羽化に唇 ▽▽▽ ( UNION / GARDEN )

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 冬休みを一週間後に控えて、おれはあることに悩んでいた。セツさんのお誕生日が約一ヶ月後にくるのだが、プレゼントの内容はもちろんのことお金に関していろいろと決めかねているのだ。
 おれは一応小遣い制で、個人的な出費は自分で管理するようにしている。これまで足りなくなるほど使ったことはないし、周囲と比較しても常識的な金額でやりくりできていると思う。親に頼めば何の問題もなくそれなりの金額を追加で貰えるだろう。自分なりに貯金もしている。
 けれど、はたしてその小遣いの中からセツさんのプレゼント代を出してもいいものだろうか。
 おれの小遣いは家のお金であっておれのお金ではない。セツさんはおれが、あの家に関係なく個人的に知り合ったひとだ。おれが小学生や中学生ならまた話も変わってくるだろうけど、もう高校生なのだしせっかくだから純粋な「自分のお金」でプレゼントを買いたいと思う。別にお金の出所がどこであろうと関係ないかもしれない。おれの自己満足だ。でも、とても大切なことな気がした。大金が欲しいわけではないのだ。ただ、セツさんに喜んでほしいだけ。
 おれはバイトをしたことがない。小遣いで足りないのかと聞かれたらけっしてそうではないし、部活や習い事もあったから。けれど今回は、ちょうどもうすぐ冬休み。思い切って親に話してみようかと思った。
 こういうとき、初めに話を通すのは母親だ。父は仕事で不在がちなので、母を経由して父に話がいく。まあ、母から許可を取ることができれば父が反対することは無いのだけれど。そもそもおれが自分で考えて何かをやりたがったときに反対するような両親ではないのだ。これまではおれが勝手に、考えすぎて踏み出せなかった。
「あなたがお願い事だなんて珍しい。どうしたのかしら」
 母の自室に行ったとき、彼女は琴を弾いているところだった。邪魔してしまったことを謝って事情を話すと、「そう、あなたも随分と健全になったようで安心したわ。好きになさい」と言った。どういうことだ。おれは不健全だったのだろうか?
「あの、美希さん。健全ってどういう……」
「あなたは家にも家の者にも遠慮をしすぎるようだから。子供の頃の生活なんて楽しいことしか無いくらいでちょうどいいのよ。アルバイトも朝帰りも外食も好きなだけすればいいわ」
「いや、朝帰りはしないですけど……」
「ともかく、産まれる家は選べないけれど生き方はあなたが選びなさい。羨ましいわね、きっと自分で仕事を選ぶのは楽しいのだろうと思うわ」
 母はそんな、随分と含みのあることを言った。彼女は選べなかった側なのだろう。知らない間に結婚相手すら決まっていたらしいから。結局母は、おれが何のためにバイトをしたいのかというのは最後まで聞かなかった。代わりに、「バイトが楽しかったらそのときの話をしてくれると嬉しいわ」と言って少しだけ笑った。



 そして翌日。休みに向けて学校の授業が午前中で終わったので、おれは久々に暁人と二人で昼ごはんを食べていた。今日は時間があったから高槻さんのお店に来ている。午後二時半を過ぎて店に入ると流石に混雑のピークは過ぎているようで、問題なくカウンター席に並んで座れた。食事をしている間にどんどん人が捌けていって、食後の飲み物を頼む頃にはテーブルが半分ちょっと埋まる程度にまで店が空く。
「で、なんかよく分かんねーけどバイトすんだっけ? 冬休み中なのになんでガッコの近くで探してんの?」
「……なるべく家から離れた場所がいいんだよ。あの辺りじゃおれの家の名字は割と知られてるから」
 周囲に色々勘繰られる要因はなるべくなくしておきたい。暁人はおれがバイトをしたいのだと言うと「へーいいじゃん!」と言ってくれて、コンビニでアルバイト情報の載っているフリーペーパーをささっと持ってきてくれた。暁人もバイトはしたことがないらしいけど、考えてみたことはあるのかもしれない。
 それからしばらく、「短期バイトって案外少ないな」とか、「スポットなら郵便局の仕分けとかいいんじゃねーの」とか、暁人は一緒に悩んでくれた。やっぱり郵便局が一番現実的だろうかと思い始めた頃、「……今日は二人か」と頭上から声がかかる。
「あっ高槻サンだ。ちわーっす」
「こんにちは、お久しぶりです」
 高槻さんは飲み物のおかわりを持ってきてくれたみたいで、ふと気がつくとお喋りにふけっている間に他のお客さんはほとんどいなくなっていた。そろそろ家に帰らなければいけない頃合だ。随分と長居してしまった。
 カウンターに散らばったフリーペーパーを目に留めた高槻さんが「……バイト?」と不思議そうな声で呟く。暁人がかくかくしかじか、と説明をして、思い出したように「そういやなんでバイト? 欲しいものでもあんの?」と聞いてきた。
「うん、ちょっと……個人的にお世話になっているひとにお礼と、お祝いをしたくて」
「はー、なるほど? 自分のためじゃない辺りお前らしいっつーか……」
 暁人のお兄さんのことだよ、とはなんとなく恥ずかしくて言えなかった。「日数短めでちょうどいいバイトどっかにねーかなー」と暁人がまた冊子に目を落とした辺りで、ふと気付くと高槻さんが何やら悩ましげな表情でおれを見ている。ど、どうしたんだろう。なんだか、高槻さんにはこういう表情をされることが多い気がする。
「……? あの、どうかしましたか?」
「いや、……あー、お前卵割れる?」
「卵ですか? 一応調理実習とかでなら何度かやったことあります」
「…………二十二と二十三と、あとできれば二十四。結構割のいいバイトあるけどやるか?」
 その日付だと、クリスマスイヴとその前の土日だ。ちょうど冬休み初日から三日間。部活も特に無いし、何より高槻さんがわざわざ話をしてくださったのだからできればやってみたい。「どんなお仕事ですか? おれ、バイトしたことないので初心者でも大丈夫だといいんですが……」とおそるおそる言うと、何故だか高槻さんまで少し不安げな顔でぽそりと言う。
「……ケーキ作るんだよ」
「ケーキ?」
「俺と一緒に、クリスマスケーキ。……お前が兄貴レベルで壊滅的に不器用じゃなければだけどな」
 言われた内容をゆっくり考えてから、おれは口を開く。
「……に、兄さんは筆と箸の扱いなら完璧なんです。それ以外がだめなだけです……」
 こうして、おれのバイト問題は瞬く間に解決することになる。高槻さんの不安そうな表情の理由も一瞬で分かってしまって、なんだか分かってしまったこと自体兄さんに申し訳なく感じ、心の中だけでこっそり謝っておいた。
 まあ、事実関係を問われると、確かにあのひとがあまり器用でないのは、言い訳の余地もないほど仰る通り……なのだけれど。

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