羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 夢を見ていた。
 おれの家は、法事や正月などたくさんの親戚が集まる時期がある。夢の中でおれは、親戚の子供の面倒を任されていた。まだ小学生以下だったりすることが多い親戚の子供たちと、この家で一番歳が近いのがおれだからだ。姉さんも面倒を見てくれたりするけれどあの人は基本的に自由人で気まぐれなので、寧ろ放っておいてくれた方がいいことすらある。
 おれは客間で子供たちと布団を並べて寝ていた。夕食後に大人たちが宴会をしている間、姉さんが突然「興が乗った」と言って子供たちを集め、怪談を語ってくれたのだ。そこまではよかったのだが、それがいささか子供には刺激が強かったというかはっきり言って悪趣味レベルに怖かった。姉さん、語りが上手すぎる。その結果、姉さんが「雰囲気を出したい」と言ったため蝋燭の明かりのみが光源だった広間は阿鼻叫喚をきわめ、急遽修学旅行のようにみんな一緒に寝る、という話になった。大人たちは日付が変わってしばらくしないと帰ってこないだろうし、姉さんを止めなかったおれにも責任の一端はあると思って。
 みんな最初はぐずっていたが、徐々に静かになってくる。おれもそろそろ寝ていいかな……とまどろみかけていたとき、何かが上に乗っかってきたような衝撃を感じた。ああ、やっぱり眠れない、って子がいたのだろうか。そう思って出来る限り優しく声をかけて、――そこで目が覚めた。
 目が覚めたらおれの家ではないし、体に感じた重みは親戚の子供ではなくセツさんだった。思い切りタメ口をきいてしまった気がしてちょっと慌てる。もう朝かと思ったけれど全然そんなことはなくて、確か暁人は、「どうせ朝帰り」みたいなことを言っていたはずなのに……とまた混乱した。
 他のやつらを起こしたらまずいと思ってその場ではすぐ別れたけれど、なんとなく名残惜しくて暗闇の中を立ち上がった。これは賭けだ。
 トイレを済ませて洗面所に向かうと明かりがついている。どうやら今日は、運のいい日らしい。
 歯を磨こうとしていたらしいセツさんはおれを見て申し訳なさそうな顔をした。そんな顔をしないでほしい。目が覚めたからこそこうしてお話できるのだし。
 今日のセツさんはいつもより距離が近くて、雰囲気がふわふわしてて、なんだか可愛らしい感じだった。頭を撫でてくれたりだとか、おれの腕を物珍しそうに触ってきたりだとか。ずっと帰宅部だったと言っていた気がするし、暁人もそうだからあまり馴染みが無かったのだろう。子供扱いされてるなあ、と少しだけ複雑な気持ちだけど、触れられていること自体には心地よさを感じてしまったので何も言えない。
 癒される、という言葉はもっと、小さくて可憐な女のひととかに似合う言葉だと思う。何故だかセツさんはおれに癒しを感じてくれているらしい。おれもセツさんに対して「可愛い」と感じることがあるからおあいこだろうか。最初の頃は、たとえ思ったとしても成人男性に対して失礼だよな……という気持ちが強かったのだけれど、最近は口に出さなければ大丈夫かな、とある程度自分を許している。
「ねえねえマリちゃん」
「はい、なんですか?」
 また随分と可愛らしい呼びかけをされたなと思いながら返事をする。女の子みたいな呼び名にも随分と慣れてしまった。おれのことをそんな風に呼ぶのはセツさんだけなので、なんだか特別な感じがして今となってはちょっと嬉しかったりする。
 セツさんの話の内容は更に嬉しいことだった。こうして偶然話ができたことを、「クリスマスプレゼントみたい」と言ってくれたのだ。おれはなんだかたまらない気持ちになって、思わず声をあげた。
「セツさん、もうお休みになりますか?」
「ん、なんで? 正直まだ眠くはないかな。家に誰もいないと思ってたからさー、DVDとか観るつもりしてたんだよね。あ、別にどうしてもってわけじゃないから気にしなくていいんだけど」
「もしよければ、もう少しお話しませんか」
 セツさんは一瞬きょとんとしていたけれど、すぐ笑顔になって「じゃあ俺の部屋いこっか」と返してくれる。こうやって夜更かしするのも、みんなにばれないようにこっそりリビングを通り抜けるのも、ちょっといけないことをしているみたいでなんだかとてもわくわくした。


 セツさんの部屋は、暁人の部屋よりも少しだけ狭かった。暁人の部屋とは対照的に物があまり置いてなくて、全体が温かみのあるブラウンでまとまっている。整頓は苦手だからあまり物は置きたくないんだ、と前置きしたセツさんは、「あいつの部屋よりは片付いてるでしょ」と少しだけ得意気にした。確かに、一度は綺麗に片付けた暁人の部屋は元々の物の多さが災いしてか、散らかって少し片付いてまた散らかって……というのを繰り返している。やはり根本的に掃除が嫌いなのだろう。
 おれはふとベッド横のサイドテーブルに、随分と使い込んでいるらしいノートを見つけた。遠目にもぼろぼろで、ページの端が擦れて紙の繊維が毛羽立っている。所々、テープで補強されているのが分かった。
 おれが何を見ているか気付いたらしいセツさんが、慌てたようにノートを手に取ってテーブルに備え付けの引き出しの中にそれを放り込む。
「すみません、じろじろ見てしまって」
「や、そういうんじゃなくて! 古いから汚くなっちゃってて、恥ずかしいなって」
「そうですか? とても大事に使ってらっしゃるんだなって思いましたよ」
 古いのは確かだが汚くはないし、恥ずかしくもないと思う。そう伝えると、セツさんは小さな声で「ありがとう……」と言って俯く。
 ベッドの枕元に座ったセツさんが、ここ座っていいよ、と隣を示したので有難くそこに腰を落ち着けた。「……俺がまだ新人の頃に買ったノートなんだ。覚えることいっぱいあったから、全部これに書いてた」あと何冊かあるんだよ、とセツさんは恥ずかしそうに笑う。
 セツさんは、本人が自覚しているのかどうかは分からないが時折驚くほど綺麗な表情をすることがあって、今がまさにそうだった。文化祭の日に、暁人がいなくても家に来ていいと言ってくれたときもそう。初めて会ったときから綺麗なひとだとは思っていたけれど、喋り方とかよく変化のある表情とか優しいところとか、そういうのを知った今の方がもっと綺麗に見えた。
「レシピとかが書いてあるんですか?」
「んー……見てみる?」
「え、でも」
「マリちゃんならいーよ」
 はい、と手渡されたノートはやっぱりとても丁寧に使われていた。一般的なノートよりも一冊がかなり分厚い。そっと開くと、レシピのメモや道具を扱うときの手順、接客のときに気をつけることまで細かく記されている。たまに、ページにお酒やシロップをこぼしたと思しき跡があったりもした。
「素敵なノートですね」
「あはは……ありがと。人に見せたの初めてかも」
 時々読み返すと仕事を頑張ろうという気持ちになれるのだそうだ。知らない単語ばかりなのを興味深い気持ちで見ていると、ページの角に棒人間が描いてあるのを見つける。一枚めくると少しポーズを変えてまた棒人間がひとり。
 もしかして、と思って最初のページからパラパラとページを送っていく。その棒人間はどうやら新体操のようなことをしているらしく、罫線を地面に見立ててバク転をしたり宙返りをしたり鉄棒に捕まって回転してみたり、最後はこれまた棒人間の審査員が「十点!」と書いてあるプラカードを掲げたというところで終わっていた。パラパラ漫画だ。しかもかなりの力作だった。
 なんだかほほえましくて何回かパラパラした後、ひょっとすると反対側にも別の漫画が描いてあるかな……と確認しようとしたところでセツさんが「マリちゃんさっきから何やってんの?」とおれの手元を覗き込んでくる。あ、と思ったときにはセツさんの辛うじて抑えた悲鳴が聞こえてきた。
「待って! 待ってマジで何見てんの!?」
「いえ……ふふふ、躍動感がありますね、この棒人間」
「ギャー! やだ! 待って!」
 ノートを取り返されてしまった。ちょっと残念だ。「描いたの忘れてた……」と力なく言うセツさんは耳が真っ赤で、上手なのだからそんなに恥ずかしがることないのになと思う。
「絵、お好きなんですか?」
「いやそーいうんじゃないと思う……よく覚えてない……十八の頃の俺に聞いて……」
「他にもあります?」
「……教えない」
「あ。あるんですね」
 セツさんがこんな風になるのはちょっと珍しいのでついからかってしまった。セツさんはおれのことをじっと見てきて、おれが目を逸らさないことが分かると小さな声で「……いじわる」と呟く。
 なんだこのひと。かなり可愛いな。
 声をあげて笑う。深夜だから頑張って控えめにしたけれど、本当に楽しかった。拗ねてしまったセツさんを宥めてとりとめのない話をしていたらあっという間に三十分近く経ってしまって、いくらなんでもこれ以上はよくないだろうと思い腰を上げる。もうすぐ二時だ。
「ありがとうございます、遅くまで」
「俺も楽しかったから、こちらこそありがとう。……あのさ」
「なんですか?」
「あの……さっき『いじわる』って言ったの、悪口じゃないよ。本気で言ったんじゃないから、ごめんね」
 なんだ、そんなことか。全然気にしてなかった。でも、「そんなこと」でこんな不安そうな顔で謝ってくれるセツさんは素敵なひとだと思った。
 おれは出来る限り柔らかい声で「知ってますよ」と言って、「からかってしまってごめんなさい。可愛くてつい」と口を滑らせた。まずい、と思ったけれど、セツさんの釈然としない風な表情がまた可愛くて、自分の感覚に自信を深めてから上機嫌でセツさんの部屋を出た。

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