羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 鍋を仕切ってくれたのは、意外なことに佑護だった。「うどん持ってくりゃよかったな……」と呟きながらも白菜を手際よく切って、鍋に水を張って、とこまめに動いている。
「佑護って料理するんだ! わー、すごいねなんか慣れてる感じ」
「料理って……鍋なんて食材入れるだけだろ、失敗のしようがねえよ」
 世の中には包丁を持たせるといつの間にか怪我をしている人だっているのだから、十分すごいと思う。佑護は「この家、調味料より酒とかリキュール類のがたくさんあるんだな」としょうゆやら何やらを持ってきて鍋の隣に置く。そんなにたくさんあるのか。ちょっと見てみたい気もするけど、セツさんの私物だろうからセツさんがいるときだな、見せてもらえるとしたら。
「茅ヶ崎んとこも親が帰ってくんの遅いとか? まさか料理が趣味とか言っちゃう?」
 佑護から味見用の小皿を取って「お、うまいじゃん」なんて言っている暁人に、佑護は「いや……そういうわけじゃねえけど、昔は母親の手伝いよくしてたから」と言った。
「はあああ? 家のお手伝いしますーってガラじゃねーだろお前、どんなギャップを狙ってんだよ」
「いや暁人失礼でしょ……」
「悪かったな意外で。ボクシングやってた頃は一応健全だったんだよ。普通に家の手伝いもしてたし夏休みの宿題であさがおの観察日記とかつけてたんだよ」
「アハハハ! あさがお! マジかよその日記見てみたいわ、今度学校に持って来いよ。黒板に貼っとこうぜ」
 暁人はあさがおの件が相当ツボに入ったのか、「このネタであと二回は笑える」とご満悦だ。それにしても、佑護があまりにも自然に「ボクシングやってた頃」というワードを口にしたので驚いた。もう佑護にとって、それはタブーではなくなったのかもしれない。怪我だけではなくて、心の痛みも少しずつ和らいでいるといいなと思う。
「ゆうくん俺にも味見させて」
「お前その呼び方改める気はねえんだな……」
「えっだめ? 呼びやすいよー、口当たりまろやか」
 まるで食事をしているときみたいな感想を披露する宏隆に、佑護は色々と諦めたようで黙って小皿を差し出した。確か暁人が前に、「茅ヶ崎のことふざけた呼び方すんのはいいけど廊下はやめろ、空気が凍るから」って言っていた気がする。あのとき宏隆はなんと返したんだっけ、「ええー、まじめに仲良くしたいからがんばって呼び方かんがえたのに……」みたいな感じだったか。
 暁人も同じことを思い出していたらしい。「結局その呼び方続けてんのかよ。あの空気二度と味わいたくねーんだけど……」と半笑いだった。
「由良はおおげさだよね。おおげさっていうか心配性?」
「お前マジで言ってんのか? 最初誰のこと呼んでるのか分かんなかったっつーの。茅ヶ崎も自分のことだって分かってなかっただろ」
「まあ、思いつきで呼んでみただけだしね。あのときべつにゆうくんに用事あったわけじゃないし」
「頑張って考えたっつってたの嘘かよ!?」
 大牙はその場には居合わせなかったようで、何があったのか暁人に尋ねている。おれも詳しくは知らなかったから黙って暁人の話を聞いていると、どうやら最初佑護に気付いてもらえなかった宏隆は、「ゆうくん! ゆうくーん! ちーがーさーきーゆーうーごーくーん!!」と高らかに叫んだらしい。というか、宏隆ってそんな大声出せたんだな。いつものんびりした柔らかい喋り方だからそれも意外だ。
「廊下にいる奴らの顔が引きつったのは面白かったけど茅ヶ崎が明らかに混乱してたのは可哀想だった」
「あの時点でゆうくんに『やめろ』って言われてたらやめる気でいたんだけど、『は……? な、なに……?』みたいな反応だったから許されたとおもった」
 たぶんそれは声が出なかっただけだと思う。
 でもまあ、実際佑護もあまり嫌そうには見えないし、いいのかな。宏隆はどうやら呼び名に濁音が入るのがあまり好きではないみたいだ。大牙のことは「城里くん」って呼んでるし。おれに対して「万里くん」なのは、名字にも濁音が入っているからだと言われたことがある。「俺はわきまえてるから『まりちゃん』とは呼ばないんだよ、えらいでしょ」と胸を張っていたけれど、ううん、やっぱり宏隆って色々と不思議だ。
 そんなことをしている間に佑護は準備を粗方終えてしまって、鍋の中では具材がおいしそうに煮えていた。こたつは四辺しか無いけれどかなり大きめなので、暁人と宏隆が一辺を分け合って座っている。この二人は細いから、そこまで窮屈でもないみたいだ。
 いただきます、とみんな思い思いに手を合わせる。前一緒に食事をしたときも思ったけれど、この面子割とみんな食べるよな。おれももう少し、ちゃんとお腹に溜まるものを買ってくるべきだったかも。それに、金額の兼ね合いも考えるべきだった。
「万里どうかした? 食べないの?」
「ああ、いや、おれも買ってくるならお肉がよかったかな……と思って」
 大牙にそう言ってみると横からすかさず「これ以上肉増やしてどうすんだっつーの!」という突っ込みが入る。まあ確かに、今でも食材山積みだけど……。
「あ、もしかして負担額の差とか気にしてる? 万里はケーキ持ってきてくれたし、寧ろ一番負担大きいかもよ。けい兄ちゃんの作るケーキ、普通に買ったら高いからね」
「あ、やっぱりそうなんだ。丸々頂いてしまったの、大丈夫だったかな」
「けい兄ちゃんがくれたんでしょ? 大丈夫だよ。たぶんけい兄ちゃんの個人的な睡眠時間が二時間弱減っただけだと思う」
「睡眠時間二時間って結構貴重だと思うんだけれど……」
 リアルな数字を聞いてしまった。お礼、どんなものなら喜んでもらえるだろうか。
 クリスマス会というか、鍋パーティーのようなものは最終的に持ち寄った食材を使い切るまで続いた。途中、暁人が突然外に飛び出していったので何かと思ったが、白米が食べたかったらしい。五分くらいして、近くのスーパーでパック詰めのご飯と卵を買ってきた暁人は「後は任せた」と言ってそれを大牙に呆れられていた。
 卵はシメの雑炊に使って、本当に綺麗に食べ終わった。正直少しくらい余るだろうと思っていたのに全然だったな。おまけに、まだケーキもある。普通に入りそうだ。
「お前らなんでそんな入るんだよ、胃袋三倍くらいになるの?」
「そりゃ俺とか万里とかみたいな運動部と比べられても……って感じだけど」
「えっ茅ヶ崎は!? 茅ヶ崎何かやってる!?」
「あー、激しい運動は無理だけど筋トレ癖になってる」
「なんだよ筋トレが癖って!」
 でも筋肉つきすぎると女ウケ悪くなるし別にいいか、と自分の中で結論を出したらしい暁人は、箸を置いてそう言った。「別に今も言うほど筋肉ついてないよ」と宏隆が笑ったのに対して、「俺よりひょろひょろもやしみてーな奴に言われたくねー!」と叫んでいる。
「暁人は無駄に女の子の目を気にするから……」
「は? 俺に気にしてもらえると女は喜ぶんだよ! 俺は気分いいしお互い嬉しいことしかねーだろ」
「いつか絶対に刺されるなお前」
「お前は女じゃなくて他校の不良とかに刺されそうで心配になるな……なに? 今更だけどなんでこんな女っ気ねーの? お前らその歳で枯れててどうすんの……?」
 今更すぎる。勝手なイメージだけれど、暁人って女の子と二人でクリスマス、よりも大勢の女の子をはべらせてるのが似合うよな。
「万里、何か面白い話して。実は昔女遊びが激しかったとかそういう系の」
「えっ……えええ……」
 どうしよう、とんでもないところに飛び火してしまった。おれにそういう意外性は無いぞ。
「お前みたいにいかにも真面目ですーって感じの奴が案外年上の女引っ掛けたりするんだよ」
「暁人お前今すごい酔っ払いの上司みたいだよ」
「お前に浮いた話がねーのは幼馴染だから知ってる……可哀想に……」
「悪かったな!」
 大牙が暁人の相手をしてくれているうちにおれは立ち上がる。ケーキを出してお茶を濁そう。
 立ち上がりぎわ、宏隆の目がにっこりと三日月に細められたのに少しだけ嫌な予感がしたけれど、気のせいだと思いたい。

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