかった、変なもの贈っちゃったらどうしようかと思ってた……」
「ふふ、セツさんがおれのために選んでくれたんだなって思うともっと嬉しくなります。紐、きれいですね」
「そうそれ、綺麗だよね。俺もそこがいいなって思って」
 同じ感じ方をしているのが分かると不思議と嬉しい。自分が「いいな」と思ったものを相手もそう思ってくれるというのは幸せだ。
 たぶん一年前だったらブックカバーなんて見向きもしなかった。何かを「綺麗だ」って素直に思うのも難しかっただろう。
 俺は息を吸って、どうにか緊張を和らげようと目を閉じた。実は、渡すものはもうひとつある。
「マリちゃん」
「はい。なんですか?」
「えーと……あの、これはほんとおまけみたいなやつで全然気にしなくていいんだけど」
 後ろ手に持っていたものを体の前に差し出す。マリちゃんはプレゼントの箱を持ったまま、きょとんと幼い表情をしてみせた。
「手紙……頂いていいんですか」
「いやほんと大したモンじゃないから! っていうかこれは今見ないで、恥ずかしいから帰ってから読んで……」
 ブックカバーを探して色々見てたときに、ふと目に入ったレターセットが綺麗だったから。俺にもマリちゃんみたいに優しい手紙が書けるかなって思ったんだけど、正直ハードル高かった。恥ずかしい話、漢字をかなり忘れててネット検索しまくったし。漢字が書けない文系ってもはや何ができるんだって話じゃねえ? まあ俺は文系っていうか、数学ができなかったんだけどね……。
 どうも俺はマリちゃんの前だとうまく喋れなくなることがあったから、手紙だったらお祝いの気持ちとかマリちゃんと一緒にいると楽しいってこととか、ちょっとは伝わる気がして。
「あ――ありがとうございます。こんな、素敵なものをたくさん頂いてしまって」
「やー、マリちゃんみたいに上手には書けなかったんだけどね……」
「そんなことないです。おれ、きっと何度も読み返すと思います」
 嬉しいです、と笑った顔が本当にこれ以上無いってくらい優しげで、俺は思わずマリちゃんの髪を撫でた。こんな風に、衝動的に触れたくなることが最近何度もある。マリちゃんは分かっているのかいないのか、俺の手をぎゅっと握ってきた。
「おれの背が伸びたからそう思うだけなのかもしれないですけど、セツさんって細いですよね。手はおれの方が大きいですし」
「えっ……えっマジで? うわっマジだ!」
 身長よりも先にこっちが超されてしまった。マリちゃんは手のひらまであたたかい。急な話題の転換に一瞬戸惑ったけど、触れたところが熱くてすぐそれどころではなくなる。マリちゃんのすることとか言うこととかに、過剰に反応してしまう自分が不思議だった。
「ふふ、去年に引き続きいい誕生日でした。ありがとうございます」
「こちらこそお祝いさせてくれてありがとう。俺、誕生日祝ってもらえたのマジで嬉しかったから、今日喜んでもらえたならもっと嬉しいよ」
「セツさんには頂いてばかりですね、初めて会ったときから」
 だからこっちの台詞を取らないでってば。
 今からお手紙読むのが楽しみです、と笑うマリちゃんにむず痒さを感じつつ、もうちょっとだけ手握っててくれないかな、とまた自分では制御しきれない気持ちを持て余していた。
 十七歳になったマリちゃんは、やっぱり大人っぽくなっているように見えた。顔つきとか体つきとか、もう完全に「男」のものになっている。
 ほんとは前みたいにハグしたいんだけど、なんか、なんか、それはダメだって直感的に思ったから我慢した。やっぱりほら、おかしいじゃん。どこがって、全部おかしいんだよ。なんなんだ。俺もうずっと前からおかしい。
 ああもう、また体温があがっていくのを感じる。
 きっと夏が暑いせいだ。
 クーラーで冷えた室内で、マリちゃんに握られた手だけがやけにしっかりと熱を持って、こんなに熱いぞ、と自己主張していた。

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